宣伝を先に! 4月27日にZoomで登壇します。
KICCプロジェクト(2022~2024)@PTTCコンポントム
KICCというのは、KOBE International Communication Centerの略称。日本語では神戸国際コミュニケーションセンターという公益財団法人です。神戸市直轄のNPOで、主たるスタッフは皆様神戸市の職員というとっても地方行政色の強い組織です。その定款は、以下のようにKICCの存在意義を語っています。
「この法人は、神戸の更なる国際都市としての発展をめざし、開発途上国を中心とする諸外国の抱える諸問題の解決のための国際協力を行うとともに、市民の国際交流の促進、多文化共生の推進などにより、地域の国際化を進め、もって国際社会の平和と繁栄に寄与することを目的とする」
神戸には、50を超える諸国の人たちが生活をしています。1995年1月17日に発生した関西・淡路大震災を機に、多様な住人のニーズに応えるために設立されたのがKICCなのだろうと想像します。KICCのホームページは以下。
Kobe International Community Center
そのKICCが、2022年度から2024年度の3年間にカンボジアで草の根技術協力事業を実施したのです。コンポントム州の小学校教員養成校(PTTCコンポントム)を対象に、探求型授業の普及を狙った小さなプロジェクトでした。その事業報告会が今月末4月27日に神戸で開かれます。
このKICCプロジェクトに私も参加したのです。そんなご縁があって、この27日の報告会に私もカンボジアからZoomでつないで参加予定です(プログラム紹介のPDFは以下です)。ご縁がありましたら、御贔屓によろしくお願いいたします。
KICCプロジェクト? 探究型授業? だいじょうぶかなぁ?
でもSTEPSAM2のその後を知れるかな…と相談役に。
KICCはプロジェクトを開始するにあたって、現地連絡員のような人を配置することを検討していたようです。そして、たまたま知り合いが知り合いを呼ぶ、みたいなつながりでKICCが「カンボジアの教育事情に(多少は)詳しい人」だろうということで私に連絡を取って来たのが2022年度初めごろ。
私は車イス者でフットワークは全然ダメダメで、現地連絡員的なことはとてもできない。けれどもたまたまプノンペンで教育支援を模索していた若者に知り合いがいて、その人を紹介することはできました。KICCはその人を現地連絡員に採用し、彼は最初の1年、カンボジアでプロジェクトの立ち上げに貢献してくれた。
さて、私はそれでお役御免かなと思ったのですよ。そしたらKICCから継続してアドバイザーを頼むという依頼があったのです。それならインターネットでつなげば、なんとかできるかしら。
実は、最初にこの支援の計画書を読んで、私のプロジェクトへの印象は悪かった。こりゃ、大変だぞぅ、上手くいかない可能性タップリあるぞぅ、と思ったのです。
その計画書を作成するための時間とエネルギーを思うと、そりゃ、その準備はさぞ大変だったろうと想像しました。力作でした。だから、あんまりケチはつけたくないけれど、う~ん、と唸ってしまったのでした。
単純に言えば、「探究型授業」を右(日本)から左(カンボジア)にさらっと移行する計画に私には思えたのです。日本側専門家が新しい授業法を伝え、それを3年で獲得した先生には「探究型授業マイスター」の認定書を与える、というような。
いやいや、そんな簡単にいかないぞー! それに、この認定書を与えるというところ、やっぱり支援者の上から目線が強すぎる。途上国支援のあり方、支援者がアッパー(上位者)で被支援者がロゥワー(下位者)という構造が長い間続いてきたわけ。そして、その考え方には限界があるということが昨今認識されてきた……のに、そんな新しい哲学の潮流がその計画書からは伝わってこなかったのです。つまり、力作ではあったけれど、支援者目線の充実ばかりが目立っているように私には思えた。
支援される側の視点がない! 支援されるPTTCコンポントムの教官たちは、この計画書をどう受け止めているのだろう?
でもね、現実的実際的なところでは、この手の計画書、被支援者側は「ふーん、そう…」ってな感じでさらっとそのまま受け取っちゃうことが多い。教育支援ってのは、被支援者の今日明日の生命/生活にかかわる緊急援助じゃない。極論を言えば、被支援者にとっての教育支援って、あってもなくてもそれほど大きな問題ではない。美味しいところがあれば、それを味わうし、まずければ喰わなければいいだけのこと。だからまぁやってください、ってことになりがちなんです。KICCプロジェクトを受け取る側のPTTCの教官の方々も、きっとそうなんだろうなと私は思ったわけ。だから詳細な事前の打ち合わせとか、なかったのだろうし、やったとしてもそう簡単には充実した意見交換にはつながらないことが多いのです。
プロジェクトが目指した「探究型授業」、これ私がJICA専門家として4年間(その準備段階からかかわったから、実質4年以上)かかわった初中等理科教育改善計画(通称STEPSAM2、2008~2012)でも中心に据えた授業方法でした。
STEPSAM2は技プロと呼ばれる、草の根支援よりもずっと大きな技術移転プロジェクトでした。全国の教員養成校が対象。全国とは、小学校教員養成校(PTTC)18校、中等教員養成校(RTTC)6校、さらには指導側としてカンボジアで1校だけある高校教員養成校(NIE)の理科教官が一緒に働きましたから、カンボジアのすべての教員養成校の理科教官を対象に、理科の探求型授業の導入を目指したといってもけして過言ではない。
KICCプロジェクトが対象としたPTTCコンポントムはSTEPSAM2の対象校のひとつで、私はSTEPSAM2の4年間、全国すべての教員養成校を巡回指導していましたから、PTTCコンポントムには当時何度も行ったことがありました。そして、KICCプロジェクトが始まった2022年にもSPEPSAM2に参加した理科教員がまだ数名働いていたのです。
KICCプロジェクトからアドバイザーの話があったとき、私には「STEPSAM2から10年が経って、その成果がどうなっているか知ることができるかも」という目論見があった。じゃ、この話に乗らないのはもったいないなぁ、と思ったのです。
ご存知のように、2014年にルワンダで事故に遭い、脊髄損傷で下半身完全麻痺になった私にとって、以前の現場の様子を垣間見る機会をつくるのはむずかしい。ですから、PTTCコンポントムでSTEPSAM2で導入した探求型授業がどうなっているのか、KICCプロジェクトを通して知ることができるのは楽しみでもありました。
私の第一印象では失敗プロジェクトに終わるだろうKICCプロジェクトにかかわることに気が重い気分もあったのですけれど、でもまぁ単なるアドバイザーなら責任もないしなぁ。ま、いいか。
それぐらいの気分で、私は週に一回開かれるプロジェクトの連絡会に参加することになったのでした。あくまで助言を求められたらすればいいや、ぐらいの気分で、です。
プロジェクトリーダー!??
ところが。
プロジェクトが始まってしばらくして、2022年7~8月ごろ、私、プロジェクトリーダーになっちゃったのです。えー!? 自分でもびっくり。 詳細は省くとして、私はかなり固辞したということだけは書かせてくださいませ。
だって、計画に全然かかわっていないのですよ。計画書を読んで、あぁこりゃうまくいかないなぁ、失敗プロジェクトになりかねないなぁ、って思ったのですよ。そりゃ、固辞しますよ。でも……。金に目がくらんでしまった、って嘘よ! まぁ、ご縁ということなのでしょう。やれやれ。
タイトルはアドバイザーからリーダーに代わりましたけれど、でも、やれたことに違いはあんまりありません。リーダーとなっても私は助言をするだけの人でした。そして、その助言をうまく活用してさまざまな方向から技術支援を実施したのは、プロジェクトの数名の専門家の皆さんだったのです。
そして、もともとこのプロジェクトの醍醐味は、PTTCコンポントムの全教科の教官、さらには事務方のスタッフも、ほとんどすべてが毎年1回、神戸にやってきて市内の小学校の授業を視察することにありました。
ここはKICCが神戸市直轄のNPOであった強みがばっちり出たところです。教育委員会との協力がとても円滑に進み、何カ所かの学校で、さまざまなスタイルの日本の旬の探求型授業をPTTCコンポントムの皆さんが見学できたのです。これは特筆すべき活動だったと思います。本邦研修でなかなかあそこまで充実した授業観察活動を実施することはできません。この活動はPTTCコンポントムにおいて中長期的にじんわりと円熟した成果につながっていくだろうと私は期待しています。
てなわけで、私がリーダーになったからどうこうということはそれほどのことはなかったんじゃないかしら(もちろん謙遜込み込み)。
プロジェクトの難しさ、限界、成果
でも、探求型授業をカンボジアに取り入れていくというのは、しかも草の根支援レベルの小さなプロジェクトでその成果を上げるというのは、私にはあまりに無謀なチャレンジに思えました。装備も技術も経験も十分でない登山家が、いきなり8千メートル級のヒマラヤ高峰に挑戦するような感じがしたのです。
全国の中で一校だけの教員養成校への技術支援というのは、限界モリモリなんです。多くの途上国で(もしかすれば先進国でも、日本でも?)、学校公教育というのは中央集権的に実施運営されるものです。学校教育の歴史的成り立ちを考えれば、中央集権なのは当たり前っちゃ当たり前でもある。カリキュラムや教科書、指導法……、それらを定めるのは中央の教育省(日本なら文部科学省)です。だから地方の教員養成校だけ教育指導レベルが上がるというのは、なかなかその道のりの絵が描きにくい。
ちょっとだけ具体的なことを書けば、教科書です。日本の多くの教科書は、すでにその多くが探求型授業をやりやすいスタイルになっています。それと比較すれば、カンボジアの学校で使われている教科書(全国共通です)を使っての探求型授業はなかなか困難を極めるわけ。もともとそういうデザインになってないわけですから。そこに探求型を入れ込む? しかも全国いくもつある教員養成校の中で、一校だけ? そりゃ、中央にもいろいろと気も使わなくちゃいけないわけなのです。
教育省が全国一斉に「全教科に探究型を導入するぞー!」「カリキュラムも改定するぞー!」「新しい教科書も作り配布するぞー!」「教員向け指導書も作って、教員向け研修も実施するぞー!」というようなことが起これば、ね。でもそれ無しで、関係者のモチベーションを高めるのだって一筋縄じゃいかない。そして、全国一斉の教員研修を実施しなければいけないこのような改革は、とってもお金がかかります。カンボジアの小学校の教科書は、もう10年以上改訂はなく、近い将来の改定も、やりたいという声はあってもなかなか実行はされないのが実状です。
そんな悪路が目の前に続いているわけです。しかもプロジェクト実施が3年間て、わりと短いのです。その他、あれとか、これとかいろいろと困難があって、やっぱり当初想定していた成果の達成は、どうしたって限界があったと私は今でも思っています。
その中で、プロジェクトの明らかな成果として挙げられるのは「PTTCコンポントムすべての関係者が、探求型授業というのは理科に限った授業法ではないと実感した」ことだと私は理解しています。
「すべての教科で探求型授業は可能だ」
2008~2012のSTEPSAM2は理科教官対象の技術移転プロジェクトでした(研修では理科の教官だけではなく、校長が理科の先生を応援してくれるような「校長向け研修」にも力をいれましたよ)。そしてプロ技単独の技術支援に留まらず、当時多くの教員養成校に派遣された青年海外協力隊の理科教育支援隊員とも積極的に協力を展開したのでした。
PTTCコンポントムにも協力隊員がいました(彼女は今は鹿児島県で教員をやっています。彼女のパートナーも同じカンボジアの協力隊員です、私たしは今でもときどき連絡をとりあっています)。そのとき一番のカウンターパートの理科教官は、残念ながらKICCプロジェクト実施時にはすでに別の職場に移動していました。けれども、その他の理科教官は数名残っていたのです。私のことをよく覚えていてくれて、感激でもありました。
そして、KICCプロジェクトが始まってみて理解できたのが、STEPSAM2の影響はプロジェクト終了10年経っても、しっかりと残っていたということです。特に当時作成した探求型授業の資料集はSTEPSAM2終了後に教育省から正式に認定を受けて、今でも探求型授業のガイドブックとして活用されていたのです。けれども……、STEPSAM2の影響が強いからこそ、探求型授業は理科の指導法として理解されでいました。つまり、まずKICCプロジェクトが打破しなければいけなかったのは、STEPSAM2の幻影でした。
(他の教員養成校の支援にかかわっている人にうかがうと、STEPSAM2の成果の定着にもかなり濃淡があることがわかります。往々にして、STEPSAM2に参加した教官が残っている場合はSTEPSAM2の成果も残る。けれども、人がかわり、STEPSAM2に参加したことがない先生ばかりになると…、やっぱり成果も見えなくなる。そんな傾向が明らかにあるようです。やっぱり人かぁ。技術移転の難しさをやっぱり感じるところです。もしかするとPTTCコンポントムは、STEPSAM2の影響がかなり強く残っている場所だったのかもしれません)
STEPSAM2の探求型授業では、理科の実験/観察がその授業の中心活動と位置づけられていました。生徒たちがまず自分たちで仮説を立てて、実験/観察に取り組み、結果を得て理科的結論に向かう。理科実験には、期待される結論があります。実験/観察を通じて、生徒は正しい答えにたどりつくことが期待されていると言ってもいい。
けれども、たとえば国語の長文を読んでの探究活動は?
私たちの日々の生活では、正しい答えがはっきりとしないことが山とあります。 生徒たちが日々の生活、あるいは将来の生き方を豊かにするための学ぶ探究活動では、理科の実験/観察のような「期待される結論」は明確ではないことのほうが多いはずなのです。
STEPSAM2型の探求型授業のガイドブックにしたがえば、理科以外教科で探求型を導入するのは難しい。だから、KICCプロジェクトは当然のようにSTEPSAM2からの脱却を目指す必要があったのです。 STEPSAM2を越えて(Beyond STEPSAM2)というわけ。
その結果、その意識付けには成功したんじゃないかな。PTTCコンポントムの教官たちは、自分たちの目で神戸市小学校で理科以外の教科での探究型授業を見て、感じた。さらに、プロジェクトの活動として、付属小学校で実際に社会や国語でいくつかの授業を授業研修スタイルで実施しました。
そして、「すべての教科で探求型授業は可能だ」という思えるところまでは到達できたと私は実感しています。……けれども。
じゃ、実際に探求型の授業をプロジェクトの支援なしで自由自在に実施できるか?となれば、う~ん、無理じゃね、というのが実感でもあるのです。つまり、考え方は伝わったけれど、実践力はまだ養成しきれていない。もっと何回も授業研究を繰り返せばと思います。でも時間切れ。フィニトー!
PTTCコンポントムの教官の指導を受けた新しい先生たちが、赴任した学校で探求型授業を展開できるかと問われれば、私はまだ悲観的です。それに、カリキュラムや教科書の内容が探求型向きではないことには、KICCプロジェクトは何一つ手を打てていませんから、卒業生(新しい小学校の先生)が実際の教室でできることも限られている。それも本当。それも事実。
つまり、カンボジアの授業、コンポントム県に限っても、KICCプロジェクト後に本質的な変化は起こるところまではたどりつけなかった。
教育支援の評価(数値化)のむずかしさ
プロジェクトが2024年12月に終了して、その後KICCは事業報告書をJICAに提出した(はずです)。そして、プロジェクトのスポンサーであるJICAがKICCプロジェクトをどう評価したのか、私はよく知らないままです。
国際開発でも、資金投入の評価は数値化して示すことが常識になっています。そして、教育セクターへの支援をどう数値化して示すのか、プロはプロなりにコンサルタント業界を中心にして考え続けている。
2014年に怪我をするまで、私もそんなプロの端くれとして教育開発支援の現場にいたのです。けれども、実を言うと私はこの数値化から少し距離を置いて働いていました。つまり、数値化をスポンサーに示す役割は他の人に託してしまうことが多かったのです。
数値化を託された方々がものすごい苦労し努力していたことを面前にして、敬意は感じていました。でも、う~ん、そんな苦労は、どこかスポンサー向け、あるいは支援を受ける側の中ではたとえばカンボジア教育省のお偉い方に説明するための努力でもあるように感じていました。つまり支援対象の直接的裨益者がどこか置き去りにされる数値化でもあるように感じることがあったのです。
いや、大事なのはわかる。でも教育セクターでの成果、特に質的向上の数値化? 生徒のテストの成績を上げる? そうなの??
たとえば、STEPSAM2。カンボジアすべての教員養成校の理科教官の研修を主たる活動としていたプロジェクトの成果の数値化のひとつは、教員養成校付属小中学校の生徒への理科試験の結果でした。なぜなら、当時、生徒への直接の裨益が強調される風潮があった。つまりスポンサーは「生徒の学力を上げる成果を示す数値」を求めたのです。ニーズがあれば、対応するのがプロの技です。スポンサーの見たいデータを集めることにエネルギーは費やされるのも、仕方がないことでもある。
でもなぁ。教員養成校の教官へのインプット→教員養成校で学ぶ新規教員にどう伝わるか、だと私は思っていたのです。でもそこはデータは取れなかった。あーぁ、もったいなかったなぁと、私は今でも悔いは残っているのです。
かように、数値化、数値化といっても、なかなか本質を測るのは簡単ではないことが多い。そして、教育セクター支援の質的成果は表面化するまで時間がかかるものだと考える人は少なくない。数年のプロジェクトの終了時点で顕在化するものにこだわりすぎると、ちょっと本質をはずすことだって起こりえるだろうなぁ。
で、KICCプロジェクトです。草の根支援は、STEPSAM2のような技プロと比較すると投入される資金は少なめです。せいぜい全部あわせて数千万円(カンボジアから先生をひとり日本に招聘して、ホテルに泊まってもらって、研修を数週間するのに、さてどれくらい費用が必要だと思います、すぐに百万円近くいっちゃうような気がするわけで……… あるいは専門家をカンボジアに派遣して云々云々………、やっぱりすぐにお金ってかかりますよね。と書いたら私自身はいくらもらったか書かないとずるいよなぁ。私は私自身で運営したプロジェクトブログの翻訳経費を含めて月200ドル強もらっていました、プロジェクト実施中に円安が進んでなんかちょっと得しちゃった気分。とにかく、プロジェクト期間中合計で6000ドル以上はもらったんじゃないかしら。¥100万円!)
技プロ、さらには建築モノを含む支援になると、すぐに億円の単位になるのです。それと比較すればKICCプロジェクトは小さな投入です。一般に評価というのは、大きいものほどシビアになる。
というわけで、さて、KICCプロジェクト、どんなもんだったろうなぁ? KICC側としては、KICCがまたさまざまにJICAと協力を続けていくうえでも、そこそこポジティブな評価が欲しいところだったはずと、勝手に妄想しているのです。
数値化、たとえばもし当初計画していたマイスター制を導入、これは実際には導入を見送ったのですけれど、さて、もし導入していたとしたら何人マイスターになれたのか?
でね、全体数何人でマイスターに成ったのが何人だから○○%、なんて数値化がなされたりするわけですけれど、ここで見落としガチなのは、年齢です。
退官直前の教官がマイスターを取っても、ね。だってすぐに辞めちゃうんだから。
やっぱり若い人の成長が欲しいのです。そして、その点ではKICCプロジェクト、これからPTTCコンポントムで大事な役割を果たす可能性のある若い先生の意識改革にはそこそこ成功した可能性があります(こればかりは、すぐにはその成果を測れないのですけれど)。
私の頭の中には、数名の若手教員の顔がすぐに目に浮かぶ。彼と彼と彼女と……、若手といっても40代後半まで含む。つまりあと10年以上は現場で活躍する教官たちが「探究型授業は理科に限らず全教科で可能だ」と実感したのです。
3年のプロジェクト、数千万円は使ったプロジェクトの成果として、これが十分なのか、不十分なのか? うん、まぁそりゃ費用対効果、十分だったとはいえないでしょう。でも不十分か? そこはなかなか答えるのがむずかしい。
フィージビリティ―(持続発展可能性)という言葉があります
よく「種は撒いた」という言い方を支援者はする。あと芽が出るかどうかは、被支援者の努力次第ってこと。でも、それはどこか「あとは野となれ山となれ」みたいなエコーも聞こえてくる。
援助では、支援後の成果の継続/発展可能性をフィージビリティ(feasibility)と呼びます。プロジェクトで導入したモノや技術が、プロジェクト終了後に消えてしまうというのがフィージビリティの観点では最低点です。支援者が去って、プロジェクト中には流れた資金が止まっても、被支援者側が自力でその導入を活かし発展させていく。そうなればフィージビリティは高いわけ。
でもね、プロジェクトってお祭りだと私は思うこと多いのです。祭りが終わった後、支援者は去る。そして高いフィージビリティを求めるってのは、もしかしたら祭りは終わっても踊り続けろ!ってことになっちゃってはいないだろうか? でも、踊り続けるのは無理よ。祭りってのは期間限定だから楽しいのだし。支援が終了しても祭りを続けよ踊り続けよって、それを求めるのは支援者のエゴでしかない!と思う。
だから、フィージビリティを語ることに、支援者は慎重でなければならない。そして、高いフィージビリティを求めるならば、プロジェクト実施中からの周到な準備が必要となるはずです。でも、この準備、意識はできても実行するのは簡単じゃないんですよ。特に、ソフト系の支援では難しい。キーパーソンがひとり移動すれば、ようやく伸びた芽があっという間に枯れてしまうなんてことも多い。さらにやっぱりお金が必要な活動に関しては、なかなかむずかしい。
さて、その点ではKICCプロジェクト、PTTCコンポントムにそんなにゲンナマ投入していません。研修参加費もPTTC教官に一切払っていない(これはけっこう重要なことです、多くの支援プロジェクトがここでお金を払う!)。つまり、その点では、フィージビリティ、もしかしたらそこそこ可能性あるかも、と思います。実際、プロジェクト終了後に探求型授業に関してPTTCコンポントムが主体的に動きつつあることも確認できています。
さらに、教員養成校って学生がいるでしょう?その点で、いちおうお客さんはどんどんくるわけ。だから成果を単にそこに留まらせないで、広く波及させやすい支援先とは言えるのです。
さて、彼らがプロジェクトの投入をどう活かしていくのか。けっこう楽しみではあるのですよ。そして、そこは終了時時点のJICAによるプロジェクト評価ではすくい取れない。ふふふ、まぁいいじゃないねぇ、評価があろうとなかろうと、それは本質的なことではないと思うのよ。
国益にかなうか? そりゃ、かなうわけないですわね。
長くなりました。最後まで読んでくれた方、どうもありがとうございます。
あとひとつ。PTTCコンポントムに探求型授業をODA(政府間援助)で支援するのは、日本の国益にどうつながっているのか?
私の答えは、特にはつながっていない、です。そりゃそうでしょ。彼らの授業の質が上がったからといって、どう日本の国益につながるのですか? 無理やりならいろいろいえますよ。カンボジアの社会的発展があって、そしてそれが日本との外交上の成果となって云々。でもさ、ま、無理やりだよね。
日本国外務省は、ODAは日本の国益のためにやっていると明言しています。外務省の強い影響下にあるJICAも、もちろんその方針でODA支援、大きいのから小さいのまでマネージメントしています。ま、それはそれでいいと思う。建前だもの、外交って。
でもね、海外支援、日本国のためにやっているんじゃないですよ、私はそう思ってる。単純に言えば、そこに困っている人、支援を必要とする人がいるから、支援する。日本? 外国? おもんないこといわんといてくれへんな。
日本の人たちが働いて払った税金なんだから、日本人にまず使うべきだ。そんな論調が、なんか強くなっているように感じます。あーあ、貧すれば鈍でありんすか? 世界は開いているから仕方がない、って私は思うのですよ。そりゃ、わかりますよ、なんせ“血税”ですからね。でもその割には、血税を裏金で貯め込んでいることにはけっこう寛容じゃないですか? 外国事になると、あるいは日本人以外の人たちのことになると、非難するのに気兼ねがいらへんってことなんでっしゃろか? (非難なんか聞こえてない? はい、そりゃよかった。あくまで念のためですよ、念のため)。
じゃ、あえて書けば。KICCプロジェクトに関わった日本側の人たち、彼らがその経験を日本社会にフィードバックしますから。多分、それが一番の国益です。
3年前と比べて変化があったのはカンボジアの教官たちだけではないのです。私も含めて、日本側の人たちにだって変化があった。それをどう活かすか、それは個々に委ねられています。
というわけで、国益のために、関係者の皆様おきばりやすねぇ。どうぞよろしゅうおたのもうします。心から期待し応援してますぇ。


















自走化できれば良いのですが、残念ながら、その視点がありませんね!
匿名様 コメントありがとうございます。
コメント、短文で……
「自走化」とは、この場合は具体的にどのようなことでしょうか?
支援される側自身で進めていけると良い、けれどもこのプロジェクトにはその視点がなかったというお叱りの主旨でのご指摘なのかしら?と思ったり、もう少し広い視点での教育セクターの質向上支援は「一般論として自走化の視点がない」という主旨なのか?
さらには、ODA一般論として「自走化の視点が足りない」ということなのか?
よろしければご鞭撻いただけますでしょうか?
村山哲也