カンボジアの気候は、熱帯モンスーン。つまり、乾季(11月ごろから4月ごろ)と雨季(5月ごろから10月ごろ)、その境界域はかなり広い(11月に入っても雨季っぽいこともあるし、4月には雨季が到来することもあるし)。
そして、乾季、つまりこれからが結婚式シーズンなのです。おそらく、乾季は農閑期に入る土地が多く、また野外でパーティを開くのにも、雨が降らないのが都合がいい、ってことなんだと思います。
今回は、そんな結婚式ネタから、入ってまいります。
世界中でもっとも結婚式に参加する機会が多い人たち、カンボジア
みなさんは、人生で何回ぐらい結婚式に参加されるでしょうか?ぼくのケースを数えれば、日本では、友人・知人に兄妹親戚の結婚式を指折り数えても、両手で余ります。20代後半からは、日本にいなかった時間も長いので、ぼくは少ないケースなのかもしれませんけれど。でも、政治家?大きな会社の上司?結婚式の司会者業?でもなければ、数十回も結婚式に出ている、なんてことはそうそうはないのじゃないでしょうか?
おそらく、今日のカンボジアの人たちは、人生のうちで結婚披露宴に出席する回数が世界でも最も多い人たちだろうと思います。(ぼくの私論では、)カンボジアでは、多い人は一生で五百から千の披露宴招待状を受け取るのです。
結婚披露宴は乾季に開かれることが多く、新郎新婦の親戚、友人知人加えてその友人知人の兄弟姉妹も、さらには新郎新婦の両親兄弟姉妹の友人や知り合いに至るまで、広い範囲に招待状が配られます。そのため、交友関係が広いと、ひとつの乾季の間に数十の招待状を受け取ってしまうことになるのです。招待状を受け取っても出席する義務はないけれど、出席しなくても多少のご祝儀を包むのが礼儀です。結婚式に包む額は、田舎では10ドルぐらいから、都会なら20~30ドル程度が今では一般的です。多くの招待状を受け取れば、祝儀の総額はすぐに数百ドルになるでしょう。政府が定める最低月給額が200ドル程度のカンボジアでは、かなりの出費です。(ちなみに、このドルとは米ドルです。カンボジアでは独自の紙幣のリエルがありますけれど、米ドル紙幣も日常使われています。)
その出費を回収するために、自分自身の、あるいは自分の兄弟姉妹の結婚式があれば、やはり多くの人を招待することになり、つまり結婚披露宴はどんどん肥大化する傾向にあります。出席者が500人を超える披露宴はけして珍しくありません。まさに、披露宴インフレーション。カンボジアの国内総生産のうち、結婚産業の占める割合は、日本と比較してかなり高いはずです。
そして、カンボジアの結婚式は、もうこれっきゃない、というような決まりといいますか、金太郎飴のようなといいますか、お決まりの方式が確立?されちゃっているのです。
披露宴は中華式円卓に10人ずつで座ります。席順に決まりはなく、来場した客からどんどん順番にテーブルに着いていきますので、油断しているとまったく見ず知らずの人たちと同席になり、なかなか話がはずまないことになります。熟練者たちは、そのあたりはわかっていて、ちゃんとしめしあわせて仲間たち一緒に会場入りします。
10人の席が埋まると、そのテーブルから順にどんどん料理が供されます。まず前菜盛り合わせ、次に蒸し鶏などの肉菜、魚一匹を丸ごと蒸すか焼くかする魚菜、スープ、炒飯とご飯、デザートという組み合わせはどの結婚式も同様です。飲み物は、ジュース、ビール、ウイスキーが飲み放題です。
食事が終われば、宴の途中でも祝儀を払って退席してかまいません。この際、食事の内容やビールやウイスキーの銘柄によって、払う祝儀の額も左右されます。豪華な食事であれば、やはり多めに払わなくちゃって気持ちになる。そのためか、最近はコース内容も豪華になる傾向があり、たとえばスープに高価なメコンオニテナガエビが使われたりします。ビールも、銘柄によってランクがあり、さらに缶ビールより瓶ビールのほうが高級です。
式の最中は、設けられた舞台で歌手が休みなく大音響で歌い、最近はその後ろに数人のダンサーがつくことも多くなってきました。さらに、事前に準備された新郎新婦のビデオなどが大画面で流される新趣向も、どこかの結婚式場で取り入れられれば、あっという間に他所でも取り入れられます。このままいくと、10年後、20年後のカンボジアの結婚披露宴はどんな進化をしていくのか、怖いもの見たさの気持ちが少し湧きます。
新郎新婦は会場入口で来客に挨拶し、共に写真撮影をし、その合間をぬっていくつか衣装を変えます。先日、「妹の結婚式」の様子をフェースブックでどんどんアップしてくれたある女性教師は、新婦だけではなく、新婦の姉である彼女自身も何種類かドレスを着替えていました。まさに、みんなの晴れ舞台です。
式の後半にようやく新郎新婦がカメラやビデオ撮影の先導を受けつつ会場に入場し、ケーキカットがあり、その後は、そのケーキのまわりに踊りの輪ができます。地方での自宅の庭での披露宴であれば、この踊りは真夜中を過ぎて続きます。都会の披露宴会場では、最近は大音響は夜10時までという不文律がが生まれつつあるようです。
この式の様式、進行はすべての披露宴でほとんど同じ。あとは、どれだけ盛れるか、飾れるか。
結婚式は、自宅前の道路を封鎖して披露宴会場としてしまうスタイルが多くみられました。この場合、とつぜん道路が片側通行になったり、あるいは完全に封鎖されたりしちゃうのです。警察官も臨時に動員されます(彼らの副収入にもなります)。今でも地方ではこのスタイルが多いでしょう。プノンペンでは、何か所か大きな結婚式場が営業していて、最近はそちらを使うほうが多くなってきました。なんでも、そっちのほうが安くすむそうです。ですから、プノンペンの街中で自宅で披露宴を開くというのは、ある種のステイタスでもあるようです。
さらに、ホテルでの披露宴も増えつつあります。ホテルは、通常の結婚式会場よりも、またワンランク格上な感じがします。
10年以上カンボジアに滞在しているぼくも、これまで何十回と披露宴に出席してきました。正直にいって、どの式もほとんど同じなことに、最近のぼくはかなり辟易としています。すっかり飽きたのです。これまで一度もあったことのない同僚の兄弟姉妹の結婚式にまで呼ばれてしまうわけで、そんな場合はご祝儀だけで勘弁してもらうことが多くなってきました。
忘れられない不思議な披露宴
そんな数多くの結婚披露宴の中、忘れられない奇妙な式がひとつありました。
その披露宴は、季節外れの雨季真っ只中に開かれました。式次第は通常の一通りが行われましたけれど、食事は質素で、ケーキカット後の踊りはまったくなしでした。歌手たちが招かれて大音響で音楽が流れる、ということもなし。静かで、おかげで隣席との会話がしやすく助かりました。
新郎新婦の衣装以外は、なにもかもが地味で簡易な披露宴だったのです。新郎はカンボジア出身の20代前半の年頃、対して、新婦はカンボジア系米国人で30歳ぐらい。封建的な価値観が強いカンボジアでは、姉さん女房はまだとても稀です。
彼女と彼女の両親は、わざわざカンボジアで式を挙げるために、米国から来たのです。新婦とその家族の米国からの旅費を含めて、式の費用はすべて新郎の両親が負担していました。
この披露宴、息子を米国に送り込むための偽装披露宴、つまりやらせでした。来客は祝儀を払わずに、食事をごちそうになりました。大事なのは、披露宴で撮る写真、来客と新郎新婦との記念写真でした。音楽は写真に写らないから、いらなかったのです。
式の後、書類を整えて新郎は米国人新婦の配偶者としてビザを取り、米国に向かいます。式を開いたことを証明する写真は、その手続に必須なのです。このビザを取るまで、式後、数ヶ月かかります。新郎の米国への移住が成功すれば、ふたりはすぐに離婚手続きを取るのだと聞きました。もちろん新婦側には、新郎側から成功報酬が支払われます。
このような偽装結婚は、今でも少なからず行われているだろうと思います。
ぼくが出席したのは、新婦がカンボジア系米国人のケースでした。新郎がカンボジア系米国人である場合は、ちょっと様相が変わります。カンボジア系米国人である男性が、カンボジアにお嫁さんを探しにやってくるのです。そんな男性の人気は高いそうです。お見合いの話は、女性側のほうからどんどんやってくると聞きます。こんな場合は、移住ビザがとれたら離婚となるわけではなく、新郎(あるいは新郎の両親)は、真剣に結婚相手を探すのだそうです。
また、カンボジア系ではない「先進国外国人」のによる、花嫁探しもあります。この場合も、カンボジア花嫁のインセンティブは、海外に移住し豊かな生活を手に入れることです。こちらは米国に限らない。ヨーロッパや韓国、最近は中国も。日本の方もいるかもしれない。業者を通すケースもあれば、知り合いの知り合い、みたいなネットワークを使うこともあるようです。
私事になりますが、ぼくの妻はカンボジアの人。彼女と結婚する際に手続きで訪れた内務省の国際結婚届け出事務所では、お互い言葉もよく通じていないようなカップルが本当にいました。ぼくの妻が、ふたりの通訳をその場でやっていました。あのふたりは、大丈夫だったかな。
先進国外国人の場合、結婚し、披露宴まであげても、相手(男性)が母国に戻ってから、花嫁(カンボジア女性)のビザの手続を取ってくれなくて、結局、ご破算、というケースもあります。実際、身近に2例、知っています。なんだか、ほんと、悲喜こもごもなんです。
それでも海を渡る理由
最初の偽装結婚の場合、おそらく数百万円になる偽装結婚の費用を工面できるのですから、新郎の家族はけして貧しくはありません。貧しくなくても、大金を払って息子を米国に送りたいのは、なぜなのか。
あるいは、空振りのリスクがあっても、紹介された「外国人」と結婚を決めてしまうのはなぜなのか。
米国(あるいは、他の先進国)に行っても、バラ色の生活が待っているわけではありません。馴れない言葉に苦労するし、移住者の多くは単純労働に従事しています。でも、単純労働でも、米国での収入はカンボジアでの数倍になります。公務員では、規定の給与では月収が日本円で10万円を超えることは難しい。ほんの10年前なら、初任給として1万円ももらえないような状況でした。米国では、単純労働でも20万円以上にはなる。市民権が取れれば、カンボジアの家族も呼びよせ易い。
米国やフランスに親戚がいるというカンボジアの人は、少なくありません。移民の背景には、あのポルポト時代があります。あのとき、カンボジアからの脱出に成功した人の多くが、海外へ、わずかなつてを頼って移住しました。(日本にもそんなカンボジア系日本人がいますけれど、その総数は欧米に逃げた人たちよりはずっと少なかったのです。)
そして、そんな遠い親類縁者を頼って、さらに彼らは越境する。その切実なその思い。経済成長が続くカンボジアですけれど、この一方通行の流れは、簡単には止まるようには思えません。
さらに、ここ数年のカンボジアの政治状況、つまり開発独裁が、経済的には恵まれた層が、保険として海外移住の道を確保しようとする傾向が強まっているように感じます。米国や、仏国や、豪州や…、カンボジアのリーダーが、キプロスの国籍を買ったという報道もありました。
今でも、カンボジアの若者と話していると、彼らの米国への憧れのようなものを、感じます。おそらく、戦後の日本もそうだったのでしょう。トランプが大統領でも、銃乱射事件が起こっても、世界で一番貧困格差問題が深刻な国といわれても、USAのブランドはカンボジアではまだまだ高い。
越境先に夢を見る。それは誰もが持つ、感情かもしれません。理由はさまざまだけど、みんな生きるのに必死。なんだかなぁ、と思いつつ、そんな気持ちを、ぼくはけして笑えはしないのです。


















カンボジアの結婚式の様子を楽しく拝読、後半からは驚きの事情も書かれていて深かったです。
Yumiko様
コメントありがとうございます。
結婚式は、いずこも土地柄が出て、楽しく面白いですよね。
カンボジアでも、結婚式をあげずに結婚を書類だけですませる若いカップルもごくごく稀におられます。
これから少しずつ、個性豊かなスタイルがでてくることを楽しみにしているところです。