「どこでもドア」、ぜったいこれで決まりでしょう?
長いこと生きていると、必ず出会う問いというのがあるものです。
私の世代ならばどうしたって避けられないのは、「ドラえもんのポケットから出てくるもので、一番欲しいのはなに?」という問いでしょう。ドラえもん、漫画雑誌に最初に連載されたのは1969年だそうです。私は5歳だ。
もし藤子・F・不二夫 先生がご長命であれば、ノーベル賞候補(文学賞か、平和賞か。ドラえもんを量子物理学的予言の書と理解すれば、物理学賞の可能性もあったかも?)だったのは絶対に間違いのない不朽の名作です。「クレヨンしんちゃん」と並んで、東南アジア諸語に翻訳されて子どもたちから愛されているドラえもん。「クレヨンしんちゃん」よりは、ノーベル賞っぽいでしょう?
そして、このごくごく一般的な質問への私の回答は決まっています。どう考えても「どこでもドア」一択です。ある時期(高校生ぐらいのころかなぁ)、「暗記パン」の魅力にも少しばかり惹かれましたけれど、でも暗記パンはたしかウンコとして排出されてしまうと、記憶も失せてしまうんじゃなかったでしたっけ。定期試験はいつも一夜漬けでギリギリこなしていたのですから、試験が終われば忘れてしまってもまったく問題はなかったのですけれど。
とにかく、「どこでもドア」の利便性と比較すれば、「暗記パン」なんぞどうしてってたいしたことない。
「どこでもドア」も「暗記パン」も、ドラえもんの腹部にあるポケットにしまってある、未来に存在する便利な道具の名称です。「どこでもドア」は、行きたい先をドアに告げてノブを回してドアをあければ、ドアの向こうは希望する目的地という優れもの。発明者は各種旅行会社や航空会社からゴルゴ13を差し向けられたであろうことに疑いは一切ない。 「暗記パン」は、食パンの一種で、何かが記載されている本やノートに押し付けるとそのページの内容がパンに写し取られ、そのパンを食べることで写し取った内容を正確に記憶できるという代物です。
その他何か有力候補はありますか? 「タケコプター」を推す向きもあるようですけれど、あれは単に遊びにすぎません。「タイムふろしき」は確かに有力な対抗馬になり得ますけれど、時間を戻すとか進めるとか、昔から私はあんまり好みじゃないみたいなんです。これはのび太の勉強机の引き出しにつながる「タイムマシン」 にもいえることです。人生、やり直しも早送りもできないからこそ、面白い(「どこでもドア」にもタイムマシン要素が含まれているようですけれど、まぁ細かいことは忘れてください)。
とにかく「どこでもドア」はすごいですよ。圧倒的な現実的利便性。20代後半に青年海外協力隊に参加して2年間暮らしたアフリカ/ケニア西部のクウィセロ村にいたとき、心底「どこでもドア」があったらなぁと恋焦がれました。だって、日本とのやり取りで郵便ハガキがAir Mail(航空便)でも片道1カ月かかったのですよ。返事が来ても、2か月前に書いたことなんか忘れちゃってる。ケニアでの日々はとても楽しく貴重でその後の私の人生を方向づけたのですけれど、あの日本との果てしないように思えた遠距離が辛くてくじけかけたこともあったのです。
あのときに「どこでもドア」があれば、俺の人生もずいぶんと大きく変わっていただろうなぁ。せめてインターネット通信があったらなぁ……。
でも、本気で考えれば、やっぱりあの絶望的な距離が良かったのです。心底、鍛えられた。
その観点で書けば、今のように世界中どこでもインターネットがつながるって、やっぱり簡単すぎないか? もはやどこに行っても何をやっても、誰もがどこか腰掛気分。現地にどっぷり没頭できない。支援業界では、どうしたってスポンサー様が気になるわけです。たとえばカンボジアでの支援活動だって、意識は日本(スポンサー)に向いてしまうというように。インターネットはこの縛りを徹底的に強化してしまうのです。現地にいるのに、顔が現地に向かない。一番エネルギーを使うのが、スポンサーへの報告書とか、定期業務連絡とか、ね。でも、それはさぁ、やっぱりつまんないんじゃない?
もし「どこでもドア」があったら、やっぱり気持ちが任地に集中しなくなるってことかな。それならやっぱり、私は「どこでもドア」への一票は引っ込めようかしら。さて、どうしたものか。もう少し時間をかけてかんがえてみたほうがいいことなのかもしれません。便利って、堕落なのかもしれないですね、知らんけど。
正しい答
問 4歳の電車が大好きな男の子。大きくなったらなりたいものはなーんだ?
岸本佐和子著『分からない』(白水社 2024)を読んでいて、私が即席で作ったなぞなぞです。

岸本佐和子さん、英語本の翻訳者、とのことですが、私は全然存じ上げなかった。なぜこの本が私の積読本の中にあったのかも不明。多分、読んだ本の中で紹介されていたのだろうと思いますが、そのきっかけをまったく思い出せません。でもこの本、無茶苦茶面白い! このなぞなぞが生まれた元となるエピソードは、本書70ページに書かれています。
問いを投げられたサンワーは、「う~ん、電車のエンジニア? あ、電車の運転手か!」。 サンワーさん、期待通りの回答で本当に素晴らしいです。
「ブブーッ。正解は……、電車、です」
しばしの沈黙。そしてサンワーが「正しいね」とつぶやく。うんうんその通り、まったくもって正しい!
それからふたりで、涙が出るまで声を潜めて笑いました、とさ。
でも、私自身を思い返すと、私はこの「正しさ」を欠いた子どもだったような気がします。たとえば私もバスが好きでしたけれど、なってみたかったのは最初から「バスの運転手」だった気がする。「バスになりたい」と考える正しさを持っていない子どもだったのです。そこがダメだったな、なんか悔しいね。ませたガキで、計算高かかったのです。
どこですか?
小学校2年生のときのこと。小学校2年生とはっきり覚えているのは、担任の先生がその1年間だけクラスを持ってくれた村上純子先生だったからです(クラス担任を持ってくれたときには高野純子先生だったけれど、その1年間のなかで結婚され、村上先生になられたのです)。村上先生は、たしか教師になりたて1年目で、最初に持ってくれたのが私たち2年3組だったのではなかったか。
村上先生との思い出はいくつかあるのですけれど、今回はその一つをご紹介します。
宿題のプリントに「外国の地名を書きなさい」とあって、回答欄が二つあったのです。おそらくようやくカタカナを学習して、その応用問題にどんどん入っていったころだったのでしょう。もしかしたら夏休みなどの長期休みの宿題帳だったのかもしれません。
期待されている回答は、アメリカ、フランス、ハワイ……、というようなこと。
上述したようにカワイクナカッタ哲也少年は、死んでもアメリカとフランスとかありきたりな地名は書きたくない。父の本が並んだ本棚から、なにやら厚い世界地図を取り出して開きます。
狙うのは、あくまで国名。インドの隣にある小さな島の上にみつけたコロンボという町の名前にはかなり惹かれたように思うのですけれど、町の名前まで細かくなるのはちょっと狙い過ぎと思っていた。それに、刑事コロンボ(コロンボの声は小池朝雄)の放映はまだ先の話。
アルゼンチンやパラグアイではまだ満足できない。南アフリカ共和国は漢字がはいっているから、ダメ。エジプト、ありきたり。チェコスロバキアとか、ユーゴスラビアはなんかカッコよすぎ。ペキン(北京)? ピョンヤン(平壌)? だめだめ、日本から近すぎる。
哲也少年の熟考は、かなり長い時間だったように思います。そして、最後の最後に選んだのは「ダオメ」と「トーゴ」。
西アフリカの、ガーナの右側(つまり東側)に並んでいた小さな国の名前でした。短い地名で、わけがわからない、というのが決め手だったように思います。両者が隣り合っているのがちょっと玉に傷ではあったのですけれど、村上先生の手間を多少は省けるという考えもあったかも。とにかく何度も消しゴムをかけて少々汚くなってしまった回答欄に、このふたつを並べて書いたのでした。
今確認すると、ダオメはダホメ王国、さらにダホメ共和国が正式名だったようです。だった、と過去形で書くのにはもちろん理由があって、1975年以降はベニン人民共和国と国名を変えているのです。

上の地図は、大西洋の一部であるギニア湾に面した西アフリカ諸国です(地図はGoogle Mapから)。ガーナとナイジェリアに挟まれて、ベナン(旧ダオメ)とトーゴの名前が見えます。
う~む、私のアフリカ志向は、もしかしたら小学校2年生のこのあたりに端を発しているのかもしれません。
さて、宿題を村上先生に提出し、返却をわくわくしながら待っていると、やがて採点が終わったプリントが返って来たのです。ダオメとトーゴと書いた欄には赤字で「?」が記入され、「どこですか?」のコメントがありました。「えー。地図の索引を調べてくれればいいのにぃ!」と思った気がします。真剣に挑戦を挑んだのに、さらっとかわされてしまったような気分。この件の記憶はそこでお終いです。あぁいうのを、空廻った、というのだろうなぁ。
とにかく、ダオメとトーゴを書いたことを覚えているのは本当にホントウに本当のことなのです。そして、残念なことに、今に至るまで私はトーゴもベナンも訪問する機会がないままです。
村上先生は、その後早めに退職されて、熊本の阿蘇のふもとでウクレレを弾いていたはず。ここ数年ご無沙汰ですけれど。ダオメとトーゴ、覚えておられるかなぁ……。きっと忘れているよなぁ。
バカじゃないの?
山野井泰史という登山家がいます。沢木耕太郎が書いた『凍』の人、と書けばピンッと来る人もおられるでしょう。本物の登山家の多くが、いつかどこかの壁から落ちて人生を遂げてしまう中、山野井さんは不思議にもいつも帰ってきた。あぁ、凄い人です。彼のパートナーである山野井妙子さんもクライマーで、やはり凄い人。
山野井泰史さんは1965年4月の生まれで、私は1964年4月です。学年ではひとつ違いですけれど、私は彼と同世代。そう思うと、「俺はあの山野井さんの同世代なんだぜ」とちょっとつぶやいて、思いっきり息を吸い込んでゆっくりと吐いたり、そんな気持ちになります。もちろん、私は彼と一面識もありません。
積読本の中に『CHRONICLE 山野井泰史 全記録 心のまま、熱狂的に登り続けてきた半生。10代の武者修行からヒマラヤを舞台にした数々の登攀、再起を果たした現在まで、折々の手記と豊富なしゃしんで主要な登攀を追う』(山と渓谷社 2022)を見つけ、数時間、熱中してしまいました。
彼は、フリークライミングに熟練し、その技術を用いて世界のビッグウォール(巨大壁)の登攀を、その多くは単独で挑戦してきた人です。ビッグウォールと対峙するときは、必要に応じて落下しないようにピトンやペグで確保措置を取りますけれど、ときには70度の斜面でも命綱なしで這い登る。
彼の若いころの語りから。
プレッシャーというか、危険は僕は好んでいますから。いや危険というよりも危険を克服することかな。危険がなかったら面白みがないでしょ。だからどんな壁に行く時でもそれなりのプレッシャーは必ずありますよ。(50ページ)
「危険がなかったら面白みがないでしょ」 そうなんだよなぁ。壁の写真を手に入れて、それを飽きることなく眺めてルートを想像する。
次は経験をつみ、修羅場を何度もくぐってからの語りから。
だから年がら年中、山の資料に埋もれて、ずうっと見てますよ。それこそ10歳のときから山登りを始めて、寝てるとき以外、1時間たりとも山のことが頭から離れたこと、たぶんこの30年間一回もない。次どこ行こうか、夢の中でも考えている。(235ページ)

ちょうど仕事を終え帰宅したサンワーに、本の中にある壁登攀の写真を見せる。感嘆の表情と共に彼女がつぶやく。
「…バカじゃないの」(日本語でした)
いやー、サンワーさん、世間を代表するかのような期待通りの反応が素晴らしい。「そう、バカだよね。でも、だからすごい、ほんとうにものすごい」。
山野井さん、全記録、どうもありがとうございます。どうぞ特に急ぐことなく、死ぬ日がくるまで、生きましょうお互いに、それほど誇れることのないこんな世の中ですけれどさ。

















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