小説『アンクル・トムの小屋』は、1852年(江戸時代嘉永5年、ペリー艦隊による黒船来航の1年前)に米国で出版された。著者は通称ストウ夫人として知られている、ハリエットビーチャーストウという女性だ。
1861年から4年間続いた米国南北戦争開戦にいたる反奴隷州(反南部)に思想的影響を与えたとされる。1863年の戦争中に、リンカーン大統領が「The little lady who made this big war(南北戦争を引き起こした小さな婦人)」とストウ夫人に挨拶したという逸話が残っているそうだ(ただし、リンカーンが『アンクル・トムの小屋』を読んだ証拠はない)。[1]
ぼくが『アンクル・トムの小屋』を読んだのは、小学生中学年か高学年じゃないかと思う。1970年代前半のことだ。しかも、読んだのは、多分、子ども向けの普及版だった。かわいそうなトムの境遇に心痛め、それでも誠実な心を失うことのなかったトムを尊く思い、人を商品としてあつかう奴隷制に怒りを覚えるという、至極当たり前な印象を持った覚えがある。
そのトムが、米国アフリカ系の人たちの間で「白人にぺこぺこ媚を売る人」という意味で使われていると知ったのは、高校生になってからだ。「あいつはアンクルトムだ」、「そんなアンクルトムみたいなこと言うなよ」と形容される側にとって、それはとてもネガティブな意味になる。おそらく本多勝一の著作で知ったのだと思う。朝日文庫で本多の『アメリカ合州国』が出版されたのは1981年、ぼくが17才のときだ。
ぼくにとって、『アンクル・トムの小屋』は、米国の奴隷制を批判し告発するものだった。だから、たとえば、「奴隷じゃない」という意味で「私たちはもうアンクルトムじゃない」という使い方がされるのであれば、まだわかった。ところが、実際の使われ方は、アンクルトムが白人側につく人、奴隷の子孫にとっては「裏切り者」のように扱われている。どうしてそういう逆転が起こってしまうのか、当時のぼくにはまだよく理解できなかった。
それでも、ぼくにとって、アンクル・トムの意味、あるいは価値観が180度反転したかのような「知らなかった事実」は衝撃だった。本多の著書(どの本だったかは思い出せないまま、今はその確認もしないで済ませてしまいますけれど)で書かれていた次のようなシーン、“アポロ11号が月着陸に成功したとき(日本時間では1969年7月21日お昼前、アームストロング船長の“最初の一歩”を、自宅の白黒テレビで見ていた覚えがぼく、5才、にはある)、ニューヨークの黒人街の人たちが「あんなものは白人のショーで、私たちには関係ない」と、テレビを見てもいなかった” も、とても強く印象に残っている。人類史の特筆すべき大事業(とぼくは思っていた)に対して、当の米国内から、こんな冷ややかな視線があったということも、ぼくの「知らなかった事実」だった。それまで見えなかったものが、見えた(ような気がした)ことに、ぼくは大興奮したのだと思う。
意味の転換。価値観の転換。今思えば、あのとき、それまでぼくのまわりにあった壁が崩れた。開けた視野の先には、おそらくまた違う壁が張り巡らされていただろうけれど、とにかく、ぼくはひとつ境界を超えた(気になった)。最初の、そして今のぼくに影響をおよぼし続けている、小さな革命だった。
さて、この投稿を書くにあたって、近所にある公立図書館で『アンクル・トムの小屋』を探した。蔵書を検索してみると、明石書店が1998年に発行した同書の新装版(2017年)『新装版 新訳アンクル・トムの小屋』[2]と、1986年に出版された英語版[3]の2冊だけが見つかった。自分が読んだような、子ども向けの普及版はその図書館には、なかった。
おそらく45年ぶりに手にした『アンクル・トムの小屋』は、思っていたよりもずっと厚い大著だった。
明石書店版の訳者あとがきによれば、いくつかあった翻訳本は一般の需要がなくなり、とうの昔に廃棄本か絶版になったという[4]。そして訳者は書く。
…『アンクル・トムの小屋』という作品が、文学的にも社会的にもこれまで不当に評価されていたというのは、まぎれもない事実だろう。六〇年代の公民権運動の時代には作品とはまったく無関係に「アンクル・トム」という黒人像が勝手に一人歩きさえしてしまった。だが、その多くは誤解に根ざしていたと言うべきである。[5](強調文字はこの投稿の筆者による)
なるほど。とにかく、本にさぁっと目を通してみる。なんとも宗教(もちろんキリスト教)臭い話だ。さらには説教臭い。でも、その「説教」は、たとえ宗教的価値観に強く裏付けされたものであったとしても、当時の奴隷制というシステムに対する真っ向からの批判だ。さらに、アンクルトムは、たしかに世の中のすべてを「神の思し召し」と解釈してしまう、ぼくには愚かに思える存在だけれど、けして白人にペコペコしてはいない。物語の最後では、悪徳奴隷商人(もちろん白人)の命令を拒絶することで、死を迎えている。
で、再読(精読ではなかったけれど)の結果、今のぼくの結論。明石書店版の訳者が書いた “六〇年代の公民権運動の時代には作品とはまったく無関係に「アンクル・トム」という黒人像が勝手に一人歩きさえしてしまった。だが、その多くは誤解に根ざしていたと言うべきである。” という解釈は、そのとおりだと思う。実際のアンクルトムは「白人に媚びる黒人」ではなかった。
一方で、作者の意図とは関係なく、「アンクルトム」という意匠は「裏切り者」という化粧をほどこされ、20世紀後半の東洋の島国で、17歳に小さな革命をもたらした。当時の若者が、化粧をそのままトムの本質かのように誤解してしまったのは、トムにとっては不幸だったとしかいいようがない。自分の誤解については、トムとストウ夫人、本当にごめんなさい。
けれど、彼の名誉回復にエネルギーを注ぐことが本稿の目的ではない。それよりも、目の前の壁が崩れて視野が広がったように思えるあの衝撃、『越境ひっきりなし』としては、そのことを書いておきたかったんだ。
ところで、最後にちょっとだけの疑問。日本語訳で、トムは自分のことを「おら」と呼ぶ。たとえば「あなたのために、おらが神様に祈りますだ」というように。その英語は「I pray the Load for ye」になる。
一昔前、プロ野球でのこと、アフリカ系助っ人と白人系助っ人とのインタビューの訳し方が違うことがあったように思う。アフリカ系だとすこし乱暴な言葉を使った訳し方になって、白人系だと丁寧な語調になる。たしかにスラングや語調などの使い方で、日本語訳の語尾の雰囲気がかわるってことはあったのだろう。けれど、通訳者の「価値観」もあったんじゃないかなと、ぼくは疑っている。
やがてトムが「おら」ではなく、「わたし」と話し出すときが、日本語版ではくる日があるのかな?それは文学や翻訳という点からは、どう理解すればいいのだろう。
[1]リンカーンがストル婦人に伝えた言葉に関しては以下を参照。
19ページ “Uncle Tom’s Cabin or Life Among the Lowly” HARRIET NEECHER STOWE, PENGUIN CLASSICS 1986
リンカーンが『アンクル・トムの小屋』を読んだ証拠はないという点に関しては以下を参照。
545ページ 『新装版 新訳 アンクル・トムの小屋』ハリエット・ビーチャー・ストウ/著 小林憲二/訳 明石書店 2017
[2] 注1で参照した明石書店版
[3] 注1で参照したPENGUIN CLASSICS版
[4] 611ページ 明石書店版
[5] 612ページ 明石書店版

















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