ゲートが道を塞ぐ、こと。

封鎖が続くプノンペン市。赤い地区が特に厳しく封鎖されている地区。私の暮らしている場所はオレンジ色。

今もあちこちで塞がれている、道。

 日本で生活していて、突然道がゲートで閉じられるという経験をしたことがあっただろうか?過去の記憶をたどってみる。でも、思い出せるシーンが見つからない。
 昭和が終わったときはどうだっただろう?ぼくが知らないだけで、国会あたりでは道が鉄柵で塞がれるということはたびたびあるのかもしれない。大きなスポーツイベントでもあれば、観客の誘導に道が塞がれるということはあったかな。
 そういえば、歩行者天国では道が塞がれますね。でも鉄柵ってことはないなぁ。交通整理に使われる赤いコーンで十分だろう。
 そういえば、成田空港に向かう道路にはどっしりした大きな鉄柵がありますね。それが動かされて道路が封鎖されている風景にはめったにお目にかかることはないけれども。

 日常に使う道が、突然に塞がれる。世界ではそんなことが実はあちこちで起こる。たとえば、ミャンマーでは今そんな風景は日常になってしまっているだろう。最近、次のような記事も新聞で見かけた。

 エルサレム、治安当局とパレスチナ人衝突 報復攻撃も:朝日新聞デジタル (asahi.com) 
 ユダヤ教、イスラム教、キリスト教の聖地があるエルサレム旧市街付近で、イスラエルの治安当局とパレスチナ人の対立が続いている。緊張緩和を模索する動きも出ているが、パレスチナ側は反発を強めており、対立の激化も懸念されている。
 緊張が高まっているのは、イスラム教のラマダン(断食月)が始まった今月中旬以降。エルサレム旧市街入り口の門近くに、イスラエルの治安当局がバリケードを設置してパレスチナ人人の出入りを制限し、反発が出ていた。
 さらに今月22日には、極右のユダヤ人グループらがエルサレム市内で「アラブ人に死を」と叫び、パレスチナ人排斥を訴えて行進した。抗議に集まったパレスチナ人とイスラエルの治安当局が衝突。パレスチナ側によると、100人以上がけがをし、50人以上が拘束された。AFP通信によると、対立の激化を受けてイスラエル当局は25日夜、旧市街近くのバリケードを撤去した。事態を沈静化させるためとみられる。

 イスラエル治安当局とパレスチナ人の対立と読むと混乱するけれど、おそらくこの場合のパレスチナ人はイスラエル在住の人たちで、つまりは国籍はイスラエルということになるのじゃないだろうか。「アラブ人に死を」と叫ぶ極右ユダヤ人グループって、イスラエルにはヘイトスピーチ規制法はないのだろうか?あったとしても、「ユダヤ人に死を」と叫ぶイスラエル人にのみ適応されるのかしら。

 何人であろうと、聖地につづく道が突然バリケードで封鎖されたら、反発が出るのは当然だろう。今回の「パレスチナ人の出入りを制限した」理由まではわからないけれど、イスラエルという国の差別性は、はたから見ていても本当に辛い。ヘイトスピーチ規制法が必要な国のパスポートを持つぼくが言えることではないのかもしれないけれど。

塞がれる道の、禍々しさ

 で、道が鉄柵で塞がれる。それは今ぼくがいるプノンペンでも起こっている。
 カンボジアの首都プノンペンに出されていたロックダウン(封鎖)は、2週間が過ぎた今日4月28日から、さらに1週間の延長となった。ロックダウンは一部の地方都市でも始まり、当地では新型コロナによる混乱は続いています。

 ロックダウンとなれば、こちらでは路上に鉄柵が設置される。ぼくが1週間前に日本からの渡航後の隔離期間を終えて帰宅する際にも、主要な道路に鉄柵は設置されてたけれど、検問は実施されておらず、車は速度を落としてそこを順々に通過していた。でも、いつそこが閉じられるかは市民にはわからない。閉じられてしまえば、通過のためには通勤を証明する会社からの証明書や、地域の臨時委員会からの許可書といった書類が必要となる。報道によれば、書類が合っても、なかなか通してもらえないケースもあったようだ。

 カンボジアの事例を報告する際に、「日本の規制と比べてカンボジアは厳しい」と書かれることが多く、それに続けて「日本の規制は緩い、甘い」という形容も目にすることがある。日本と比較して医療体制が脆弱なカンボジアでは、厳しい規制も仕方がない、当然だ、という感覚を持つ人が、カンボジアの人たち、外国籍の生活者ともに多いようだ。

 今日、インターネット内で見た記事によれば、プノンペン市内で特に厳しい規制対象となった「レッドゾーン」では、自宅の外に出るのも禁止で、違反すれば逮捕されることもあるという。実際、ぼくの友人夫婦は、レッドゾーン地区の親戚を訪ねていたときに規制が始まり自宅に帰ることができなくなっている。3人いる子どものうち、一番下のひとりは夫婦に同行して一緒に親戚宅にいるけれど、残る2人は自宅にいるので、もう何日も会えずにいる。幸い、子どもたちの面倒を見る大人は自宅にいるので心配はないそうだけれど。

 そんな事例を耳にすると、「道が塞がれる」ことの重大さを簡単に仕方ないとすませていいのかどうか、ぼくにはよくわからない。事情は違うとはいえ、たとえばドイツや朝鮮が分断された際にも、突然封鎖された道を挟んで長いこと(あるいは永遠に)離れ離れになった親密な人たちが多数あった。そんなことを思い出す。

 封鎖された道路で、鉄柵の前で、どんなに言葉を尽くしてそこを通らなければならない事情を語っても、権力という装置は容易にそれを許さない。権力という装置も、矢面にたつのはやはり人だ。警察官だったり、軍だったり。懇願する人を前に、無慈悲に首を横に振り、「あっちへ行け」と手で追い払うのも人。両者の立場は、本当はいつ入れ替わるともしれない(イスラエルのケースだと、追われる側と追い払われる側が入れ替わるというイメージを持つのは難しいかもしれないけれど、でも、やはり「入れ替わる」というのは歴史的事実でもあるはず)。
 同じことは、今、沖縄の辺野古でも起こっているし、つい最近まで(?)成田で起こっていたし、きっと明日、新しいどこかで起きる。そういえば、そんな流れの中で「校門」という場で柵に挟まれ生命を落とした若い人が、ぼくの育った社会にもいた。あのとき重い柵を閉めた人は、今どこで何をしているのだろうか?存命ならば、あの記憶を背負っておられるはずだ。明日、流れるチャイムと同時に校門を閉める誰かは、その痛みを想像したことがあるだろうか。

 もう一度書く。コロナが理由だとしても、柵が道を塞ぐというのは生々しく禍々しい。だいたい、今、コロナの完全なる封鎖を目指したとして、それはいつ開放に向かうのだろう?国を、社会を、閉め続けるつもりだろうか?予防注射も、感染を100%防ぐものではけしてない。今世紀、これからぼくたちは何度境界で足止めを食らうのか?苦しいけれど、馴れたくはないなぁ。

 ひとつ確かなこと。大事な人とは離れないほうがいい。おそらく、きっとそうだ。
 あと、ぼくは封鎖する側には、立ちたくないなぁ。

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