今から4年近く前、ギランバレー症候群で突然身体が動かなくなってしまった高校の先輩と一杯やったという投稿をしたことがあります。
難病・車イスの世界へ ギランバレー症候群に罹った高校の先輩 – 越境、ひっきりなし (incessant-crossingborder.com)
その先輩、手塚さんのご紹介で、今度は「ギランバレー症候群 患者の会」ギラン・バレー症候群 患者の会 (gbsjpn.org)代表の上田肇さんとお会いするご縁があったのです。しかも、プノンペンで。
数日前に連絡をいただいて初めてお会いする上田さんは、世界中どこに行ってもレスペクトしてもらえるだろうホーチミン髭スタイルのちょっと透明感のあるようなお人柄の方なのでした。
コロナ禍で出かける機会が少なくなった際から伸ばし始めたというお髭、たいへん似合っておられます。これは昨今の若者が“髭まで脱毛”するような風潮に少々反抗したい、という気分もあるのだ、ということなのです。ホーチミンはああ見えてやっぱり筋金入りの反抗派でありますから、そのあたりの気概も十分と見ました。
ギランバレー症候群、詳細はギラン・バレー症候群 – Wikipediaなどを参考にしてください。ごく簡単に書くと、急性の神経炎で重症化すると全身が動かなくなり、呼吸困難にもなってしまう毎年10万人に1~2名が発症する難病のひとつです。
私に上田さんを紹介してくれた手塚さんは52歳のときに発症、そして上田さんは55歳のときに発症。お仕事バリバリの日々の中で、突然数日であっという間に身体が動かなくなってしまう、人工呼吸器を装着しなければ死んでしまうような状況になってしまう。
まさに突然事故にあって障害を得てしまう脊椎損傷(私が障害を得たきっかけもこれ)と同じようなことなのです。
上田さんのキャリアも他者からみれば、かなりの成功者と思えるような歩みです。
上田さんのお話を聞きながら、やっぱりどうしたって障害の受容というような話になります。「死にたくなったということは、ありましたか? 生きていてもしょうがない、みたいなふうに思ったことはなかったですか?」と尋ねたのです。
上田さんの場合は、「どういうわけか、死にたいと思ったことはなかった」ということなのです。明日をどう生きればいいか、という不安はあったそうですけれど、自死を思うようなことはなかったと。私と同じだ。
私も突然降ってわいたように下半身完全麻痺の障害を得た際、その後のリハビリの日々、思い返してみても「死んでしまいたい」と思うことはなかったように思い出すのです。障害の受容でそれほど気分的に苦しむことはなかった。そりゃ、思い通りに動かない身体にいらいらして悪態をつく、つくづく嫌になる、ということはあったけれども「もう生きているのは嫌だな、死んだほうがマシだな」と思ったことは、私もなかった。
上田さんに少々深堀して聞いてみると、順調に見える人生もやっぱり山あり谷あり、しかもかなり深い谷が(ギランバレー症候群に出遭う前に)あったそうなのです。
私にもあった。
もしかしたら、それぞれ病気や事故と衝突するように出会う以前に、どれだけしっかりと「深い谷」を経験していたことが、それぞれの障害に対してそれほど負の気分にならずにやり過ごせたことに繋がっているのかもしれませんねぇ、なんて話を初老のふたりはしたのでした。
「過去の自分に戻りたい」と中途障害を持つ者は思う。障害を得る前の自分がスタンダードだと、障害後の自分はかなりダメダメに思える。価値がないように、思える。生産性がないと、生きている意味がない、ように思える。
結局、新しい自分、新しい人生、を容認できるかどうか? そのためには新しい価値観、つまり新しいスタンダードが必要になる。そういうことなのかしらねぇ。
そして、深い谷に落ちたことがあると、その谷から生還するためには、やっぱり新しい自分を作り直し、新しい価値観と出会う(あるいは価値観の更新を行う)必要があった。そりゃなんでも最初は大変、でも二度目は最初の経験があるから楽になる。そういうことなのかもしれません。
けれども。例えば今「絶望の淵」に立つ人に、「あんた、これまで深い谷を経験してないからダメなんだよ」って伝えたところで、なーんにもならんですわね。上田さんも私も、たまたま生還経験があった。それがギランバレー症候群が身におこったときに、脊損者になったときに、少々役に立った?ということだったわけで。無理して、谷に落ちる体験をしておくことはないわけだ。
でも、もしも辛いことがあって、そこから脱しようとする人がいれば、「この経験は、あんたをタフにするよ」と一言かけてあげたい気はするのです。
上田さんは、その後、心筋梗塞も体験し、AED(自動体外式除細動器)によるいわゆる電気ショックでの蘇生も経験されています。このときは、さすがに「神様、ギランバレーの次は心筋梗塞ですかぁ、勘弁してくれよぉ」という気分になったと笑う上田さんなのでした。
上田さんがカンボジアを訪ねたのは、今回は特に何が目的というわけでもなく、元気になってきてそろそろ一人で海外旅行にもチャレンジするか、ということなのです。上田さんは、例えば今は歩行もOKですし、歩いている姿をみれば非障害者と区別がそれほどつきません。おそらくかなりしっかりとリハビリテーションを励んだということなのだと想像します。
発症直後は、手も足も自己呼吸もできなかったことを考えると、ものすごい回復ぶりです。
ご自分で「株式会社ホワイトクラウド・コンサルティング」株式会社ホワイトクラウド・コンサルティング (whitecloud-consulting.co.jp)という会社も経営されています。まさに生還者なのだなぁ。
ギランバレー症候群にしても、交通事故(あるいは転倒事故)での脊椎損傷にしても、あるいはそのほかの難病や事故、そしてそこからやってくる障害(老化も障害につながりますしね)に、これを読んでいる元気満々のあなたが出会う可能性は、やっぱりゼロではないのです。 あなたでなくとも、家族や友人を加えれば、出会いの確率はどんどん上がる。
だからね、そんなとき、経験者とのつながりはあって「損」はないのよ。必要がありそうならご一報ください。上田さん、ご紹介しますよ!
ということで、ではでは、また。上田さん、どうもありがとうございました。お互い元気でなんとかやり過ごしましょう。再見!


















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