ダバオと日本の、かなり親密だった関係
1998年から2001年にかけて、ぼくはフィリピン最南部のミンダナオ島ダバオ市にある教育事務所で働いていた。
ダバオと日本の縁は深い。
日米の太平洋戦争はハワイ真珠湾への日本軍攻撃(日本時間で1941(昭和16)年12月8日、米国時間なら7日)で始まったことはよく知られている。その直後、台湾から飛んだ日本軍飛行機によってダバオのササ空港が爆撃されている。そして、開戦から2週間もしない12月20日は、ダバオは日本軍によって制圧された。
日本軍がダバオ制圧に高い優先順位をつけた理由は、当時ダバオには在留者2万人を数えた日本町があり、その日本人たちの保護するためだった。開戦直後、フィリピンを統治する米国の方針により、ダバオの日本人町の住民たちは、強制収容所に送られ、その際の混乱で50名を超える死者も出たという。日本軍により短い収容所生活から開放された在留邦人の中には、仕返しとして米軍に協力したフィリピン人を暴行・殺害した人たちもいた。
どうしてダバオに多くの日本からの移民がいたのか?
と、話は1903(明治36)年まで遡る。
スペインからフィリピン諸島を奪った米国による統治のこと。ルソン島の首都マニラの乾季の厚さに辟易した植民地政府が、避暑地として開発しようとしたルソン島北部のバギオへの自動車道(ベンゲット道路、全長41Km)の建設を開始したのが1901(明治34)年。その労働力として日本(主に沖縄)からの移民1500人を招聘したのが1903(明治36年)。山間部をうねるように登るベンゲット道路の建設はとても大変な作業だったという。その後も継続的に移民の移入は続き、1905(明治38)年に道路は完成したときにまでに、700人の日本人労働者が事故や、マラリア、赤痢などで死亡したそうだ。
道路完成後、その移民労働者をどうするかとなったときに、ダバオでのアバカ麻(マニラ麻)のプランテーション事業の労働力として“平行移動”させた(太田恭三郎という人物がリーダー格だったそうだ)のが、ダバオの日本人町誕生のきっかけだった。アバカ麻は船舶用ロープとして、当時は大きな需要があった。
この大田恭三郎という人物は、神戸出身で20代前半に日本を飛び出し、オーストラリアの木曜島(オーストラリア大陸とパプアニューギニア島の間に位置するトレス海峡島嶼の中の島。19世紀後半に真珠貝採取ダイバーとして千人を超える日本の若者が主に和歌山から契約移民として海を渡った)や香港で、今でいう起業センスを磨いた、時代の寵児のひとり、ツワモノの越境者、だった。
(この辺りの記述は、ダバオ – Wikipedia、や、昭和17年出版 柴田賢一著『南洋の歴史と現実』帝国産業法規社, 1942/以下の国会図書館デジタルコレクションから、などを素にまとめています)
南洋の歴史と現実 – 国立国会図書館デジタルコレクション (ndl.go.jp)
木曜島への日本からの移民についてはこちら → KJ00007823821.pdf
日本人会と日系人会の微妙な関係
ダバオには2000年当時、首都マニラの日本大使館下の総領事館があったのはダバオだけだった(現在はセブにもある)。詳細な経緯は知らないけれど、ダバオに総領事館が設置された理由のひとつは、ダバオに多くの日系人が暮らしているからだろう。
1944(昭和19)年、「I shall return!」の宣言通り、フィリピンからいったん逃げ出した米軍マッカーサー将軍率いる米軍は、フィリピンの日本軍を攻めた。ダバオの日本人町は激戦地となり、住民の多くが、日本軍とともにダバオの奥地の山岳地帯に逃げた。ジャングルの中をさまよい、飢餓状態となり、軍人も市民も多くの犠牲者が出ている(ダバオ – Wikipediaによれば、数万人)。
その後も、日本人と結婚したフィリピン人や、その子息らへの迫害は長く続いた。多くの子息が、自分の親や祖父母が日本からの移民、あるいは日本軍人だったことを隠して生活することが多かったと、ぼくもダバオではたらいていることに聞いたり読んだりした。
子息の中には、戦後、日本国籍もフィリピン国籍もない無国籍者とならざるを得ない人たちもおおかった。そんな無国籍者の“日系人”が、今も国籍認定を求めて日本政府と交渉している。
2020年にひっそりと公開されたドキュメンタリー『日本人の忘れもの フィリピンと中国の残留邦人』(映画公式『日本人の忘れもの フィリピンと中国の残留邦人』サイト (wasure-mono.com)の登場人物のひとり赤星ハツエさん(映画撮影時に93歳)もダバオの人だ。
(この問題については、このサイトの2018年の記事が詳しい → 陛下の前で涙を流した彼らは何者か~放置され続けたフィリピン「無国籍邦人」という問題(北島 純) | 現代ビジネス | 講談社(1/5) (ismedia.jp) )
1999年ごろ、ダバオの総領事館で行われた小さなパーティに参加したことがある。そのパーティはダバオの日本人会と日系人会との両方から代表者が参加し、互いの組織の一層の融和・友好を深めようとする場であった(記憶は不確かなので、ぼくが勘違いしているかもしれない)。
ただ、そんな場にもかかわらず、日系人は日系人としてかたまっていて、日本人会のメンバーもそれに積極的に交わるという姿勢もなく、なんとも微妙な空気が流れていたように覚えている。日本人会の役員のような人たちは、仕事で数年ダバオで暮せば、また日本社会に戻っていく。そんな人たちと、辛酸をなめてきた歴史を持つ日系人とのあいだで、何がもっとも親しく会話するネタとなるのか?今考えても、両者が親しく打ち解けるのは簡単ではないように思う。
と、ここまでがなが-い前置き。
持ち込まれた、不思議な地図の数々
そんなダバオで過ごした2年間ほどのあいだに、何枚もの不思議な地図がぼくの前を通り過ぎていった。みんな「ヤマシタトレジャー」と関係した地図だった。
ヤマシタトレジャー(山下財宝)とは、1945(昭和20)年の日本降伏時に、フィリピンでの日本軍最高責任者だった山下泰文陸軍大将が、フィリピンに隠したという金塊お宝のことだ。日本軍のシンガポール占領の際の日本軍司令官で「マレーの虎」と呼ばれ、日本社会の人気者だったという山下がフィリピン責任者に任命されたのは1944(昭和19)年9月というから、降伏まで1年のみ。その間、山下がダバオまで来ているかどうかは確認できなかった。
それでも、大きな日本人町のあったダバオ周辺でも、山下財宝の噂は多かった。どこそこで道路工事をしたら財宝が出た、なんて話も聞いた。実際に財宝(の一部)を見つけた人がいたってみんな信じていたけれど、うーん、本当だったのかなぁ。この原稿を書くためにちらっとインターネットで検索してみても、あれから20年経った今も、山下財宝はホットな話題になっている。一例として以下をご紹介しておきます。
この紹介した財宝探しはルソン島の事例ですけれど、ダバオ周辺でも金塊探しは20年前はごく普通の話題だった。そして、ぼくに持ち込まれた地図、そのどれもがコピー!、には、それっぽい日本語の記述や、なにやら意味めいた二重丸とか星印とかが書いていあったんだ。ぼくに地図を見せてくれた人は、そんな日本語や印の意味をぼくに問うた。もちろん、懇切丁寧かつ誠実に、わかる範囲で回答した(相談は無料、宝が見つかった場合の分け前オプションもなし。ODAプロジェクト従事者の派遣地での副業は固く禁止されていた)。でも、その後、なんの音沙汰もなかったなぁ。何かを見つけても、黙っているっては、まぁ宝探しの基本ではあるけれど。
この投稿を書くにあたって、地図、しかも一枚じゃなくて数枚、を見せてくれたひとりであるJJにメッセンジャーで、あの地図まだある?とメッセージを送ってみた。もしあれば、この場で公開しようと思ったんだ。もしかしたら、新たなヒント、情報が寄せられるかもしれないじゃないですか。
ぼく「以前見せてくれたヤマシタトレジャーの地図、今もまだある? もしあるなら、写真撮って送ってよ」(ところが、いつもならすぐに来る返信がないまま、数日沈黙)
ぼく「あれ、見つかった?なんか情報ある?」
宝探しはもうヤメ-! でも情報求む!
で、JJから戻ってきたメッセージが以下原文。(ぼくの創作でないことの証明?としてまずは原文をおみせします!)
gudam…yes i remember i asked you bout japanese treasure map…but the problem i could not find the map anymore…it’s becoz i spent a lot in treasure hunting…but can’t locate even one huhuhh till the time, i lost my interest
i thought beforw treasure hunting is the best option to be freed from debt and will provide opportunity for me to become rich huhuhh…but nothing happened, i became frustrated and decided not to indulged it anymore
TREASURE HUNTING IS NOT THE OPTION
以下、訳してみます。
こんにちわ。はい、日本の宝物の地図、覚えてるよ。でも、家の中探しても、見つからないのよ。
財宝探しに、私、(お金を)かなりつぎ込んだのよ。でもダメ。結局、興味なくなちゃった。
(あのころは)借金を返して、さらにお金持ちになるには、財宝探しが一番だと思ったの(笑っちゃうよね)。でも、なーんも見つからない。(お金ばかりかかって)すっごいストレス。でね、もうバカなことを夢見るのは止めたの。
財宝探しはもうヤメ-!
どうやら、ぼくはそこそこ賢明な友人を持ったらしい。うん、宝探しは費用対効果は低いと思うなぁ。
もしあなたの近くにフィリピンの方がおられたら、ヤマシタトレジャーのことを聞いてみて欲しい。まず間違いなく、その単語は知っているはずだ。ヤマシタトレジャー調べてみると、かなり深-い。マルコス政権の原資になった(マルコス大統領夫人のイメルダさん自身が語っている!)なんて話も出てくる。
それで、もしダバオ方面の情報があったら、こっそりぼくに教えて下さい。友人の決意のほどを、確認してみようと思ってます。よろしく!

















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