スポンサー中心主義でスタートした国際開発援助
参加型開発という言葉が、国際援助、国際開発支援で使われるようになったのは、20世紀の後半、何時ごろなのだろうか。ぼく自身の感覚では、2000年に知っている人は知っている(ぼくは存じ上げているけれど、お会いしたことは、ない)野田直人さん、白鳥清志さんたちが有志で、しかもボランティアで、ロバートチェンバースの『参加型開発と国際協力』を翻訳し、明石書店から2000年に出版したことが日本での参加型開発再考の大きな契機だったと思う。あの当時、野田さんたちに触発され、ロバートチェンバースの思想と行動に刺激を受けなかった国際援助関係者のほうが少ないんじゃないだろうか。

すごくかいつまんで書きます。
20世紀後半、アフリカやアジアで、それまで欧米(さらに日本)の植民地だった場所で、多くの国家が独立し、建国した。国際援助支援、開発支援が始まったのは、そこからだったと考えても間違いではない。それまでの帝国主義が再編され、欧米(さらに日本)の旧領主国群が、新しく誕生した新興国に対して投資する新しい形態のチャンネルが援助だった、とも書ける。
そこでは、まずはスポンサー中心主義、つまり支援する側がどんな支援をするかを決めるというスタイルの援助があった。援助を受ける側は、スポンサー(援助する側)の示す優先順位にしたがって、援助を受けた。道路や港湾整備、通信というインフラ整備が援助として提供され、非政府団体(NGO)などが、草の根で教育や医療、公衆衛生といった支援を行った。教育や医療、公衆衛生が選ばれたのは、やはり支援する側にとって、それがもっとも重要だと信じられていたからだろう。もちろん、教育も医療も公衆衛生も、間違いなく重要だ。ただ、それを重要と決めたのは支援する側だった。
そんな風潮のなかで、社会開発、つまり経済発展という成果につながった支援もあったし、想定していたようには成果につながらない支援もあった。成果があがらないのは何故か。そんな疑問から指摘されたのは、支援される側の必要(ニーズ)と支援する側の選択とのあいだに、ズレがあるというようなことだった。なにが必要なのか、つまりどんな支援が必要なのか、支援される側の意見や選択をもっと吸い上げたほうが、よりよい(より成果の上がる)援助になるのじゃないか、ってことだ。
本当の問題と必要(ニーズ)を知っているのは誰だ
そこから支援する側が、支援される側の意見を吸い上げる手法が試されるようになる。どうやって言葉や生活習慣やが違う社会の人たちの声を吸い上げればいいのか。
たとえば、ある村にあなたが聞き取り調査に出かけるとする。あなたを出迎えるのは、きっと村長たちそのコミュニティーのリーダーたちだろう。彼らから「ニーズ」聞き出す。今ならば、そのコミュニティーの経済成長を妨げている「問題」を探り当てる。問題が見つかれば、その問題を改善するために必要なことが、つまり正しい「ニーズ」だろう。支援者たちはそのニーズに資金を投入する。ニーズを提供することで、問題は解決し、変化が起きるはずだ。
そして、あるときは成功し、あるときは失敗した。なぜ失敗したのか。また失敗理由が探られる。
やがて、村長たちリーダーが、実はコミュニティーを代表していないのかもしれない、という仮説が生まれる。村長たちが提示した問題やニーズは、実は見当はずれだったんじゃないのか? ならば、だれが本当の問題、そしてそれを解決するためのニーズ、を知っているのか。
やがて、村の経済活動を回しているのは、実は女性たちだったというようなことが見えてくる。けれども、女性たちはコミュニティーのリーダーグループのメンバーにはならない。リーダーは男の仕事だったりする。結局、リーダーたちに意見を求めても、本当の「問題解決」の道は見えてこなかったんだ。
今度は女性たちに話を聞くことにする。でも、彼女たちは部外者に自分たちの意見を告げることに馴れていない。文字が読めない書けないという非識字者も多い。そんな女性たちから、どうやって意見を吸い上げればいいのか。
たとえば、調査者や通訳者として男性を派遣している限り、村の女性たちは男を警戒して簡単には本音を話さない、なんてこともあることがわかってくる。あるいは、女性社会の中にも階層があって、そのコミュニティーでもっとも困っている貧しい女性は、たとえ女性たちの集いでも、発言権が低い、なんてこともわかってくる。そうやって、実践は続き、参加型開発に参加すべき人たちが、だんだんあきらかになっていく。
参加、は、もちろん「ニーズ」発見、つまり計画段階、だけの問題ではない。たとえば、学校建設支援では、学校に通う子どもたちの親たちが、みずから材料を調達し、建築労働力を提供する、という「参加」が模索されたりもした。そちらのほうが、学校校舎建設後の補修保全(メンテナンス)効率が高くなる、なんてことが報告される。
国際開発の大学では必ず学ぶであろうPRA(参加型農村調査),PLA(参加型開発実践学習)では、非識字の人たちを対象に、簡易な地図(その地図も参加した住民自ら作っていく)をつかって地域開発の問題点を探るなど、多用な手法が開発され使われている。そんな手法を手際よく使いこなす国際開発コンサルタントも育っていく。そうやって、参加型開発も、“進化”し、“洗練”れていく。
現職の理科の先生たちが考える、カンボジア理科教育の問題とニーズ
カンボジアでODA(政府間援助)による理数科教育改善プロジェクトで働いていたときのこと。アジア開発銀行(ADB)だったような記憶があるのだけれど、間違っているかもしれない、に雇われた国際開発コンサルタントから意見を求められたことがあった。
カンボジアの理科教育支援についた予算を有効活用するために、学校の理科教員たちの「ニーズ」をあきらかにする、というのが、彼女の業務内容だった。彼女のカンボジアでの業務期間は数ヶ月だったはずだ。彼女を派遣するためには、大手開発銀行が雇う国際コンサルタントなら、ひと月で100万円を超える人件費が組み込まれていただろう。そのすべてが彼女の収入になるかは、また別問題だけれど、とにかくけして安い費用ではない。
彼女は、何か所かの県庁所在地で、それぞれの県で働く理科教師を集めて数日のワークショップを実施した。そこであきらかになったのは、カンボジアの理科教育の問題点は、理科教育機材が圧倒的に不足していることだと、多くの現職理科教員が思っている、という事実だった。理科教員の「感覚」だけではなく、実際にほとんどの学校で十分な理科教材、いわゆる理科室にあるようなモノ、がなかった。それも事実だった。
ワークショップでは、具体的に「必要」な資機材のリスト作成も行われた。半日、あるいは1日をかけて参加者(理科の現職教員)たちはグループに分かれて意見を出し合い、リストを作った。国際コンサルタントの彼女がぼくに見せてくれたのは、その成果品としての“必要なものリスト”だった。
そこには、顕微鏡や天体望遠鏡などと並んで電子顕微鏡も挙げられていた。あるリストには試験管5本という記述もあった。
彼女はけして理科教育を専門としている人ではない。彼女の専門性は「参加型開発」なのだ。そんな彼女でも、中高校の学校現場に電子顕微鏡は不必要だろうということは分かっただろう。ただ、高校の理科室には試験管が何本必要なのかというあたりになると、おそらくイメージはわかなかっただろう。さらには、試験管にもいろいろあって、通常ガラスに耐熱ガラスや強化ガラス、口径サイズ、ウンヌンカンヌン……。つなり、なんともタフな仕事だったわけだ。
そして、リストを作成した現職教員たちも、さて、どうやってそのリストを考えだしたのか。理科資機材がない。薬品もない。そりゃ、あればあるにこしたことはない。何をリストにあげればいいのか。ぼくが見たそのナマの成果品、電子顕微鏡や試験管5本やは、彼ら彼女らの苦労のあとがうかがわれた。
それから10年後に到達した、角田先生養成への一歩前進
ここから先のはなしはかなり長くなる。結論だけ書く。彼女の第一歩は、10年ぐらいの年月をかけて、地方の教員養成学校に基礎的な理科資機材を整えた理科教育センターの設置という成果となった。その過程では、教員養成学校の教官の再訓練、理科資機材をどう使って授業をするかといったこと、も、行われている。そんな成果が、どう学校の教室の生徒たちに(新任教員を通じて)伝わり、そんな生徒たちがどんな大人となり、そのなかにさらなる成果につなげてくれる人材が育ちつつあるのか。
ぶっちゃけて書けば、それがカンボジアの経済成長をどれだけ後押しするのか、ぼくはわからない。証明しようもないと思っている。それでも、基礎的な教育教材を使いこなせる理科教員が増えることは、学校の教室での理科の授業の可能性を広げるだろう。
ぼくが理科好きになる大きなきっかけは、小学校5-6年生のときに理科を教えてくれた角田先生だ。彼がいろんな理科実験を授業に取り入れてくれたから、ぼくは理科が大好きになって、それが今につながっている。そして、ぼくが日本の経済開発にどれだけ貢献したかは、まったく不明だ。
とにかく、理科教育センターが整備されることなしに、カンボジアの新しい理科教師のなかから角田先生のような先生が生まれることはありえない。整備されても、角田先生はまだ生まれてない、ってことはあるかもしれないけれど。とにかく、遠く不確かな道のりではある。
さて、おそらくぼくに成果品としてのリストを見せて意見を求めてきた彼女のその行動は、勇気がいったんじゃないだろうか。現職教員たちが提出したリストをみて、ぼくが彼女だったら、おそらく背中が寒くなっただろうと思う。つまり、使えないリストが出てきてしまったと。参加型開発のプロとして、それは彼女にもわかったはずだ。それは、その彼女のコンサルタント業務が不成功に終わったということでもある。「ヤバい!!」ってところだ。
ならば、どうすればよかったのか。現職理科教員たちに意見を求めても、本当の問題とニーズはわからなかったということなのか。うん、そうかもしれない。現職理科教員より“ぼく”のほうが、カンボジアの理科教育の問題を正確に理解していた、とぼくは思う。そして、ぞ〰ッとする。ほら、上位者(アッパー)が現れた。専門家こそが、たとえ部外者であっても、その問題を一番理解しているという、もしかしたら真実かもしれない罠。それにぼくも毒されていたんじゃないか。あるいは、今もその毒はぼくの中をめぐっているんじゃないのか。「もしかしたら真実かもしれない」なんてタイプしたあたりをみると、かなり「ヤバい!!」ってところだ。
じゃ、誰が問題とニーズを知っていたのか? どこに正解はあるんだろう?
(これは、続きがあるような気がします。その時が来たら、また。ごきげんよう。)


















私もプノンペン市内の高校で,大学の実験教室であるような顕微鏡が3台、頑丈に施錠された透明ガラスケース(これもかなり高価)の中に鎮座ましているのをみたことがあります。
まぁ、特別支援の立場から言えば,何で点字ブロックがあるの?が先ですが。健常者だって,ほとんど歩かないのに・・・・。誰かが,儲けているんですね、きっと。
間々田和彦様
プノンペンの歩道には点字ブロックが整備されつつあるわけですね。
でも、点字ブロックをつかって歩く弱視者が、どれだけいるのか?ってことですね。つまり、ポーズをとっているだけ?歩道に駐車するのも、プノンペンじゃ普通だしなぁ。
形から入っていくってこともあるのでしょうか。あるのかもしれないなぁ。プノンペンの点字ブロックが、カンボジア社会に投げ入れられたひとつの小石で、その波紋がなにかにつながるのか。つながるといいけどなぁ。
でも、昨今欠かせない「費用対効果」評価は、どんなふうに行われているのかなぁ。いろいろと、興味が湧きます。
村山哲也
開発国で点字ブロックの普及が3番目に多いのが誇りらしいけど,どうも、利権がらみのくさい匂いがします。
おまけですが、点字ブロックを使って歩くには,それなりの訓練が必要です。私の知る限り、そのような訓練がなされていません.また、ちょっと前に視覚障害教育関係者へ尋ねたところ、そんなのは要求していないとのことでしら。