一週間前に退院しました
「治療後に歩くことを目指すのであれば金属を入れて骨を固定して・・・、でも歩く必要がないのであれば、そんな手術をして身体に負荷をかける必要はないでしょう」
ならば? 「最初診てもらった病院に転院して、そちらで…」 先生、ならばこのまま退院ということで良いのでは? そちらの病院には自分で行ってこのことを報告し、今後のことを考えますので。 「では、本人の強い希望により退院ということで…」
そんなやり取りがありまして、先週に退院しました。骨折箇所は、そのまま放置です。レントゲン写真のまま。折れた上下をもとのポジションに戻して、それを固定してという処置はしないままとなりました。

退院翌日に、大病院が出してくれたレターを足が腫れて最初に駆け込んだ近所の中小病院の行きつけの整形外科医さんに持って行きました。
レターには、「骨が皮膚を突き破って露出する可能性はゼロではない。そのようなケースでは感染症の危険性が高くなる。最悪の場合は足の切断もやむを得ない」という主旨のことが書いてあるのでした。そして、かかりつけの上記の整形外科医さんも、レターを読んで改めて「足切断」の可能性を口頭で私に語ってくれたのでした。
足の切断。私が子どものころ、まだ新宿駅の周りには白い装束をつけた傷痍軍人が喜捨を求める姿がありました。その中には、足を切断した姿もあったように思い出します。当時の戦地での様子を記した多くの資料にも、麻酔がないまま足を切断するような事例が書かれています。
さらに、私が暮らすカンボジアでも、地雷によって足を失った人の姿を見ることは、あります。実は、プノンペン市内でそんな人を見かけることは、けして多くはありません。けれども、地方の障害者リハビリセンターのような場所に行けば、足を失った人のための義足の調整をする場所が必ずあります。
そして、今、この日にも、たとえばガザで足や手を失う人たちがいます。足を失った子どもの姿が、病院のベッド上や、親の腕の中にいる映像や写真をSNSの中に見つけるのに苦労はいらない。
けれども、私が今回話を聞くことによれば、足の切断は「大きな動脈を切断しなければいけないので、けっこうリスク高いんです」。
ガザでは、輸血のための血液も不足しているでしょうし、さらに麻酔薬だって足りないように聞きます。そんな中、四肢の切断を余儀なくされるイスラエル軍の攻撃による被害者が多々いる。そして、私が写真で見る足や手を失った人たちの背景には、足や手を切断する過程で命を落としている人たちがいるに違いないのです。映像や写真でうつろな(あるいは無邪気な)目をした人たちは、まだ生きてる人たち、つまり少なくともその段階ではサバイバーなのです。
今回の自身の大腿骨の骨折によって、今後左脚を切断しなければならないというリスクをより身近なものとして実感することで、私はこれまで以上に現在のガザに象徴される「殺され、傷つけられる人たち」の存在をほんの少しリアルに感じることになったのです。
『私は憎まない』
ところで今回の東京滞在中、骨折をする前のことですけれど、ドキュメンタリー映画『私は憎まない』を吉祥寺の映画館で見ました。
映画『私は憎まない』公式 | ~平和と人間の尊厳を追求するガザ出身医師の誓い~
これはガザ出身のひとりの医師と、その子どもたちのことを描いています。今回のガザ戦争ではなく、2008⁻2009年のイスラエル軍によるガザ侵攻の際に、戦車による砲撃で医師の子ども8人の中の3人が自宅の寝室で殺された。医師は憎しみの連鎖を断つことを自らに課し、発言し行動しています。その日々が映画では綴られているのです。
この映画の原作は、その医師イゼルディン・アブエライシュによる著書『それでも、私は憎まない―あるガザの医師が払った平和への代償』亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ(翻訳 高月園子)として日本語訳も出ています。そして、先日の吉祥寺での映画上映の際には、医師イゼルディンご自身が会場で短いスピーチをなさったのです。
映画を観て、彼の話を直接聞いて、私はどうしてもバトンを受け取った気持ちになりました。つまり、彼の思い、大きな悲しみとわずかな希望、というバトンです。そして、それをまた誰かに渡さなければいけないという気分。
この映画は、妻サンワーと一緒に観たのです。この映画は私の知る限りカンボジア国内で上映されたことはありません。カンボジア国外で、どれだけの数のカンボジアの人が観るチャンスがあったか。とにかく、サンワーは観ました。彼女は映画が終わった後に、上記の日本語で書かれた本を映画館内の本屋で購入し、医師のサインもその本にもらったのです。彼女のリクエストを受けて、この原作の英語版も私はすでに購入し、近々プノンペンに持って行きます。『I shall not hate』というタイトルのその本を、きっと彼女は読むでしょう。
つまり、バトンは彼女にも手渡された。そのバトンを彼女がこれからどう扱うのか、それは私にはわかりません。でも、彼女なりにまた次の誰かにそのバトンを渡していくのだろうと思います。もしかしたら、バトンは彼女の中で成長させる時間も必要なのかもしれない。そこは、すべて彼女次第です。とにかく、バトンを彼女は受け取ったのです。
それにしても…。今、チラッと開いたNHKの報道によれば、11月6日にもガザで4人の市民が殺された(この13ヶ月の合計死者4万3千人、1日あたり100人強の死者という計算からすれば4人の犠牲者というのは、とっても少ない数で済んだ1日だったわけです)。いっぽう、レバノンでは30名の犠牲者。そこには書かれていないけれど、もしかしたらヨルダン川西岸のパレスチナでも犠牲者がでているかもしれません。とにかく世界が何もできないまま、イスラエル軍はガザ以外でも殺戮を拡大しています。
国連職員有志による断食のときなんじゃないか?
とにかく、何がつらいって、世界はイスラエル軍の虐殺行為を止めることができない。米国のイスラエルへの武器弾薬の輸出を止められない。
米国が安保理常任理事国を務める国連では、イスラエルへの非難はどうしても力を持ちえない。可決されれば実行性をもつような決議は、米国が、さらにはロシアや中国といった常任理事国がすべて否認してしまう。そんな国連で働く上級職員が「無力感に襲われる」という記事を最近もどこかで目にしました。そりゃそうでしょう、無力感、そうでしょう。
国連というのは、学歴社会の勝利者集団、世界中の学歴でいえばトップレベルの人たちの集合体です。そして、国連系職員を何年間か過ごすと、将来、引退後に年金も保証されています。私の知っている国連関係で働いている人は、定められた期間の勤務を過ぎ年金の権利を得た際には、赤飯を炊いて祝ったとか‼ その年金は、そりゃイチローや大谷選手が将来もらう年金には遠く及ばないとしても、いわゆる平民がもらう年金よりもずっと恵まれている、と聞きます。実態は私はよく知らんけど。
そんな世界の超エリートたちの集団が、毎日のように長時間を費やして議論して、そしてなにやら非難云々を語りあっても、結局はイスラエルの虐殺を傍観しているだけなのです。彼らの給与は何のためにあるや? 年金は??
もう断食しかないだろうと思うのです。もちろん、死ぬまで断食せよ、ってことを言いたいわけではありません。医者の診断を受けつつ、ドクターストップまでの断食でよい。それでも、国連職員有志が国連の中で断食するしか、もうイスラエルの蛮行を止める有効手段はないのではないだろうか。いや、それだって「有効」かどうかはわかりません。けれども、下手なかっこつけだけの決議なんかよりは、よっぽど有効なんじゃないか?
断食の「有効性」は、たとえばガンジーに象徴されるように、誰がそれをするかにかかっています。たとえば私がイスラエルに抗議の断食をしても、まぁ無意味です。
国連職員ひとりふたりが断食しても、それほどの効果はないでしょう。けれども、4人に一人が断食したら?
国際連合広報センターのホームページの中の資料によれば、国連には193の加盟国出身の約4万4,000人の職員がいるそうです。うち、ニューヨーク本部だけでもよろしい。そこの上級職員の4人にひとりが断食に加わったとすれば? おそらくそれなりの強さ、影響力があるのではないでしょうか? そのうえで、可能ならば国連大使も数名断食に加わればいい。おそらく、イスラエルの蛮行を国際司法裁判所に提訴した南アフリカ共和国の大使などは、断食にも加わるのではないでしょうか? 日本の大使? くわわれば拍手するよ、俺は。
そのうえで、世界の人たちがその断食に1日でも勝手に加わるという運動をすればいい。それをSNSでどんどん流せばいい。私も加わるよ。
もう断食しかないと思うのです。断食、それは無力な人たちの最後の抗議活動であったし、これからもそうだろう。国連で無力感に囚われているスタッフたち、どうぞ断食を始めてください。できるだけ多くの職員が輪に加わってください。リーダー(それは、国連トップの事務局長である必要はありません)は、どうぞメディアに断食活動を宣言してください。
とにかくさ、足切断はリスク高いんだからさ。そういう被害者、子どもたち、を今日も産み出している、そんなこと、もうたくさんだ。『それでも、私は憎まない』はもちろん尊敬すべき思いだし、私もそうでありたい。けれども、そういう『憎まない』と誓うシチュエーションそのものを最小限にしなくちゃダメでしょう?
それともあれか、国連職員が勝手に断食なんかしたら、年金の権利が剥奪されちゃったりするのかなぁ? やっぱりコトナカレ主義、自らの権利を守ることに汲々としちゃうという点では、高学歴超エリートも、平民の皆さんも、同じなのかなぁ、人間だもの? そういうお前はどうなんだ、え、ムラヤマテツヤさんよ? 思い当たる節、あるんじゃないの???
とにかく、左足はまだ腫れています。やれやれ、だなぁ、俺の左足も、イスラエル軍の蛮行も、なんともしようがない、やれやれの無限大∞∞∞!

















私もガザの殺戮のニュースを見てイスラエルという国(国内で反対示威行動をする人たちがいるに)はホロコーストを経験しているのに・・・とその蛮行、愚行に哀しくなるだけの常民だから何も言えないが国連職員4万4千人の4人に1人の割合、すなわち1万1千人が抗議断食に入ればそれはそれは世界の大きなニュース、少なくともガザのニュースを超えるニュースになるだろうがあなたがおっしゃる通りそんな提案は世界のエリート、国連上級職員には届かないでしょう。
ところであなたは腫れがひかないまま(言葉は悪いですが)放置するのですか? 手術をしないにせよ、当面の炎症を抑えることは出来ないのですか? 腫れが続くことによって可能することにはならないのですか? 私は限りなく無力だ。哀しい。
腫れは、できるだけ冷やすようにしています。
まだ腫れてはいるのですけれど、少しづつ熱も引いて腫れも治まりつつあるように感じています。
腫れにしても、ガザを始めとする悲劇(人間の馬鹿さ加減を描く喜劇?)にしても、多くのことに私たち市井の者は無力です。確かに哀しい。でも、それでも美味しいものを食べて、しっかり眠って……と思うのです。なんのために?知らんけど。でも、それができるなら、しっかり生きればいい、と思うのです。笑うことを躊躇うことはない、と思うのです。
退院おめでとうございます。
レントゲン写真、とても痛そうです。骨太なことがわかります。これを切断するのはもったいない気がします。
これは、村人のうたですか?
以下、村山くんの俳句です。
越冬グモ終生の脱皮誓う春
我が脱皮とどまることのなき輪廻
好物は若気の至り閻魔グモ
褒められてブンブン飛ぶン熊ん蜂
繰り返す脱皮いつしか藝になり
若人の活あり保つ心意気
生意気も無事であれこその越冬
生意気も名馬なれこそ越冬す
所作ひとつ師なき茶室で師を真似る
秋の日の火落とす前に師を招く
師が語り千秋去って師が語る
我が脱皮受け継ぐ輩いる小春
あといくつ脱皮かなうや白湯の湯気
振り向けば夏衣残してあなた無し
残されしあなたの脱皮誰が見ん
寂しさも脱皮の日まで百十日
…………
喫茶古、都内ちおられるならぜひ。
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