キンタクンテは、そりゃインパクトあったけれど
血のつながりなんぞ、なんぼのものよ、と私は思っています。生みの親より育ての親、そりゃそうだ、あったり前だ!と、思っています。日本国政府が実施している国籍の血縁主義にも大きな疑問を感じています。
そんな私の感覚からすると、自分の血の出所に多大な興味関心価値を持つ人たちが多いなぁと思う。もちろん、その興味関心のおおもとは理解できます。自分がどうやってこの世界に生を受けたのか、気になるのが当然です。そして、私たちは100%、一つの卵子と一つの精子の成合によって誕生に向かい、実際に誕生したわけです。卵子と精子の持ち主が誰なのか、どんな人なのか、さらには彼女らがどんな人生を送り、そしてさらにはその先、つまり祖父母、曽祖父母、高祖父母・・・・。そこに関心を持つことは、まぁわかる。
私が若いころ、『ルーツ』という米国製のテレビドラマが話題になりました(調べたら1977/昭和52年に作製されたものです)。アフリカ人が奴隷として米国に売られた、その子孫である米国人ジャーナリスト(アレックスヘンリー)が書いた小説が原作です。
アレックスヘンリーは、自分の祖先クンタキンテが西アフリカのガンビアで奴隷狩りにあい、米国に運ばれたことを探り当て、それを小説として書いたのです。クンタキンテという名前を、私は今でも覚えています。1977年、私は13歳です。多感な季節にテレビで見た奴隷制の歴史は、おそらく現在まで続く私の価値観に少なくない影響を与えたのだろうと、今、振り返ります。
このように、自分のルーツを探ることが、ときに社会にさえ大きなインパクトを与えるということはあります。自分がどこから来たのか。それは私たち人にとって根源的な問いではあるでしょう。
けれども。そんなのどうでもいいじゃん、とも私は思っている節があります。自分がどこから来たのでも、あなたがどこから来たのでも、それはもう自分じゃコントロールの効かないことなのだから。どうでもいいじゃん、と。それより、今、あなたに会えたこと、あなたといること、それが大事じゃないと。そして、未来がある。実は、未来だって自分でコントロール仕切れるものではない。でも、やっぱり、過去より未来だぜ、と私は思っているようなのです。
「いや、未来のためには、過去を知らなくてはいけない」という方はきっといるでしょう。はい、それは私も同意するところがあります。特に、歴史は知ったほうがよい。もちろん、歴史もなかなか怪しいモノです。「歴史とは勝者が作るモノ」という言葉もある。実際には、同じ出来事でも、それは同じ歴史として語られる(記述される)ものではない。だから、一言に歴史を学べといっても、そりゃ簡単じゃない。「俺が学べと言ったのは、こっちの歴史だ」なんてことがきっと起こりえる。ま、それはここでは置いといて。
でもさ、自分の個人史でいえば、まぁ祖父母ぐらいで十分じゃないかなぁ。過去から学べと言っても、自分史に限った場合はせいぜい100年で十分。それより前の自分の個人的な祖先のことはさ、まぁ、もはや他人事じゃない???? そうでもないのかなぁ???? そうでもない人の考えは、私には少々不思議なのです。ま、知らんけど。
このブログは遺言でもあるのです
で。私には、(確認されている限り)ひとりの子どもがいます。今年24歳になる、医学的性別は男性で、つまり一応息子です。
私は、彼には少々借りがあるのです。というか、負い目がある。
海外で仕事をすることが多かったことで、彼と共有する時間がとっても少なかった、のです。さらには、私は彼の母親とは、別れました。そのことが、私が彼と時間を共にすることをますます少なくしたのです。特に中学高校という多感な時期には、私はほぼまったく彼との時間を持てませんでした。
親はなくとも子は育つ。はい、それでよいのです。彼は、さまざまな人と出会い、その中で育ち、いまや大人の世界に入りつつある。彼の高校卒業後には、私も少し彼とかかわることができています、多分、ほんとに少しですけれど(ま、でも多くの人たちは、二十歳過ぎれば親との関係は希薄になっていくもんじゃないかしら、私はそうだったなぁ)。
これもあくまで少ない観察と状況証拠からの判断ですけれど、まぁ彼は彼なりに、人生やっている。きっとこれからもやっていくであろう。そりゃ、失敗したり上手くいかなかったりすることは多々あるだろうけれど、きっとそれを乗り越えていってくれるだろう、くれるんじゃないかな、ま、ちょっと覚悟はしておく。
とにかく、やっぱり、私は彼にはきっといろいろとご迷惑をおかけした。仕方がなかったと思う反面、やっぱり申し訳ない(申し訳なかった)と思っているのでした。
このブログを始めたきっかけは、2020年にコロナ禍で浅草に幽閉されてしまったときに、『超えてみようよ、境界線』(かもがわ出版)という本を出すことになったからでした。この『超えてみようよ、境界線』には、私がプノンペンで100冊ほど印刷した『「世界は開いているから、味わってみるのもいい」と16歳の君に伝えたかったこと』という元本があります(この元本は、なんとAmazonでKindol版のみ売っているという冗談のような本当の話、校正がダメダメです)。
そして、この元本はタイトルでわかるように子どもに向かって書くというスタイルをとったのです。うむ、もっとも安易な方法でした。でも、わりと切羽詰まって書いたのです。『超えてみようよ、境界線』も、ですから若者に語りかける、というような文体になっています。
で、このブログです。やっぱり『超えてみようよ、境界線』の延長戦の香りはどうしてもある。つまり、ブログの読み手として心の中に描いているのは、「彼」かもしれない。つまり、私の遺言? 彼がどれだけこのブログを読んでいるかは未確認です。さて、どんなもんなのかな。
菅啓次郎さんの文章はよいよねぇ
本を読んでいると、「おっ」と思う文章にぶつかります。彼に紹介したいな、なんて思う。例えば。
《教養は、やはり大切だよ、教養というのはひけらかしやお飾りのための知識ではない。〈いま・ここ〉に生きながら、その場にないもの、時間的にも空間的にも隔たったものを前提となる知識のことだ。なぜそれが必要なのか。〈いま・ここ〉を共有しながら、見えないもの、存在しないことにされているものやことをよく意識するために必要なのだ。あらゆるものには地理的・歴史的コンテクストがある。それらを意識することは、われわれの社会の基盤がどのような層によってできているかを意識することにつながり、どんな問題がいつ生じ現在までつづいているのか、それを解決するにはどうすればいいのかを考えることにつながる。つまり教養とはつねに非常時の知識、われわれ生存のために必要な知識であり、そのための素材が、資源が、ごろごろと転がっているのが図書館という場なのだ。》(33~34ページ 『本と貝殻 書評/読書論』菅啓次郎著 コトニ社2023)
同じ本から、もう一カ所。
《たとえば、後に小泉八雲と名乗ることになった「ラフカディオ・ハーン」という一見くっきりした輪郭をもつ個人が、確かに一政府が運営する一国家=社会が住まう一風土の一文化を相対的に感受し、そこから同時代のどの英語作家よりも、神秘の「日本」にその深層にいたるまで通暁したのだと見なすことは、つねに行われてきた。だがそれは、安易な偏見でしかない。事実はもっとずっとぼんやりしたごく小さな「彼」が、茫洋としてとらえがたい多面体として現象する異文化のごく限定された区域をさまよい、このさまよいと並行して記述による対象の創出を試みてきたということだろう。錯綜した多面体が、自分よりもはるかに巨大な多面体との接触面で、全体の見通しなどまるでないままに手探りで進む冒険、しかしこの冒険の激烈さにおいて、体験の苛烈さにおいて、あらためて作家の「個」が発見される。》(54~55ページ 『本と貝殻 書評/読書論』菅啓次郎著 コトニ社2023)
菅啓次郎さんの本には、あちこちにキラキラっとした文章が散りばめられています。菅さんは詩人でもある。なるほど、詩人って、言葉の魔術師なんだよなぁと、菅さんの文章を読みながら感嘆します。あっちこっちに宝石が散りばめられています。
ここにあげた、最初の文章は、少々文系向けっぽい書きぶりではあります。それでも、「つまり教養とはつねに非常時の知識、われわれ生存のために必要な知識であり・・・・」というあたり、ベテラン投手がきっちりと外角低めにコントロールしたダイヤモンドの直球という感じ。
後半の文章は、私自身をラフカディオハーンに重ねて読むわけです。「倒錯した多面体が、自分よりもはるかに巨大な多面体との接触面で、全体の見通しなどまるでないままに手探りで進む冒険・・・・」、詩人が書く文章でしょう。多面体・接触面、鉱石が持つかのような冷ややかな感じを文章にまとわせて。そして、越境の本質をきっちりついている。
私はカンボジアに20年かかわっていますけれど、カンボジアのことはほとんど知らない。ま、日本のことだって知らないことだらけだ。むしろ、知っているかに語る人が嘘っぽくて仕方がない。そういうことを、この菅さんの文章を読みながら思います。
そう手探りで進んでいくのだと、思います。
国際性とはなにか
さらに。(カブ、まだ終わらないのよ)
『複数の言語で生きて死ぬ』(山本冴里 編、くろしお出版2022)の中の、細川英雄(終章)による文章。
《信州伊那谷に暮らす老婆がいて、その老婆は、外国語を勉強したこともなければ、海外はおろか生涯、自分の小さな村を一歩も出ずにいる。いくら山の中だとはいえ、このようにどこにも行かないというのはちょっと信じがたいことではある。しかし、そこには常に数人の外国人がおとずれ、一か月、二か月と滞在していく。炊事や風呂はすべて薪焚きで、老婆は一日中かまどの前に座って火の番をしている。そのかまどの横には、彼女の若い頃に読んだという岩波文庫が山積みになっていて、火の勢いが弱くなると、そのページを破っては火にくべている。日が暮れると、村の老若男女が彼女の家にいろいろな食べ物を持ってぽつぽつと集まってくる。長期滞在の外国人たちも一緒になって、焚火を囲んで好き勝手に話し込んでいる。
(中略)同じ伊那地方出身のゼミの学生がしてくれたこの老婆の話は、なぜか心に響くものがあった。
彼女は、日本語しか知らないし、それ以外の言語を習得した経験もなければ、たぶん習得したいとも思っていないだろう。しかし、彼女は、どんな言語圏の人をも受け入れ、日常の生活の中で、明確な存在感を持って他者と接している。この老婆のような生き方は、一見ちいさな村社会のなかでの閉鎖的な生活に見えるけれども、実は、とても豊かなことばの生活を体験しているのではないかと思ったからだった。》
たとえば、英語がどんなに上手で、パスポートにどれだけのスタンプが押されていたとしても、出生地や、言葉の訛りや、肌の色やで人を差別するような奴はダメなのだ。そんな輩と、この老婆と、どちらが「国際的」な存在であるだろうか? 当然、老婆がインターナショナルな人であり、コスモポリタンだと私は確信します。だって、インターナショナルって普遍性、そして寛容性ってことでしょう?
どんな言語圏の人も受け入れ、彼らと身振り手振りを交えてコミュニケーションし、明確な存在感を示す。おそらく、彼女の価値観は「偏狭な差別主義者」よりよっぽど普遍性を持っているはずだ。もちろん寛容力も深いはず。
つまり、英語を始めとする国際語を使いこなすなんてことは国際性の尺度からは全然たいしたことではないし、もちろん必須でもない。だってさ、海外でビジネスすることが国際性じゃないと私は思うよ。ビジネスで必要になる言語を習得するのは、あくまでカネモウケの手段でしかないでしょう?やりたい人がやればいいだけ。多言語習得なんか、人としての必須であるはずがない。
国際性を言うのであれば、何語であろうとその語る内容が大事だし、言葉よりも態度・行為こそが問われる。この傾向は、翻訳・通訳でのAIの利用がものすごい速さで広がっている今日、ますます強化されるでしょう。英語以外の言葉、たとえばカンボジア語(クメール語)、ルワンダ語、アラビア語、中国語・・・・・、私が若いころと比較して言語の壁はどんどん低くなっていきます。すっごいことです。ワクワクするとともに、緊張もする。だって、日本語の蛸壺に閉じこもることは、できなくなる。SNSで何を書いても(このブログも)、簡単に他言語で読める。
背中が伸びなくちゃ、嘘でしょう? 緊張するぜ!
一方で、AIによる翻訳・通訳が進む中で、上記の老婆のような「国際性・普遍性の高い」存在はますます見えにくくなっていきます。彼女の高貴性をキャッチする感性をぜひ若い人たちには磨いてもらいたい。自分もさらに磨きたい。そして、お婆さんのように、自分もひっそりと老いていきたい。そんなことを思います。

















伊那谷のお婆さんが『昔読んだ岩波文庫を・・・』というくだりがありますが、昔岩波文庫を読んだお婆さんはその時点で既に国際感覚持っている人だったのではないでしょうか。まさか、岩波書店の岩波茂雄と交流があった訳ではありませんよね。
いつも難しいお話ですが、今回も難しかったです。
あなたを十分に存じ上げませんが、あなたはひっそり老いてはいけません。(笑)
匿名様、読んでいただき、コメントまで書いていただき、本当に感謝感激雨あられ、です。
岩波文庫を燃やしてしまうのはもったいないと思いますけれど、とにかくお婆さんが岩波文庫に親しんでおられたのはきっとそのとおりなのでしょう。そして「岩波文庫」が世界への扉だったという匿名様の見立ては、きっとそのとおりなのでございましょう。
最近、私のまわりでも本を読まない人たち、特に若い人たち、が増えているようです。本からでも、インターネットからでも、学びはあるのですから、別に本を読まなくてもすぐに「それじゃダメ」とは私は言いたくない気持ちがあります。けれども、そうであれば「岩波文庫」にあたる情報は、インターネットの中ではなんなのだろう? そういう学びの場がインターネットの中にはあるのだろうか? そんな風に思ったりもします。さて?
「ひっそり老いてはいけません」。老いることは避けられないですから、つまり「ひっそり」が問題なのかしら。「騒々しく老いる」というのも、なかなかエネルギーが必要そうで、うーん、それに恰好悪そうで、なんともはや。どんなふうになっていくか、ひっそり御覧くださいませな。
匿名様も、(日本でおられるのであれば)寒さ厳しき季節、風邪などひかれませんように、どうぞお元気でお過ごしください。 ではでは、また。
村山哲也