先住民が残した岩絵をアーネムランドで見る オーストラリア
オーストラリアの北端にあるダーウィンを訪ねたことがある。人口12万人強のそれほど大きくはない都市だ。ダーウィンという名前は進化論を唱えたチャールズダーウィン[1]に由来しているけれど、彼がこの地を訪ねたことはない。ダー...
オーストラリアオーストラリアの北端にあるダーウィンを訪ねたことがある。人口12万人強のそれほど大きくはない都市だ。ダーウィンという名前は進化論を唱えたチャールズダーウィン[1]に由来しているけれど、彼がこの地を訪ねたことはない。ダー...
胡椒連載第7回で書いたように、カンポットの胡椒栽培の起源は、インドネシアのスマトラ島西部にあるアチェ王国をオランダが侵略した「アチェ戦争(1873~1904)」の際に、アチェの王が胡椒の苗をカンポットに送ったことにあった、...
障害・車イス・脊髄損傷ディーさんは、1993年生まれの27才。カンポット県の農村スロックチューの出身だ。プノンペンからは、南に伸びる国道3号線を車で3時間ほど走ったところだ。両親とふたりの兄がいる。 事故が起こったのは2015年9月、彼が...
ニジェール1992年12月、2年間のケニアでのボランティア活動(青年海外協力隊)の任期を終了したぼくは、日本に戻る前に西アフリカにあるニジェールを旅した。ケニアから日本に戻る前に、どうしてもサハラ砂漠を見ておきたかった。 ニジ...
越境マオアのこと ケニアのクウィセロ村のクウィセロ中等学校で理数科教師をしていたときのこと。 同僚の仲良しにマオア(ルヒア語で“花”の意味)という名の若い女性教師がいた。同世代で明るい彼女とのコミュニケーションは、ぼくのク...
胡椒『カンボジアの胡椒と その周辺の物語』連載第7回です。(前回の投稿は11月4日 以下から飛べます。) 13世紀アンコールの地での胡椒栽培が、その後のカンポット胡椒栽培につながっているのだろうか。ポストアンコール時代の少...
ルワンダ事故から2年、退院から1年。 2016年、車イスのぼくは、再び成田空港からカタール経由でルワンダに飛んだ。2年ぶりのルワンダ。会いたい人たちが何人もいた。 事務室のスタッフのひとりイマキュレイトの結婚式は、事故の数週...
越境する人『マルコムX』(1992)という映画の中で、黒人への人種差別に対して戦うマルコムXに対して、その活動に共鳴した若い白人女性が「私にも手伝わせてほしい」と言い寄るシーンがあったはずだ。それに対してマルコムX(デンゼルワシ...
胡椒『カンボジアの胡椒と その周辺の物語』連載第6回です。(第5回は、10月31日、以下の投稿になります。) 『カンボジアの胡椒と その周辺の物語』連載第5回 インドからカンボジアへの胡椒の越境を思う 原産地の南西インドか...
パラグアイパラグアイの南西部に位置するピラールから、南東部にあるイグアスの滝に寄って、ほぼ中央西寄りの首都アスンシオンに向かった。パラグアイの南部をぐるりと反時計周りに走ったことになる。 その途中、日本からの移民が開いた開拓村に...
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