9回目のハッピー障害記念日 

9th Happy Aniversary for Disablitiy (9回目のハッピー障害記念日)
いつもいろいろお疲れ様です、サンワーさん。そして、ケアをどうもありがとうございます。

障害者9歳となりました

 さて、8月末のある日のこと、私無事に障害世界に参入して9年目の誕生日を迎えました。人間の年齢でいえば、9歳になったということですね。ほぼ人生の6分の1を障害者として過ごしてきたわけです。

 あらためて、2014年8月のあの事故の後、お世話になった皆様にお礼申し上げます。

 事故現場に駆けつけてくれたニャングウェ森林国立公園関係者の皆さま(彼らが転落した車の中から私を助け出してくれてのです)、たまたま居合わせた南アフリカ共和国のお二人の医療従事者オリバーエリカ(彼らが私の脊髄損傷を事故現場で判断してくれ、慎重に運べ!と緊急担架を作ってくれたのでした)、ニャマシャケ県およびルシジ県の教育関係者の皆さま(彼らが私の救急車等の派遣をアレンジしてくれたのです)、ルシジからキガリまで夜を徹して走った救急車に同行してくれた名も知らぬ看護師さん、JICAルワンダ事務所の関係者の皆さま(特に医療調整員の福田牧子さん、彼女は長時間の救急車での搬送中にずっと首を支えてくれていたのです、そして森田所長ご夫婦、所長は事後処理に走り回ってくださり、ご夫人は私の運び込まれた病院に常時待機してくださったのでした)、事故後の検査に立ち会ってくれた在ルワンダ日本大使館の原野医務官(彼が病室で静かに「もう歩けない」と伝えてくれたのはとても印象的な場面で、私は彼の言葉だったからこそすんなり受容できたように思い出します)、俺たちに手術させてくれと主張してくれたルワンダのお医者さんたち、実際に手術してくれたナイロビの病院のお医者さんや看護師さんたち、搬送でお世話になったケニアJICA事務所の医療調整員の方、当時私がメンバーの一人であった「教員間の校内相互研鑽強化プロジェクト(SBCT)」の基地があったREBのルワンダスタッフの皆さま、そしてSBCTの関係者の皆さま(ルワンダの人でいえば、事故現場からキガリの病院までずっと寄り添ってくれていたアントアン、日本側の人でいえば事故の報のあとじりじりと一晩を首都キガリで過ごしていたKさんや、別の国でハラハラするしかなかったYさん)、さらに事故後の処理に走り回ってくれたSBCTリーダーのSさん、P株式会社の今は亡きKさんと、カンボジアでパートナー(サンワー)のビザ手配に走り回ってくれたCさん、私が当時所属していた会社CDCの皆さま(特に会社が借金してまで救援アレンジに駆け回ってくれたT社長、ケニアまで救援にきてくれたYさん)、ナイロビー日本の飛行機に同行してくれた海外医療情報センターの小林孝暢/聡子さん(トランジットのカタールでちらっとアルコールを入れてトイレで気を失った私を救ってくれたりして)、日本で入院した3つの病院の方々見舞いに来てくれた多くの方々(特に、専門病院への転院を強く押してくれた高校野球部先輩のMさん)、心配をかけた両親ら家族、プノンペンでの仕事を辞めて日本に来てくれたサンワー、さらに事故車に同乗していた私以外の7名のルワンダの方々(ひとりが事故現場で亡くなり、他6名は事故後数か月以内に社会復帰しています)等々、まだ書き忘れている人がきっといるのだろうけれど、とにかく、皆様、おかげさまで元気です。

 そして、脊髄損傷による障害のおかげで、新たに出会った皆々様、私も障害歴丸々9年となりました。今後ともどうぞよろしくお願いします。

チームむらやまてつや

 こうやって書き出してみると(そして書き出しきれないだけの応援者がまだまだおられるわけで)、あらためて私は「チームむらやまてつや」に支えられているのだなぁと感じます。

 いつかもこのブログで書いたと思うけれど、私の命は私だけのものではない。「チームむらやまてつや」のものである。

 あなたの命もあなただけのものではない。「チームあなた」のものであることを、ぜひときどき思い出してみてね、と願うのです。

 と、書いて。
 そう書いている私自身が、これまで「チームむらやまてつや」のメンバーだった人たちにひどいことをしたことがあるのです。私を信用してくれた人たちを裏切ってきた。「チームむらやまてつや」のメンバーは、ずっと固定されているわけでもありません。実は、かなりの出入りはある。最近、加わってくれた方もおられれば、(私のせいで)退会された方もいる。
 けれども、チームはやっぱりそこにあるのです。それは、どうしても否定できない。

 赤ん坊時代を経ずに今これを読んでいる人は、誰一人としていない。赤ん坊時代に誰にケアされたかは特に問題ではないように思います。それが実の親でも、仮の親でも、親族でも、他人でも、実はそれほど重要ではない。
 とにかく「誰かの世話になった」、その事実こそが大事なんじゃないか? そして、それは「チームあなた」の誕生だった。その後、いろんな人生があるだろうけれど、あなたが否定しようと肯定しようと、「チームあなた」はあったし、あるのじゃないだろうか? 大きなチームもあるだろう、小さなチームもあるだろう。大きなチームだったのが、気がついたら小さなチームになっていた、そんなこともあるでしょう。

 でも、とにかく、チームあなた、あなたの命はそのメンバーから預かっているものなんじゃないだろうか? そんなことを、ときどき考えます。私の命は、チームむらやまてつやからの預かりものだと。預かりモノにしては、あんまり大事に扱っていないようなところもあって、恐縮です。すまんすまん。

 そして、ふと思う。私はいくつの「チーム○○○○」のメンバーであろうかと。いや、いくつでもいいんです。多くても少なくても、どのチームにも加わってなくても、さ。でも、周りをみていると、例えばパートナーのサンワーなんかは、けっこう多くの「チーム○○○○」のメンバーになっていて、傍から見ていてときどき忙しくて大変そうです。ま、その大変さが、生きているってことなんかもなぁ。

障害を得て  「素でいること」について考えたり

 事故の翌日、キガリの病院で、病室に入ってきた原野医務官が静かに告げた「歩けないでしょう」を聞いたときに、心の奥底にちらりと揺れた「お、面白くなってきた」という感覚。ほんとにわずかなかすかな思いだったのですけれど、でも、確かにそういう感覚はあった。
 これもどこかで書いたけれど「知らない世界に行ける」という感覚。興味。

 さて、そして。下半身完全麻痺となって、車イス者となって。

 「村山さんは、まだこの世でやることがあるということですよ」
 ある人は私へのメッセージでこんな趣旨のことを書いてくれました。
 でもね、私はそんなふうには思えない。事故車に同乗していてひとり亡くなった方は、若くてしてルワンダの中学校か高校かの校長先生で、しかも二人の幼い女の子の母親でした。
 彼女よりも、私のほうが「この世でやることがあった」とは、けっして思えません。

 偶然、です。たまたま、です。彼女が亡くなったのも、私が死ななかったのも、かなり偶然。

(彼女は後部座席の真ん中に座っていて、シートベルトは着けていなかった。私は助手席に座って、シートベルトをつけていた。そこは、偶然に少し影響を与えているかもしれない。ちなみに、私のシートベルトは車の転落中に外れてしまったようですけれど。)

 その偶然に意味を無理やりにのせることもないだろうと思ってます。ですから、生き残って、障害を得て、と大上段に構えれば、特に出てくる言葉もない。

 たしかに、健常者のままだったら知らなかったことをたくさん知ることができました。障害という看板を掲げることで、ちょっと言葉に彩りが出たりもしているかもしれない。でも、まあ、それは一種のイルミネーションのようなもので、本質じゃない。

 つくづく、本質というか、自分そのものというか、そういうところでやっていくしかない、とは感じています。かっこつけても、ばれる。はったりかましても、最終的には通じない。でいくしかない。どれだけ素でいられるか、素で人の前に立てるか。その点では、もしかしたら障害者になったことは、素で生きやすくなった面はあるのかもしれません。

 この素で立つ、ということは、2012年末にルワンダに初めて赴任した際にも考えていたことだったように思います。支援者って、はったりかますわけですよ、わりと。虚勢というほどではないにせよ、力んだりすることはよくある。でも、ルワンダに赴くときは、あぁ、ずいぶんと力が抜けてきたなぁとは実感としてありました。それは歳を取った、ということでもあったでしょう。あっちこっちで経験を重ねてきた、ということでもあったでしょう。48歳でした。
 あと10年ちょっと、こういう支援の仕事を繰り返していくのかなぁ、なんて思っていた。あぁ、かなり楽に仕事できるようになってきたなぁ、なんて思ってた。そして、実は、これを「繰り返していくのか?」という疑問もあった。ちょっと退屈しかけている、みたいな。
 カンボジアでの仕事が長くなっていたので、ここらでアフリカ回帰して、フレッシュな気持ちで教育支援に向き合いたい、なんて思っていたはずです。

 とにかく、素で立って、それでだめなら仕方がない、みたいに思ってたような気がするのです。そしてルワンダに向き合って。1年半ちょっとたったときの事故でした。

 素で立つ。そのベクトルで、障害を得た後、今も進んでる感じ。だいたい、わたし先日もウンコ💩がベッド上で漏れてしまって。サンワーさんにお手間をかけちゃったのです。やれやれ、かっこつけても、仕方ないじゃないねぇ。

 それでもまだまだ脱ぎきれないものもあって。ま、裸を見せればいいってもんでもないでしょうしね。無理して脱がない、というのも素の在り様なんじゃない? とにかく、残る時間、素っ気なくいけたらと思っておるのです。あんまり脂ぎらないで。

 というしまりのない終わり方で、今回は失礼しちゃおうかと。

 チームむらやまてつや、の皆さま、本当にいつもありがとうございます。今後とも、どうぞよろしくお願いします。  んじゃ、また。 

 

2件のコメント

きょうのブログを読んで、なんか宮沢賢治のことばを思い出します。

久しぶりにブログを読ませていただいて、人の命について思いを巡らしました。
命は自分自身のもののようで自分のものではないこと、生きてるんだけど生かされていること、言葉にならない膨らみの中にいるような感覚になっています。
大きな宇宙のひとつの点になったみたいな感覚です。
メモリアルデーのシェア、ありがとうございます!

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