相変わらずの背中の痛みです。
相変わらず背中が痛い毎日です。脊損になる事故からもうすぐ7年が経ちます。病院を出てからだと6年。ずっとこの痛みとつきあってきました。背中をマッサージする方法をいろいろと試してみましたけれど、なかなかこれというやり方と出会えません。結局、どれも対処療法で、痛みがなくなるわけではないのです。もう痛いのも仕方なし、というのが正直な気分です。
リリカなどの痛み止めは毎日服用しています。この痛み止めがいったいどれぐらい効いているのかもよくわかりません。痛みの内容も、日によって違います。痛いなぁ痛いなぁと強く思う日もあれば、何かに集中していて痛みにあまり気持ちが向かない日もあります。天気、たとえば低気圧とか雨がふるとか、が関係しているという説もありますけれど、実際のところはよくわかりません。
とにかく、強く心に誓っていることは、もしももしもアラジンの魔法使いと出会えたら、「もう一度歩けるようにしてくれ」とか「事故前と同じ身体にもどしてくれ」ではなくて、「背中の痛みを取ってくれ」と頼むことです。だって、現実問題としてですね、もう一度歩けるようになるため、事故前の身体にもどしてもらうためには、きっときびしいリハビリテーションが必要になると思うんですよ。もう7年歩いていないのだから、足の筋肉はすっかり落ちています。ですから、きっとリハビリテーションはとっても大変だと思うんですよ。時間もかなり使わなくてはいけない。お金もかかるかな?? というわけで、頼むなら「背中の痛みを取ってくれ!」です。これなら、リハビリもお金もかからないかなぁ、と。アラジンの魔法使いは非現実的で、お願いすることだけ現実的に考えていることが、そもそもバカバカしいお遊びなのですけれどね。それだけ、背中の痛みは、私の生活に大きな位置を占めています。ま、できるだけケンカをしないで、仲良くするしかないのです。
過去のいじめを許せるのか?
たまたまニュースを読んで、ふ~むと考えたことがありました。なんですか、東京オリンピック2021の開会式とか閉会式とかの音楽を担当される人が、中学校?かな、高校かな?かな、とにかく同級生をひどくいじめた過去があったということで、オリンピックに関わることはふさわしくないという声が上がっているそうです。記事を読んでみると、この人は52才です。いじめっ子だったのは10代のことだから、40年近く前のできごとで、彼は評価されているのですね。
「いじめられた側」からすれば、おそらく何十年前であろうとも、尊厳を冒涜されたことはチャラにはできないだろうと想像します。いつまでたっても、絶対に許せない。いまさら謝られて、それがなんになるでしょう?間違いなく犯罪行為です(でも、それを言い出すと時効なんて話がでてきたりしちゃうかもしれないけれど)。刑務所に行って欲しい、そういうことで具体的に償って欲しい。それだって、あくまで便宜的な処置であって、心の中の抗議の気持ちは死ぬまで持ち続ける。それがいじめられた側の気持ちでしょう。
いじめられた記憶は消えない。だからクラス会も出たくない。同窓会とも縁を持ちたくない。そんな人は実は少なくないのだと思います。実際、昔の同級生と道ですれ違うと、顔では笑って挨拶するけれど、心のなかでは昔のいじめを忘れられなくてジクジクたる思いをしている、という話を聞いたこともあります。特に小中学校は地元と密接にかかわっているから、同じ場所に住み続けていればどうしたって昔のクラスメートと顔を合わすことになる。だから、成人式も楽しい場所じゃない。結局、故郷には帰りたくない、なんてことにもなる。実際に、子どもがいじめられたことが原因で、家族で引っ越すなんてケースもある。
それだけ「虐め」というのは、ひどい行為だと思います。だから、件の彼が以前に雑誌でいじめを笑い話として告白したことは、とても褒められた話ではない。でも、それを言い出せば、過去に他者をいじめた経験を公に告白してない人は星の数ほどいるでしょう。あるいは忘れてしまった人も多いでしょう。さらに、いじめた覚えがないのにいじめられた側からすれば覚えているという事例も少ないだろうと思います。
私は?思い返すと、いじめたこと、あるのだと思います。ひどいあだ名をつけて、そのあだ名で呼び続けた級友がいる。もちろん、今会ったら彼に謝りたい。でも彼を探し出してまでして謝ることはしていません。なぜ・・・?なぜかな。じゃ、それを理由に、私もオリンピックに関わる仕事はするべきじゃないのかな(しないけど)。
他にも、私は忘れていて、でも相手は覚えているようなことがないとは云い切れません。知らず知らず、他人の尊厳を傷つけたことが、特に若い頃、きっとあったに違いないのです。
一方で、自分の尊厳が傷つけられたこと・・・、あったような気もします。でも、それは大人になってからのほうが覚えているかな。子どものころは、やっぱり私は不遜で、だから人を傷つけることが多かった側じゃなかったのかな、と思い出すのです。
自分の家族を殺した隣人たちと生きる
ちょっと話を変えて。
私がこれまで働いた社会の中で、特にカンボジアとルワンダは、20世紀の後半に大きな虐殺があったことで知られています。カンボジアは1975~1979年のポルポト時代に、200万人前後の人たちが強制労働や飢え、さらには虐殺によって死んだ。ルワンダでは、1992年に数ヶ月で100万人近くの人たちが人狩りによって殺されました。
私がカンボジアにかかわったのは主に2002年からですから、大虐殺から四半世紀が経っていました。ルワンダにかかわったのは2012年からですので、やはり大虐殺から20年が経ってからのことです。それぞれの社会で、過去の大虐殺との向き合い方は違いました。ルワンダでは、毎年4月7日が慰霊の日とされていて、その日を中心とした数週間に全国で多くの慰霊の式典が開かれています。そのたびに、過去の虐殺の記憶が呼び起こされる。虐殺で殺す側に立った人たちの多くが、今は刑務所を出て自分の家に帰っています。そしてその地域には殺された側の生き残った人たちも暮らしている。
ルワンダでは、虐殺犯罪者があまりにも多数にのぼったため、刑務所は満杯となり、裁判も間に合わず、そのため地域社会がガチャチャという昔からの作法に則ったやり方、つまり近代裁判制度とは違ったやり方で犯罪者たちを裁くという方法が取り入れられました。村人たちの前で犯罪者は自らの行為を語り、あるいは否認し、生き残った人たちが彼らの罪を問い、そして村人たちの議論を通して犯罪者を裁いた後、最終的には犯罪者の社会復帰を許すというやり方です。そこには死刑という判断はありません。家族を殺された側、あるいは生き残った人だって大きな怪我を負った事例も少なくない中、「虐められた側」の人たちは「虐めた側」の人たちを、地域社会に受け入れるという選択をするしかないのです。当然、そこには赦しの苦しみがあることがわかります。戻ってきた殺人者が、生き残った人に語りかける。許しを請う。それを受けて、黙り込む人。寂しい笑顔を見せる人。
カンボジアでは、ルワンダの慰霊の日にあたる過去と向き合うプログラムは特にありません。そして、ルワンダのガチャチャのように、とにかくけじめとして過去の殺人者が裁かれるシステムもありませんでした。ですから、やがてほとぼりが冷めたとき、なんとなく「虐めた側」と「虐めらた側」が同じ社会で暮らすことになりました。ポルポト時代直後は、いわゆる仕返し、復讐的な殺人も少なくなかったようですけれど、そういう社会の中の狂気の熱狂は長くは続かなかった。もう人々は疲れ果てていたのだと思います。そういうわけで、もし虐げられた側と虐げた側が隣人として暮らすことになった場合も、まるで過去などなかったように挨拶をするようなことが、カンボジアでは今でもあるようです。もちろん、内心の葛藤はあるはずです。ことさら「赦す」という感情を誘発するシステムもない。カンボジアは、赦すことよりも、諦めることが過去と向き合う方法になっているようにも見えます。諦めて、黙って、忘れていく。あるいは、覚えている人が黙り込んで、やがて寿命がきて亡くなっていく。もしかしたら、それも一つの赦しの形なのかもしれません。
心の引っかき傷がどうしても多くなりがちな障害者
また少し話が変わって。
私は障害者の人たちが多く参加しているいくつかのSNSのグループに入っています。そこでは、希望が語られることもあれば、絶望がほとばしることもある。愚痴を書き込む人もいれば、その愚痴にコメントをする人もいる。中には出会いを求めて参加する人もいる。いろいろな感情がすれ違う場所です。
その中に、特に中途障害者で、自分が障害を負った原因への恨みを語る人もいます。他者の不注意、無責任によって、怪我をしたという、つまり恨み節です。そして、多くの場合、障害を負った側からすれば、その障害を負わせた側は十分な償いをしていないと感じています。つまり、自分はこうやって障害を負いつらい日々を送っているのに、その原因を起こした人はのうのうと前と変わらない日々を過ごしているのです。そして「許せない」となる。
そんな投稿に、「過去に目を向けずに、前向きに生きましょう」とコメントを書き込む人もいます。でも、私が読む限り「そうですね、はい、前向きに生きることにします」というリアクションはない。たいていは「他人のあなたに、私の気持ちがわかるか!」という反応です。
どっちも、わかる気が私はするのです。「過去は忘れて、前向きに」と言いたい気持ち。きっとそれは、自分自身にも言い聞かせているのでしょう。そして、「他人にわかるか!」と言う気持ちもわかる。そりゃ、そう言われたら返す言葉はありませんわね。SNSで愚痴ることで、少しでもスーッとするなら、それはそれでいいんじゃない、とも思う。読みたくなければ、スルーするか、どうしても嫌なら、嫌な自分がそのグループを抜けるか、あるいはSNSだって止めればいい。
心の引っかき傷がどうしても多くなりがちな障害者たちの中には、どうしたって他者から見れば余計な一言、過激な返信、無残な言い訳、過剰な愚痴、みたいなものも顕在します。そういうやり取りも、仕方がないって、一読者としては思う。そんな裸の気持ちのやり取りを知るのも、そのグループに入っているひとつの意味だと思う。痛みを分けてくれて、よかったじゃないって、思う。
赦せるのか? 赦されるのか?
あらためて考えます。人は人を赦せるのか?
過去に人を虐めた経験のある人は、たとえばオリンピックの開会式の音楽作成にかかわる資格はないのか?まぁ、オリンピックという事例があんまりよろしくないですわね。だって、もう汚れちまったオリンピック、そこだけ理想を掲げるのも、カマトトがひどい。
でも、とにかく過去のアヤマチは、取り返せないのか。ある種の裁きを受け、償えばいいのか。遠い過去の出来事を許せないというのは、許せない側にも責められるある種の頑なさがあるのか。時が解決する、時が忘却につながることを、積極的に認めるべきなのか。
さらに、虐げられたものの執着と、虐げたものの忘却と、その両者の間にある深い溝をどう埋めればいいのか。
もちろん、ここで何の答えも、私は書けません。書く覚悟もなければ、書く資格もない。
ただね、「取り返しのつかないことはない」って云ってみたい気持ちはあるのです、私には。まぁ、死んじゃうとね、それはまた生き返るわけにもいかないんで、それを「取り返しがつかないことはない」とは言えないのだけれど。
でも、もしあなたが虐げられた経験があって、心に深い傷を負って、あるいは身体にも障害を負って。もちろん、その深い傷は癒えない。障害も簡単にはもとに戻らない。それでもそれですべてが終わったわけじゃないよーって言ってみたい。だから「取り返しのつかないことはない」ってつぶやいてみたい。
もしあなたが他者を虐げた経験があって、それが嫌な思い出で、忘れたくて。でももうやってしまったことはどうしたって償いようがない。言葉でもお金でも刑罰でも、過去は消せない。でもでも、それであなたの人生すべてが否定される必要もないんじゃない。だから「取り返しのつかないことはない」ってささやいてみたい。
ま、それだけなんですけどね。書きたかったのは。最後まで読んでくれたあなたに、ありがとう。
最後に、今回、話の種にしたそのオリンピック云々の人。彼の書いた声明文は、私はしっかりしたものだと思いました。あれ以上、彼に何ができたでしょう。彼にこれ以上石を投げる人を、私は支持できないな。そして、彼に虐められた人、障害があった人とも書かれています、が、今、辛くないといいなぁ。彼を許せたら、すごく格好いいなぁ。許せなくても、それはそれでいいんだけどね。
ま、生きるって、辛いこともやっぱりあるよね。避けられないからさ、それは。
じゃ、また。


















いじめの問題。私は小学校3年生から中学校3年生までいじめられました。いじめた連中と同じ高校に行くのが嫌で(と言うよりは恐怖感で)、別の高校へ必死になって勉強して合格しました。それで今があるからよいではないか!とおっしゃる方がいますが、そんなものでしょうか? きっと良い思い出もあったに違いない。でも、まったく思い出すことができません。
カンボジアの虐殺についての赦し。これは本当に難しい。隣人が自分の兄弟を殺したかもしれないとしたら、本当に難しいです。妻は8人兄弟の末っ子で、兄、姉6人が殺されております。
間々田和彦様
いつも読んでいただく、ありがとうございます。
そうでしたか。それはきっと壮絶でとても苦しい日々だったのですね。
そして、おそらくいじめた側は、間々田さんの苦しみを省みることもなかったりするのかもしれません。
笑って学生時代を懐かしんだりしている。やはりそれは理不尽なことのように思えます。
でも、いったいどうやって償ってもらったらいいのか・・・。大切な時は、けして戻らない。
人とは、本当に罪深い存在だと痛感します。
一番いいのは、イジメがなくなることです。でも、きっとそれは簡単ではない。
特に子どもの時代、思春期の時代、私たちはときに残酷で、卑怯で、弱い。それも人。
とすれば、過去の自分の弱さ、罪にたいして、それを自覚した人はどうやって過去を償えばいいのか。
たとえば、この世の中には、他者の命を直接、間接、奪った人たちがたくさんいます。
たとえば、カンボジアの結婚披露宴に出席してまわりを見回すと、私よりも高齢の人たちが楽しそうに歓談している。もしかしたら、その中にも、人を殺めた人がいるかもしれない。いや、きっといるのです。
彼らが、過去の自分の行いを夢見て、汗びっしょりで目を覚ます、そんな夜はあるのだろうか。そんなことを、ときどき想像します。私は、虐げた人の生に関心があるのです。どうやって、その後、生きていけばいいのか。
そのことを考えないと、人はまた殺す。誰もが、その危険性から自由ではない。
もしかしたら、間々田さんがイジメる側に回る危険性はあったのかもしれない。
たまたま、運がよくて、そうならなかったけれど。それは周りの家族のおかげ?生得の気性?きっといろいろな要因がありますよね。いじめる側もそう。彼らが彼らだけの責任でイジメる行為に走ってしまったのでしょうか?多分、ちがう。それぞれ固有の背景はあるものの、彼らも時代と社会から自由であったはずはない。
ポルポト時代に殺す側にまわってしまった市井の多くの人たちと同じように。
ルワンダや、カンボジアや、を例に出すまでもなく、今日も虐げられる人がいる。つまりは、虐げる側の人もいる。集団として人が集まると、どうしてもそういう無用と思える関係性が生まれてくる。それが人の持っている避けられない気性だとすれば、それをとことん見つめる以外に、そこから逃れることはできないように思っています。
奥様のご兄弟のこと、本当に痛ましいことです。そして、カンボジアではそれだけ多くの被害者に匹敵するだけの、多くの加害者がいる。もちろん、加害と被害を完全に2分化することもできません。加害者であり、被害者であった人も少なくない。そして彼らは言う。「仕方がなかったんだ」と。きっとそのとおりでしょう。
イジメでも同じ構図はあります。自分がいじめる側にまわらなかったら、必ずやいじめられる側になっていた、と。だから、仕方なく、嫌だったけれど、いじめる側に位置してしまったと。きっとそれも嘘ではないでしょう。
けれど、殺された側、虐められた側に、そのエクスキューズは有効なのか???有効なはずもない。
答えはでません。とにかく、自分の負の側面から目をつぶらないように、まず自分で考えるしかないのでしょう。それが、昔、お山の大将(今から思えば、なんという小さなくだらない山だったのでしょう)だった者として語れる精一杯の言葉です。どうも、ごめんなさい。
とにかく、もう誰もいじめない。いじめられても、いじめない。誰かがいじめられているのを見たら、けして黙ってみていない。もう誰も撃たない。撃たれても、撃たない。誰かが撃たれそうだったら、黙って見ていないで止める。そんなことも考えます。できるかな?怖いです。でも、思考実験しておかないと、そのとき、動けない。
村山哲也