義母の信仰
パートナーであるサンワーのお母さんはとても熱心な仏教徒です。自宅には立派な祭壇があって、彼女はよくそこでお祈りをささげています。さらには、月の暦に従ってほぼ毎週のように回ってくる「寄進の日」には、お寺参りを欠かしません。
彼女にはサンワーを含めて4人の子どもがいます。一番上のお兄さんは1970年ごろの生まれ。お姉さんを身ごもっていたときに1975年4月のポルポト派(クメールルージュ)によるプノンペン“解放”となり、プノンペン在住だった彼女は故郷のカンダールの村に追い返されます。幸いなことに、村でお姉さんは無事に生まれました。けれども、ポルポト政府がベトナムによってプノンペンを追われる1979年12月のころ、彼女は3人目の子どもを流産してしまったそうです。そして1980年の末にサンワーが生まれ、さらに2年後に妹も生まれます。
ポルポト時代後の1980年代は、虐殺の危険はすっかり軽減したものの、カンボジアはとても貧しい時代でした。その時代にまだ10歳にならない子どもを抱えて、さらには二人の赤子を抱えて、きっとご両親はずいぶんと苦労をされたはずです。
そんな苦労の時代でも(苦労の時代だからこそ?)、彼女の信心はとても強かったそうです。
たまたま美味しいものが手に入った際には、それはすぐにお寺に寄進されてしまった。サンワーの妹さんによれば、「私も食べたいのに、お坊さんに差し上げるからと食べさせてもらえなかった。お母さんにとっては私たちよりもお坊さんのほうが大事なのっ、って恨めしい気分になりましたよ」ということなのです。
父母の信仰
私の両親は、それぞれ仏壇のある家で育ちました。ある時期、私は父から「あえて言えば、やっぱり自分は仏教徒だなぁ」というように言ったのを覚えています。父は1990年ぐらいから10年強のあいだ農業水利関連の海外開発協力の仕事に拘わり、母も父についてあちこちで暮らしています。西アフリカのニジェール、東南アジアのインドネシア、南米のパラグアイ………。国によってはその入国カードで宗教を問う欄もあり、そんなときは彼らは仏教の項にチェック印を入れていたはずです。
けれども、2年半ほど前に亡くなった父は、一切の宗教的アレンジメントを廃した“無宗教”での家族葬を生前から希望しました。そして、今は元気な母も、自分の死後は無宗教でと。私が知らないうちに、両親は仏教徒であることを止めたようなのです。
私が育った家には仏壇はありませんでした。人並みに七五三は神社に行った写真が残っていますし、クリスマスプレゼントも届きましたし、初詣なんかもしたことがあったように思います。けれども、ほとんど宗教色のない環境で日々育ったといっていいでしょう。
さらには、私は唯物論バリバリの理科の教師です。世界はビックバンで始まり、その後の過程で生じた様々な元素で構成されている。神様が作り上げたモノではない、と心の底から“信じて”います。心の深いところからの無神論者です。
けれども、ときには「神様!」と祈るような気持ちになることはあったと思います。その神様がいったい何なのかはよくわかりません。一神教でもなければ、菩薩様でもない。守護霊なんかいるわけありませんし、さて……。でも、人が「神」のような自分の存在を超越したものを想定する、その気持ちはわかるような気がします。そして、それは非科学的であって認められない、なんてことはまったく思っていない。そうだよねぇ、神にもすがりたい気持ち、あるよねぇ、って思ってます。
そういえば、20代半ばで高校野球の監督をやっていたときには、東京生まれ育ちの私は勝負の神様と言われる神田明神にわざわざ初詣に行ったような記憶があります。ま、日ごろの不信心のせいか、特にご利益があったようには思えませんでしたけれど。多分、デートの理由付けだったんじゃないかしら。不信心極まれり、でありますかね。
さらに、受験を控えた甥っ子姪っ子には、天神様のお守りを買って贈ったことも数度あります。そんな風に応援の気持ちを伝えることがあったわけです。
こちらのほうも、まぁたいしたご利益はなかったのかもしれませんけれど。
けれども、実はすでに中高時代には、神に向かって手を合わせるという行為はできるだけ回避するように心がけていたように思います。何かの機会に、家族や友人と神社仏閣を訪れた際にも、祭壇には向かわないようにしていたのです。なんでだったのかなぁ? きっと宗教が戦争の理由になったりすることを知って、いやーぁな気持ちになってたんだろうと思います。
私のような時代の“作品”は「戦後民主主義」のひとつの成果なのかもしれません。それを心地良く思わない人たちからすれば、「自虐的史観」に染まっている、ってことになる。うるせー文句あるかよ、って私は思っているのですよね。どっちが世界に貢献できるよって、喧嘩を売りたい気分です。喧嘩も大嫌いな弱虫毛虫ですけれど、私は。
弱虫毛虫になれた背景には、おそらく両親の無宗教的バランス感覚はあったのだろうと思うのです。彼らは私に絶対的な真理を与える、ということはけっしてなかった。母が幼い私に告げたことで、すぐに思い出すのは…。
「貧乏はあんたの思っているほど美しいものではない」(名曲『神田川』(歌うはもちろん、かぐや姫)を聴いているときに、母が横でつぶやいたのでした。中学1年のころだったと思います。もしかしたら、世界の格差問題などに興味が向いたのは、この言葉が背景にはあったのかもしれません)
「平凡であるのが一番」(若い頃はこの考えにはずいぶん反発しましたけれど、でも、市井の人たちへの優しさとして、今は素直に受け取ることができます)
宗教ってさ(どうでもよい、まとめ1)
とにかく。戦争は嫌なものという情報は1970年代の身の回りにはたくさん流れていました。そして、遠いところで起こっている戦争を知っていくと、兵士のために祈る宗教家がいることがわかってきました。「敵を倒せ」と出兵する兵士に祈る神父、という図です。「武運を祈る」と大麻(お祓い棒)を振る神官という、あれ。
違う神を信じる者同士が喧嘩しても、勝ち負けがあれば、救われる(勝利を得る)のは片方だけ。つまり、ご利益があるのは一方だけ? 神がいて人々を救ってくれるのならば、なぜ殺し合い(戦争)が起こるのか? それぞれが聖戦を唱え、宿敵(異教徒)を倒せと自分側の聖人によって祝福を受け、出かける戦場、上げたい戦果。あ~やだやだ。そういう気持ちを、多分かなり早い段階から持っていたようです。
コロンブス後に新大陸で起こったキリスト教徒による大虐殺。キリスト教徒の中だって、カソリックとプロテスタントの間での血を血で争うような殺戮合戦。イスラム教とキリスト教との争いも、そこにユダヤ教が絡んだ(極東の無神論者から見れば)兄弟喧嘩のような殺し合いの歴史も、あぁ醜いことです。仏教徒は? なんとなく、西洋方面の一神教よりは多少は寛容性があるような気はしますけれど、まぁ宗教は人を狂わすという点では、どの宗教もそれほど大きな違いはない。私の祖父母の時代(ついちょっと前)には、現人神を敬っていた社会に生まれたことも、もちろん批判的に理解していました(自虐的史観で、そういうふうに戦前教育を負のものとして理解させられた?、でも、教育する側は正しい選択をしたと評価していますよ、私は)。
信仰を理由に、殺された人たちも数知れない。一方で磔とか火炙りとか、さらにそれを殉教としてほめたたえるような感覚は、日本帝国軍による特攻や今でも絶えない自爆攻撃にもつながっているのは明らかです。宗教って怖いじゃん、ねぇ。
一方で、各宗教には、やっぱりそれなりに人として尊敬に当たる聖人も存在しているのも確かです。中南米でのキリスト教徒による先住民への弾圧を告発したラスカサス神父を筆頭に、人々の幸せにつながる生き様を見せた宗教家も多いのです。そんな彼らの強靭な精神を育んだのも、宗教だったのも確かなようです。神の存在があったから、強く生きることができる、それも本当のこと。
宗教にも、良い面悪い面あるってことで簡単に言っても詮無いことなのでしょうけれど。そして、「強い」と書きましたが、宗教・神を心底信じることができる人こそが、弱者のままでいられる(それが強靭さ?)。
ガザ、が頭から離れないって奴もいる
さて、パレスチナです。関連する本を何冊か読み繋いでいます。改めて、シオニズムとは何か、イスラエル建国の歴史とは、パレスチナ難民の置かれている状況とは、そして今ガザやヨルダン川西岸やイスラエル国内で起こっていることを学ぶのです。
すると、ユダヤ教徒の中にはシオニズムを否定する意見も多くあることなどを知ります。敬虔なユダヤ教徒の立場では、神の力によってではなく、武力によって神の地であるパレスチナを「ユダヤ教徒の地」としたイスラエルの在り様は認められない、ということになるらしい。
自らが経験した「ホロコースト(ナチによるユダヤ教徒の大虐殺)」から学べば、パレスチナの先住民を追い散らした「ナクバ(イスラエル建国による先住民にとっての大災害)」がダメなのは当然である、という考え方もユダヤ教徒の中には(当然)根強く存在する。
そんな人たちの中には、ホロコーストから生き残った後に、イスラエルへの移住を積極的に拒否した人たちもたくさんいた。その人たちの子どもや孫が、親の意思を継いで、今イスラエルへ抗議の声を上げている、そんなことも例えば米国で起こっている。
結局、ユダヤ教も一括りにして語ることはできないのです。私からすれば、「良い」ユダヤ教徒もいれば、「ダメ」なユダヤ教徒もいる。あぁ、集合名詞を使ってものを言うのは難しいなぁ。
そんなのんびりしたことを書いている、まさに今このときにも、ガザには爆弾が落とされ、ガザ地区南部への再度の地上戦の危機が迫っています。報道によれば、餓死者も出ている。餓死寸前の人たちの写真も掲載されつつある。それは、私にとっては、まさにアウシュビッツで世界が驚愕した光景と同じだ。二度と繰り返してはいけないと多くが言ったはずの、あの光景と同じです。
それを目の当たりにしていながら、世界はそれを止めることができないでいる。それが私が生きている21世紀のこの社会です。
悔しくはないか? 情けなくはないか?
再度、悔しくはないのか? 情けなくはないのか?
悔しい、情けない、でも、何ができるのか? 一次的には、うん、何もできない。 停戦を祈り、イスラエルのアパルトヘイト政策に怒り、せめてガザの人たちの支援にと少額を関係機関に寄付するぐらいしかできない。
こういう駄文を書き連ねるぐらいしかできない。
だから、せめて、書く。だけど、せめて、書く。
今日、何食べた? 昨日、何した? 明日、どうする? いいのいいの、それでいいと思うんです。一方で、ガザが頭から離れない、って奴もいたりする。けっこう、わたし一人ではない。それが誰かも何人かすぐに心に浮かぶ。
「仲間」? そういう人たちの存在があるというのだとしたら、私は恵まれています。だから、黙らず。殺されるか、寿命で死ぬまで、黙らない。っていったって、ささやかなもんですけどね。けっこう静かよ。活動家にゃ、なれない。人を巻き込むことの躊躇は強い。とにかく、まずは独りよ。それで、いいじゃん? ね?


















いつも興味深く読ませていただいています。
全くおっしゃる通り、ホロコーストで散々酷い目にあって来た人達が一たび力を持ち、多少の大義名分が有れば他者に対して同じような事をするのは歴史の皮肉と言うか、人間の悲しい性とも感じます。
オスロ合意でノーベル平和賞もらったのは何だったのか、あの時もそんなに簡単に解決するものかとは思いましたが。。
色々な国に行き個人レベルで人々に接すれば、(一部の犯罪者や根っからの悪人などの例外を除けば)世界のほとんどの人が平和で穏やかに暮らす事を望んでいるわけで、それが国やイデオロギー、宗教などの要素が絡むと途端に集団として醜い行動に出てしまう。
遠く地球の外から眺めたら何と馬鹿なことをやっているのかと思う事でしょう。そしてこの状況に対する無力感も同感です。せめて生のある限りしっかり見て、考えて行きたいと思っています。(同級生I)
YIさま 同級生I……、どなたかなぁ、と。まったくわからないまま返信しますけれど、またそれもよし。
オスロ合意の後、イスラエルは新たな入植を止める政策をまったくとりませんでした。
その後、ガザからは撤退しますけれど、それも平和目的ではなく、さらにガザは封鎖されますます困窮しました。
イスラエル政府がもともとパレスチナ国家との共存を模索していたのではない!ということ、それが
オスロ合意への現在からの歴史的評価なのだ、ということも読み継いだ本から理解できました。
日本政府は、オスロ合意以降は、米国政府に追随でイスラエル擁護の側に立ち続けていますね。
それも、日本国政府の発行するパスポートを所有する者としては、悲しい。
もともとノーベル賞がかなり政治的なもので。特に平和賞は……、ダメダメなことが多いようです。
イスラエル政府のラビン首相とペレス外相、 パレスチナ解放機構 (PLO)の アラファト 議長の3名でしたか。
ラビンさんはイスラエル市民の若者によって暗殺されていますね。
もしかしたら、彼が生きていれば、また少し違ったことが起こったのか?
でも、おそらく大きな流れは変わらなかったと想像します。イスラエルは、何か市民・社会の中で
革命的な意識変化・価値変化が起こらないと、変わらない。だれが米国の大統領になっても
(オバマでも、トランプでも)大きな意味での米国の犯罪性が止まらないのと同じだろうなぁ
そんなふうに考えています。とにかく、ノーベル平和賞は、ダメダメなのが多い。
そうですよね、でもイスラエル右派も「平和で穏やかに暮らす事を望む」から
パレスチナの先住民を弾圧できる。自分たちの平和のために、殺す。
自分の愛する大切な何かを守るために、殺す。それが出来ていしまう。
集団の怖さなのか? それもあるでしょう。
人間の悲しい性なのか? それもありそう。でも、どちらも克服し乗り越えられるものとも
感じます。実例はいくらでもある。イスラエルがその実例に並べないはずはない。
いつも読んでくださってありがとうございます。
もう少し、読者数を増やせるといいのだけれど、なかなかなぁ。
またお茶請けに、寄ってください。どうぞよろしくお願いします。
村山哲也@プノンペン
私は文章力が無いというよりは確実な知識が少ない。人間の古代史、近代史、現代史についてそれらの真実の歴史の量のほとんどを把握できていないが、人が人に銃口を向けることは個人レベルでも、国家レベルでも許されないことだと自信を持って思う。無力ではあっても私はこういう価値観で生きている。何の働きかけも出来ないということと、無関心であることとは違うと思う。
私はもう傘寿に近い老人です。青年期からささやかに”世直し” 活動などによろよろしながら関わり生きて来ました。70歳で賃労働から完全に身を引き、直後の1年間はカンパ、デモ、スタンディングオベーション、署名活動、各種集会等にも精力的に関わったが自分の1年間を総括し、無力感だけが残った。その後はといえばカンパぐらいで何もしていない。しかし、自分なりの想い、意識を持ってささやかに生きている。自分が自分に責められる日もある。でもじっと生きている。
整えた文章にすればYI氏の投稿文章のようになるでしょう。
匿名様
いつも読んでいただきありがとうございます。コメントも多謝。
世界の圧倒的大多数は無名の人たちです。庶民、市井の人々、無名の市民…… もちろん、彼らが「優しい」人とイコールでは結べない。
市井の人たちの中に、たくさんの不人情や、不道徳や、差別や偏見が渦巻いています。
ときどき、こういう書き方が「上から目線」になっていて、よろしくないなぁと思うこともあります。
一方で、だからよーくよーく考えて物を言う、書く、ことが自分自身に求められているなぁとも思います。
私は、間違いなく、インテリだ。いろんな意味で強者だ。車イス者になった今も、強者であり続けています。
それはなんか自分の選択ではないようにも思うのですけれど、だとしたら、運命? そうかもしれないです。
そのあたりは、適当に考えちゃう。受け入れちゃう。
そのうえで、強者としてどう振舞うのか?
青年海外協力隊に加わった際に、身近に「さだまさし」大好きな奴がいて。
かれが盛んに「愛するの反対は、憎しむ、ではなく無関心だ(とさださんは言っていた)」と
口にするのを聞きました。さだまさしはさておいて、愛の反対は無関心、それはよくわかる。
共感できる。
じゃ、関心があるのと、無関心と、何が違うのか? 実効的には、たとえば今ガザの庶民の人たちの前では
遠い場所で「関心がる」も「無関心のまま」も同じじゃないか? はい、それは否定できないです。
でも、それでも「関心がある」ほうがよい、と思う。それは準備みたいなものです。
日ごろから準備しているのと、まったくしていないのでは、やっぱり違うはずです。
だから無関心はよくない。アンテナを張っていないと、情報は入らない。知ろうとしないと、知らないまま。
でも、私たちは、やがて死んで消える。準備も無駄になる? いや、そんなことはないと思うのです。
社会に、どんなに小さくても「感じ」は残る。どんな「感じ」を残すのか?
開発業界では「100匹目の猿」という現象が注目をあびたことがあります。
もともとは科学的な言説のふりをした、虚構です。けれども、虚構だとしてもわりと元気の出る
虚構です。そうなればいいな、という願いのようなもの。それも「感じ」のひとつです。
じっと生きてる、いいじゃないですか。ささやかは、素敵なことだと信じます。
無名の人であり続ける、とても魅力的な生の在り方だと私は思います。
有名の人は、どうも信じきれない・・・・、私はどうも偉い人は苦手で。
どうぞまた遊びにいらしてください。まずはお元気で。
村山哲也@プノンペン