「おしん」が世界中で見られたという。ぼくとしては「水戸黄門」は、かなりイケルと思うんだけれど、どうだろう? 映像の魅力と、ミャンマーでの教員ドラマのこと。
クウィセロ村での生活が、ぼくの教育支援の原点 1991~1992(平成3~4)年のほぼ丸々を過ごしたケニア西部の村クウィセロ。青年海外協力隊に参加して、派遣されたその村で、ぼくは中等学校(日本の中学3年生から高校3年生...
越境クウィセロ村での生活が、ぼくの教育支援の原点 1991~1992(平成3~4)年のほぼ丸々を過ごしたケニア西部の村クウィセロ。青年海外協力隊に参加して、派遣されたその村で、ぼくは中等学校(日本の中学3年生から高校3年生...
障害・車イス・脊髄損傷以下、死んだほうがマシについて、考える その1 その2です。で、今回はその3。 2016年 相模原事件 最近、相模原事件のことを書いた本を続けざまに数冊読んだ。すでに一審が終わり死刑判決が出て、加害者が控訴をし...
越境南アフリカ ヨハネスブルグの空港の壁に書かれたアフリカの教え 「急ぐならひとりで行きなさい、遠くまで行くのならみんなで行きなさい」というアフリカのことわざがある。南アフリカ共和国のヨハネスブルグの国際空港でトランジット...
海外開発支援何度でも書きます 「迷惑」を見直せ! と。 人を支援する。 いろんな場面が考えられる。日常でなら、道を歩いていて、電車を待つホームで、バスの中で、見知らぬ人をちょっとお手伝いする、あるいはお父さんや赤ちゃんの布オムツを...
障害・車イス・脊髄損傷2014年に事故で脊椎損傷、車イス者となったぼくは、2019年に事故前に暮らしていたカンボジアの首都プノンペンに戻って生活を再開した。そして、カンボジアの車イス者の人たちの話を週末に聴きくことにしたんだ。 今日紹介する...
越境ぼくたちは、見たいものを見ている、見たいものしか見ていない 小学生のころ、ぼくは職員室が好きだった。職員室に入ると、自分も大人になったみたいで嬉しかったのだと思う。中学生になると、職員室が嫌いになった。職員室に入るとい...
越境人生最初の陸路国境は、資本主義と社会主義 陸路で国境を越えた最初の体験は、観光で訪ねた香港から日帰りで深圳(しんせん)に行ったとこのことだ。あれは1989年の1月。香港が英国から中国に返還された1997年の8年ほど前に...
海外開発支援今日の投稿は、近日にzoomを使ってお話をすることになっているSophiaGEDによるプログラム「せかい探検部」の方々へを、まず意識して書きます。一種の伝言板というつもり。で、「若い方々への学び応援」という意図で、どん...
海外開発支援パリの休日 事故に遭う前、まだぼくが立ったり歩いたりできたときのこと。 フランスの花の都、パリでのある遅い午後のことだ。 座って身体の右側に置いたカバンが、そろそろと動いているのにはすぐに気がついた。右隣にすわっている...
越境する人弱者の越境、強者の越境 越境した先で、越境者は〝よそ者〟となる。 越境における弱者と強者の関係は根が深い。越境ではどうしても弱者が生まれがちだ。 たとえば越境者が弱者であれば、彼/彼女/彼ら/彼女らの越境は、他者から...
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