マンデラの爪にも残る血のこびり
「憲法9条を持つ国の人間として、ウクライナの軍事抵抗は支持できない」
前回(前編)のネタ本とした『ウクライナ侵略を考える 「大国」の視線を越えて』(加藤直樹著 あけび書房 2024年3月)の中で、日本社会の(おそらく)平和を大切にする考えの中から出てくるウクライナ戦争への反応のひとつとして紹介されていた言葉です。
ウクライナをパレスチナのハマースに置き替えたらどうだろう? あるいは、南ベトナムの解放戦線なら? 中国の抗日民族統一戦線ならば? カスター将軍率いる米国陸軍第7騎兵隊の本体227名を全滅させたアメリカ先住民スー/シャイアン/アラパホ連合軍の「殺人」はやり過ぎだったか(先住民側も同数程度の死者が出ているけれど)? 写真家長倉洋海が心酔したアフガニスタンのマスード司令官の取った手段は間違っていたのか?
戦争放棄、もう少しきちんと書けば、国際紛争の解決策として武力解決を手段として選択しない、とすれば、侵略に対する反抗闘争としての上記の闘い方も否定するしかないのでしょうか?
ネルソンマンデラは1991年1月にガザを訪問している。その際にパレスチナの政治家に次のように語ったとアンドレマスアルムは自著『パレスチナを破壊することは、地球を破壊することである』(箱田徹訳 青木社 2025)で取り上げています。
「対立よりも平和を選びなさい。ただし前進できないとき、前に進むことができないときは別です。そして、もし唯一の選択肢が暴力であるのなら、私たちは暴力を行使するのです」(前掲書 110ページ)
マンデラは、故郷南アフリカ共和国での反アパルトヘイトの軍事闘争を指揮した人です。彼自身の伝記『自由への長い道 ネルソンマンデラ自伝 (下)』(東江一紀訳 NHK出版 1996)の295ページには、爆弾闘争で市井の人たちから被害者が出たことに対して、マンデラの次のコメントがあるらしい(このマンデラの自伝が手元にないのです)。自分で出典を直接確かめずに、『パレスチナを破壊することは…』からの孫引きで引用します。緑色の下線を引いたのは私ムラヤマです)
「民間人の殺害は悲劇的な出来事であり、私は死者の数に深い恐怖を感じた。しかし、このような死傷者に心を痛めたと同時に、このような出来事は、軍事闘争を始めると決めたからにはやむをえないという思いがあった。[…]オリバーが爆破工作を始めるときに言ったように、アパルトヘイト制度側の暴力があるからこそ私たちは武装闘争を決意したのである」(前掲者 109~110ページ)

マンデラの爪にも残る血のこびり
これは私ムラヤマ自身の戯れ句です。2014年の事故の後、まだベッドの上にいたころに思いついた覚えがあります。きっかけはなんだったのか? 多分、『自由への長い道』を読んだのではなかったか。ちなみに、マンデラが長い囚人生活から解放されたのは1990年2月。1990年12月に青年海外協力隊でケニアに赴任した私は、1991年に勤務先のクウィセロ中等学校の生徒を家庭訪問し、彼の質素な寝室の壁に解放されたマンデラの写真付きの新聞記事が張ってあるのを見ています。とても心に残る出来事でした。あの時点までは、私にとってマンデラは遠い人でした。でもあの壁の白黒新聞記事写真を見たとき、マンデラは私の人生にずいずいずいと入り込んできたのです。
アフリカを考えるとき、アパルトヘイトを考えるとき、つまり私たち人類を考えるうえで、私の中でマンデラはどうしたって重要な人物として無視できない存在なのです。
あの愛くるしい笑顔で人々の前に立ったマンデラが、でも自らが信じる“自由”や“正義”のためには死を恐れず武器を手に取る人だったのは歴史的事実です。そして、彼のその信念は生涯変わることはなかった。そんな武闘派の彼は「殺すな!」という価値観から遠いところに立っていたのかどうか?
いやいや、むしろ逆です。彼は「殺すな!」派だと思う。数多いノーベル平和賞受賞者の中で、彼はむしろ少数派の“真の”平和賞に相応しい側の人物だと思う(佐藤栄作/日本とか、キッシンジャー/米国とか、サダト/エジプト、ペギン/イスラエル、デクラーク/南ア、アラファト/パレスチナ、ラビン/イスラエル、ペレス/イスラエル、オバマ/米国、アビィマハメド/エチオピア、もしかして近い将来のトランプ/米国とか、といった偽の平和賞受賞者とは違うという意味です)。けれども、それは彼の信じる自由や正義に私が共感しているから言えること。もしかすれば、市民を巻き込んだ爆弾闘争を指導したテロリストとしてマンデラを批判する人もたくさんいるでしょう。
そもそも侵略者のほとんどすべてが「平和のために戦う」ことを宣言しているのです。平和とか、正義とか、手垢にまみれていて、気をつけないとすぐに足元を掬われる。
侵略者らと(我らが)マンデラらとを分かつ明確な境界はあるのか?
ある、と思う。どう考えても、彼、マンデラは不正義な価値観の権化アバルトヘイトに対して立ち向かったのです。でも、たとえそうだとしても「市民に死傷者が出るのも仕方がない」という彼の考えにはリーダーとしての驕りはないのか。理想のための犠牲は避けられない、それはつまりカンボジアで無謀な理想社会実現を理由に大量虐殺時代をつくったポルポトたちにつながる第一歩ではないのか? それに、そう、ポルポトだってもともとは侵略者に抵抗する人のひとりだったのじゃなかったか。
つまりさ、もしマンデラを擁護するのであれば、よほど注意深くしなくちゃいけないってことのようなのです。マンデラの爪に残る血のこびりは、決して消えることはない。消すことはできない。
実力行使なしには世界は変わらない。一方で、実力行使はどうしたって血が流れる。
でも「殺すな」が、単なる無力な理想論であってもつまらなくはないか? ウクライナは黙ってロシアに侵略され、パレスチナは黙ってイスラエルに侵略され、ベトナムは米国に侵略され、中国は大日本帝国に侵略されるしかないのか? 「黙ってじゃなく、言論で対抗し、外交努力をするしかないのだ」。本当にそれでいいのか? それで侵略に本当に対処できるのか? 歴史は「それでは侵略には対処できない」と語っているのではないのか?
歴史的事実を真摯に見つめれば、実力行使のない抵抗はほとんどなんの果実ももたらさないようにみえるのです。実力行使、それは武器を取ることを含んだもの、があって始めて社会は動く。侵略とは別文脈になるけれど、たとえば女性の参政権を求めた英国での20世紀初頭のサフラジェットと呼ばれる女性たちの行動は、投石や放火や手紙爆弾という実力行使だった。その危険な行為によって、彼女たちはテロリストと呼ばれました。彼女たちの行動の主たる部分は、留置場でのハンガーストライキや、自死を伴う抗議行動(競馬場のレース中に競走馬に身を投げるなど)でした。けれども、彼女らの抗議によって実際的な被害はあったし、死者が出てもおかしくはなかった(一方で、英国政府がサフラジェットに振るった暴力の数々は、サフラジェットの実力行使と比較すればもう圧倒的にひどいわけですよ)。
1970年代の青い芝の会横浜支部の「障害者を殺すな、障害者もバスに乗せよ」という行動が実際に成果を出し、それが今から振り返っても輝いて見えるのは、彼らが実力行使(実際に公共バスに乗り込み、その運行をストップし、あるいはバス営業所に閉じこもり、器物破損を厭わなかった)に打ち出たからなのです。器物破損ならOK? うん、ここは確かにそうかもしれない。でもその際に想定外の事故で人的被害につながらなかったのは幸運という偶然があったからではないのか?もし、違う偶然で怪我人が出ていれば? リーダーの横塚らは、マンデラが語ったように「このような出来事は、実力闘争を始めると決めたからにはやむをえないという思いがあった。健常者側に障害者に対する差別があるから、私たちは実力行使に出るしかなかったのだ」と語ったのではなかったか?
死者が出るか否かはけして小さな問題ではないにせよ、死者が出たらアウトという判断が常に正しいのかどうか? そんなに簡単に答えが出る話ではないだろうと思うのです。
結局答えはでない。考え続けるしかない、とか、背負うしかない、とか、そのあたりに落とし込むことぐらいしかできない? 暴力反対では、喧嘩両成敗では、解消できない怒りや哀しみの存在を放置した10年ちょい前の健常者ムラヤマがつぶやいたのと同じように、“真の”抵抗による犠牲者の存在を、私たちは本当に「仕方がない」とつぶやいて終わるしかないのか?
その答えは、やはりNoだろうと思う。つぶやいて終わってはダメなのだ。暴力反対、喧嘩両成敗で済ませては、侵略する側、強い側、差別する側に知らず知らず立ってしまう(あるいは最初からそれを狙って、暴力反対や喧嘩両成敗を叫ぶ)のだ。ならば、それで済ませてはいけないことは、ある。
ちょっとだけ政治的なことを書けば。まぁ、そこそこよろしゅうに。
もしかすれば「殺すな」という価値観そのものが無力なのかもしれない。無力ならそれを放棄するかはまた別の話としても。
「攻めてこられても、抵抗しない」という意見もある。それはそれで見識だろうと私は思っている。ただ、その場合、自分以外で武器を手にして抵抗する人たちになんと声をかける?
もちろん、現実として考えるのなら、その「攻める」とか「攻められる」っていったいなんなのか? どっちがどっちを侵略しているのか? どっちが侵略に対抗する戦いなのか? そこをきちんと考えなくちゃいけないですよね。あんまり簡単に「攻められたら武器をとって大事な人を守る」とか言うのは、あまりに架空が過ぎて、馬鹿馬鹿しい。無駄な話でじゃない?
中華人民共和国が中華民国(台湾)を攻める? 内政問題か否かは別にして、それは侵略じゃないか? だから日本は台湾を守るために戦争に加わる? そうすると中華人民共和国が日本を攻める? それは侵略行為の一部なのか?
でも、そうやって考えていくと、私にはどうしても中華人民共和国が中華民国に本格的な武力行為で、つまり戦争で、侵略するとは考えにくいのです。あんまりマジになってもなぁと思える。中華人民共和国がチベットに軍事侵攻した(中華人民共和国的にいえば、チベットを解放した)1948~51年とは国際情勢はまったく違う。まぁ、私は国際情勢の専門家でもなんでもありませんから、素人の戯言ということですけれど。でもなぁ。ないでしょう、ねぇ。
で、おそらく政治とか外交という話だと、まぁ万が一をいろいろ考えることになるのでしょう? 最悪の想定で、それなりの準備をする? はいはい、そうでしょうとも。まぁどうぞよろしくお願いしますってのが、私の立場?になります。まぁ、無理ない程度で、そこそこでお願いしますわ。くれぐれも準備し過ぎってことはないように願います。
侵略への対抗はある……、でもでもその判断基準はどこにあるのか? どこまでが許され可能なのか?
で、話を元にもどすと。
「殺すな」は「武力行為は絶対ダメ」、ではないような気はどうしてもするのです。繰り返しますが、個人レベルで「抵抗しない」、「武器は取らない」、それは認める。私も、今やその域だし。
でも、そのことと、隣人に、友人に、同様のことを求めるのも違うようにも思う。(ちなみに「武器を取らない」「抵抗しない」人ばっかりだったら、その国、たとえば日本、は滅んでしまうというご指摘もあるのかもしれません。はい、その場合は滅んだっていいじゃないですか。国が滅んだって、個々の人生が滅びない方がよっぽど大事では? あるいは、抵抗せずそのまま殺されたら? はい、それもいいじゃないですか。歴史を見ればそういう事象は人類史に山ほどあります。それでも世界は続くよ。地球は回るよ。ということです)
武器を取る隣人に、友人に、「それは本当に必要か?」、「それは侵略への抵抗か?」と問うことはするとして、その答えがYesだったら、どうする? それは「殺すな」に反することだからやっぱり「武器を捨てよ」と言うのか? 自らはすでに武器を取ることを放棄するとして、その者が“正当”な理由、侵略への抵抗のために武器をとる隣人にどう接するか。応援するのか。そして、私は例えばイスラエルに抗するパレスチナの抵抗を応援しているのではないか? 答えはすでに出ている?
危惧するのは、たとえ「侵略に対する抵抗」だとしても、それがエスカレートし、堕落することです。そういう事実も過去に山ほどある。例えば次のような事例がそうです。
大戦の初期には、私は人類愛を熱烈に信じていた。自分自身をガンディの信奉者として、すべての暴力に反対していた。戦争が始まって一年後には、私は後退して、こう言った———不幸にもヒトラーに対しては非暴力の抵抗は実行しがたいが、私はまだ爆撃には道徳的に反対であると。数年後には私は言った———不幸にも戦争に勝つためには爆撃は必要であるように思えるから、私は爆撃隊のために喜んで働いているが、私はまだ都市の無差別爆撃には道徳的に反対であると。私は爆撃部隊にやってきてからはこう言った———不幸にもわれわれは結局は都市の無差別爆撃をやっているのだが、これは、戦争の勝利を助けているのだから道徳的に許されると。さらに一年後には、こう言った———不幸にもわれわれの爆撃は戦争の勝利に本当は役だっていないが、少なくとも私は爆撃隊の乗組員の生命を救うために働いているのだから、道徳的に許されるのだと。戦争の最後の春には、私はもはや何の言い訳も見つけられなかった。(中略)私は独特的原理を次々に下落させてゆき、ついには何もなくなってしまった。
これはフリーマンダイソンという英国生まれで20世紀後半に米国で活躍した宇宙物理学者が書いた自伝『宇宙をかき乱すべきか ダイソン自伝』(鎮目恭夫訳 ダイヤモンド社 1982年) の43~44ページに書かれている文章だと、私が最近読んだ藤永茂著『老いぼれ犬と新しい芸 —在外研究者の生活と意見ー』(岩波現代選書 1984)の93~94ページに紹介されていたものです。つまり再度の御法度孫引きです。ごめんなさい。
第二次世界大戦でのナチス独国と英国の戦争を、独国の侵略と見れるのかどうか、結局は帝国同士のケンカではないか、とも私には思えるのですけれど、それはひとまず置いておきます。ファシズムに対抗する自由民主側の英国の空軍で機種改良等の仕事に就いだ若き物理学者が後年に書き残したものとして読んでみる。
こうして正しい戦いは、劣化し、やり過ぎる。
ほら、結局堂々巡りだ。侵略への抵抗も、圧倒的に弱い側が窮鼠猫を咬むというレベルで反抗する分には共感を得られるのではないか? つまり、武器を取るとしても、そして戦力均衡であれば、あっという間に条件が増える。あれはダメ。これはやり過ぎ。そして侵略する側の攻撃がエスカレートすれば、その抵抗もエスカレートし、当初つけた条件などあっという間に後退する。若きダイソンの悩みは、その後の世界的物理学者でも解けはしなかったように思えます。けれども、やがて人生の後半に入り物理学者としての頂点を意味する米国プリンストン高等研究所の教授に着任したダイソンは次のようにも書いたのです。
この物語の結末は、私がついに研究所の教授になり、そこに居を構え、以来ずっと幸福に暮らしたということである(『宇宙をかき乱すべきか ダイソン自伝』108ページより、これも藤永著からの孫引き)
ダイソン氏を自身の著作で取り上げた藤永氏が、著作中のこの部分につけたタイトルは「天真爛漫な秀才たち」です。この“天真爛漫”には、藤永氏の批判精神があるように私は理解しています。藤永ファンとしては、ついついダイソンさんに向ける私の目も厳しくなる。
とにかくよかったですね、ダイソンさん。あなたの幸せにケチをつけるつもりはございません。でもまぁ、やっぱりその楽天ぶりは羨ましいというか、真似したいというか。それともこの一文すら、世界的物理学者の自身(たち)に向けた皮肉なのだろうか。この本も、自分で読んでみなくちゃダメってことだなぁ。やれやれ。
さて、どうしましょう。どこまでが正当防衛なのか? 正当防衛を個人レベルの話で語るのは簡単ではないとはいえ、可能ではありそう。でも国家レベルでの正当防衛など成立するのでしょうか? ここでもやはりケースバイケース、パレスチナのイスラエルに対する反抗は許す、ウクライナのロシアに対する反抗も許す……。なぜ? 主体として自分はそう判断する。結局、そこなのか? どうしたって普遍的正義はなくて、最後は「俺はそう思う」になってしまうのだろうか。それは私の知性・理性の限界、衰頽……そういうことなのか???
そして結局は「幸せな人生でした」で、OKなのか? はい、OKなのだと思うのよ。
それこそ、世界中の人々が、人生いろいろ山あり谷ありではあったとしても、「幸せな人生でした」と振り返られることこそが大切なことだろうと思うのです。もちろん、その幸せが、他者を踏みつけたり、差別したり、それこそ殺したりした見返りとして手にしたものではない!ということは譲れないにせよ、ですよ。
ということで、ここまでを中編といたしましょう。後編が書けるのか? はい、また近々書きます。ここまで読んでくれた少数者諸君、本当にありがとうございました。当ブログの次の投稿か、あるいは本トピックの後編でか、とにかくぜひまたお会いいたしましょうね。 ではでは、また。

















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