「後編」の背景説明 「殺すな」と「侵略への抵抗」と
僕は常々「殺すな」ということを書いてきました。「殺される」人たちがいるということは、つまり「殺す」人たちがいる。でもこの「殺される」と「殺す」の関係も一筋縄ではいかないことも多い。
たとえば、ナチスドイツ国家によってユダヤの人たちを筆頭とするホロコースト(大虐殺)があって、その最大の犠牲者であるユダヤの人たちが第二次大戦以降継続しているパレスチナでのジェノサイト(大虐殺)がある。「殺される」が、「殺す」にすぐ入れ替わる。
それでも、殺す人がいなければ、殺される人もいなくなる。そんな素朴感情が「殺すな」という言葉には備わっているような気がするのです。
実際には殺された人たちが復活して殺す人に回るわけではありません。だから、もしかしたら主語の取り方が何か恣意的なんじゃないだろうか? 上記の例で言えば「ユダヤ人」という集合名詞が、あまりに乱暴な主語の取り方なんじゃないだろうか。その可能性はかなり高い予感はあります。ただ、それは前編・中編と続けたこのトピックのメインテーマではないはずです。
直截的にいえば、『ウクライナ侵略を考える 「大国」の視線を越えて』(加藤直樹著 あけび書房 2024年3月)を読んだことが呼び水になりました。パレスチナの人たちに対する共感と同様のものをウクライナの人たちに持ちえなかった自分を振り返ったのです。そして、ウクライナを「侵略される」状況をきちんと認識しきれてなかったなぁと“反省”したのです。「ロシアも悪いけれど、米国や欧州の支援を受けて戦っているウクライナもなぁ」という気分は、この本の熱量(つまり著者の加藤氏の思い)にガツーンと喝を入れられたのでした。
その思いから書き始めた結果、「愛国心」をどう考えるかは改めて課題です。愛する自国を侵略される、植民地化される、その暴力に対してどう対抗するか。どうしたって言論だけでは太刀打ちできない。その結果、ウクライナのようにEU(中心となるのは、仏・独)、さらに英国、そして米国の支援を受けながら、自軍を前面に出して戦うか。自軍を持てないような状況であれば、ゲリラ活動に徹するか。このゲリラ活動の多くは、21世紀中盤のこの世界では「テロ」と簡単に一括りにされ批判されるけれども。でも、歴史的には多くの非植民地社会が、テロ活動を繰り広げることで(旧)領主国、あるいは侵略する勢力に反抗してきた。実際に、それらの反抗なしには独立を勝ち取れなかった国/社会は多かったわけです。
ただ、「国」に「愛」を向けるのが、果たして自然な感情なのだろうか? 故郷=国でもないはずで。ただ、自分たちの日々の暮らし、もしかすればそれは受け継いできたモノもあったりする。それを「愛国心」とことさら呼ばなくとも、侵略から、搾取から、日々の生活を守りたい。それはやはり大事な「抵抗」なのじゃないか。
そのあたりを、南アフリカ共和国のネルソンマンデラを持ち出して書いたのが中編でした。そこで問題視したのは「反抗する結果、やり過ぎていくケース」です。暴力闘争は往々にして暴走する、歯止めが効かなくなる傾向があるのではないか?
「愛国(?)」と「暴走」……。侵略される側が持つ「愛国(?)」の真摯さ。けれども、そこで選択された暴力の「暴走」という現実。そのどこで「殺すな」が力を持てるのか?
あ、ちなみに侵略する側による暴力や合法支配は、すべて「殺すな」的価値観によってアウト!(ダメ!)判定必至です。そこにはなんの迷いもない。
大日本帝国の植民地支配に抵抗した“テロリスト”たち
このネタが頭をぐるぐる回る中で、上記のウクライナ本の中で紹介されていた一冊の本が気になり、取り寄せました。
『尹奉吉 暗葬の地・金沢から』(山口隆著 社会評論社 1994年)。 すでに絶版のようですが、幸い中古で入手できました(公共図書館を自由に活用できない街にいると、こんなとき図書館がとっても恋しくなりますねぇ)。
前述のウクライナ本の著者加藤は、日本社会の(いわゆる左翼リベラルも含めた)多くの人たちがウクライナ戦争をロシアによるウクライナへの侵略と捉えられない理由として、日中太平洋戦争後の日本社会で起こった戦争反対運動は被害者意識を背景としていたことを挙げています。もちろん、戦争反対運動の中では日本帝国の「加害責任」を問うものもありました。だとしても、そのことを通しても日本社会は「侵略行為と、それに対する抵抗行為とは、同じ武力行為でも違うものと考えられる」という価値観は持ちえなかったというのです。
しかし、そうした努力にかかわらず、ついに「戦争はまっぴらだ」という地点から出発した戦後平和主義の限界という壁を突破できないまま、私たちは2024年を迎えている。「加害責任」とは「戦争責任」一般ではなく、「侵略責任」だったはずであり、「侵略戦争を問う」ためには「侵略戦争と抵抗は違う」という前提が含まれなくてはいけなかったはずだ。 (ムラヤマ注 けれどもそうはならなかったと著者は訴えているわけです)
そのことを1994年の時点で指摘していたのが、山口隆の『金沢 暗葬の地・金沢から』という」本である。尹奉吉という人物の記念碑を金沢に建立するまでの市民運動を記録した一冊だ。(『ウクライナ侵略を考える』119ページ)
となれば、この本、読んでみたいではないですか。

この本で登場する尹奉吉(ユンボンギル)という人、私の記憶には入っていませんでした。1932(昭和7)年4月29日に彼が起こした「上海・天長節爆弾事件」についても知らなかった。しかし、尹は、韓国では伊藤博文を暗殺した安重根らと共に朝鮮独立運動の義士として国家的英雄のひとりとされているそうです。
この事件は、日本統治下の上海の虹口公園で起こった、日本の朝鮮半島植民地化に抵抗した爆弾事件です。前年の満州事変を受けての日本軍の中国進出である第一次上海事変の終了を受けての、天皇誕生日(天長節)に開かれた野外での戦勝祝賀式典で、尹が式典舞台に手製の爆弾を投げ込んだ。上海の日本移留地の市民代表が亡くなり、他の日本政府・軍関係者ら8名が重軽傷を負いました。重症者の中の一人が重光葵(当時、駐華日本公使)がいます。彼はこの爆弾で、右足を失います。 重光は、1945年の日本無条件降伏時に米海軍ミズリー艦上で、日本政府を代表して署名をした外務大臣です。古い記録映像で、彼が片足を引きずりながら歩く様子は記憶にあります。あの足の負傷を負ったのが、この上海天長節爆弾事件だったのです。
朝鮮半島の植民地化反対のための爆撃テロが上海でなぜ起こったのかというような事情は置いておきましょう。爆撃犯の尹は事件直後に現場で拘束され、陸軍軍法会議を経て銃殺刑が決まります。この軍法会議を行ったのが、上海に派兵されていたのが金沢を拠点とする陸軍第9師団だったため、尹は金沢に輸送されて事件から約8ヶ月後の12月19日に処刑されました。その尹の遺体が埋められていた場所に記念碑を建立する活動を記録したのが、『尹奉吉 暗葬の地・金沢から』なのです。
著者の山口は金沢の人で、1980年代後半に当時の金沢大学の在日朝鮮の学生の指紋押捺拒否を支援する活動が縁で、尹の記念碑建立活動に出会ってしまった。
その山口が、金沢の人たちに記念碑建立への支援を呼びかけたときに返ってきた市民からの反応が本書31ページに以下のように具体的に書かれています。
「爆弾で! それじゃ彼はテロリストじゃないか」
「確かに日本軍がやったことは反省に値する。しかし、あくまでテロには反対です」
「暴力に対して暴力じゃ本質的な解決にならない。暗殺という手段が、よくないね」
「生理的に、人殺しは好きになれない」
「お金は出すわ、でも前半(事件)に対してではなく、後半(暗葬)に対してですよ」
日ごろから何の“準備”もないまま、同様の支援を頼まれたら、おそらく多くの人が示す反応だろうと想像します。僕もそうだったろう。それは1990年ごろでも、2025年の今でも変わりはないのではないでしょうか? だから、ウクライナ戦争をロシアの侵略行為と受け取り、ウクライナの人たちの抵抗を評価できない。
そんな日本社会の課題を、1994年に山口は書きます(同じく31ページより)。
基本的には、誰しもがテロ=暴力には反対だろう。テロなど起こらない社会が一番いい。だからといって全てのテロを否定することはできない。全てのテロを否定することは、侵略された人々の抵抗の権利を認めないことであり、また、国家の暴力に対しても、民衆は沈黙し続けなければならないことになる。
かって、ヨーロッパではナチスと戦うために各地でレジスタンスが市民により自発的に組織された。侵略者の巨大な軍事力に対抗する少数者のレジスタンスの始まりはテロであった。アジア、アフリカで、そして最近のインドネシア、アラブ、東チモールでも……
古今を問わずヨーロッパでのレジスタンスを肯定的に評価する日本人も、アジアのレジスタンスは批判的にとらえるか、全く拒絶反応を示す人が多い。それは「ナチス」の悪行には目を向けても、「大日本帝国」の悪業には触れたくないという身勝手な姿勢であり、自己正当化しようとする論理だ。
なるほど。僕は山口氏の言っていることは正論だと思います。確かに、そのとおりなのです。「前編」でちらりと書いたように、「戦争反対」ではダメなのです。「侵略戦争反対」でなければ、戦争は皆喧嘩両成敗になってしまうのだから。
「殺すな」の限界なのか? んにゃ、そんなことあんめいよ。
ならば、「殺すな」は限定的に使うしかないのか?
そもそも「殺すな」の背景には、「殺す側」の存在がありました。この「殺す側」とはなんだったのか? 僕の理解では、それは「侵略する側」「尊厳を踏みにじる側」「他者(弱者)に理不尽を押し付ける側」です。だから、「殺すな」は、「侵略するな」「尊厳を踏みにじるな」「他者(弱者)に理不尽を押し付けるな」と同義です。「殺すな」は、殺さなければいい、という問題ではないはず。殺すという行為によってもたらされる「死」が、取り返しがつかないという点で、「侵略し」「尊厳を踏みにじり」「理不尽を押し付ける」その究極的な象徴として「死」につながる「殺すな」があったのです。
だから、たとえ抵抗のためであっても、やはり一般市民を殺傷するということはその個人を「侵略し」「尊厳を踏みにじり」「理不尽を押し付ける」ことでしょう。その一面では、(いき過ぎた)抵抗にも「殺すな」は使える。けれども、もしその市民が侵略する側に位置するのであるとすれば? そしてその侵略に対して賛意を示し、あるいは同意し、あるいは利益を得ているとすれば? それは抵抗されても致し方ない存在でもある。 自分の位置する社会の侵略性に無自覚であるとすれば? やはりその無自覚は攻められることになるとやはり私は思う。 だから、たとえ抵抗でも児童を巻き込んではいけないという理屈になるわけだ。児童は、その無自覚性を問われるべき存在ではけっしてありえないだろうから。
「侵略し」「尊厳を踏みにじり」「理不尽を押し付ける」はダメなのだ。この原則に常に立ち返り、あとはこの複雑系の社会の中で起こる多様な事象ひとつひとつを検証していくしかありません。もちろん、私ひとりでこの80億の人口を抱える人類地球社会すべてを網羅することはできないし、その必要もない。それでも、出会うのです。出会ってしまったら、考え判断するしかない。その繰り返しだけが、「殺すな」と言う状況を少しずつでも減らすことができるのだろう……、知らんけど? でも、きっとそうなんだよ、とやっぱり思う。
そのうえで、尹の記念碑への寄付を呼びかけられて、あなたがどうするか、それはアナタ自身が決めるしかない。私なら、「テロだから寄付しない」という理屈はもはやあり得ません。それでももしかすれば寄付しないという判断だってするかもしれない。だってその日の体調とかもあるじゃんか、ねぇ? あるいはその日の懐具合ってのだって、どうしたってあるわけで、ねぇ。でも、尹を切羽詰まらせてしまったものを、見つめたい。特にそれが、私を生み育てた社会との連続性が強い過去であるとすれば、なおさらに。
そして、僕自身は。たとえば20代のころであれば、「愛する人を守る」なんて思えば、抵抗のための銃を手にできた可能性は否定できないのです。そのような選択を決断するような機会は幸いにもなかったため、この問い(お前なら銃をとったのか?)を再検証することはもう絶対にできません。20世紀後半に東京に生まれた僕は、この点ではラッキーでした。僕の手柄ではないし、本当に単にラッキーだった。
そして、60代を迎えた私は、今や積極的にだろうと消極的にだろうと、抵抗だろうと自衛だろうと、銃をとることはしない、と決意しています。愛する人と共に、殺されるときは殺されるしかないだろう、と感じ思っている。そして、この世界80億の人類の中には、私の現在の「殺さない」という考え方は、多数派かどうかはわかりませんけれど、でもものすごい少数派でもないだろうという強い予感はあります。もちろん、逃げられるなら逃げます。逃げるだけ逃げる。でも、その上でねぇ……。理不尽な殺され方はされたくないけれど、人類史の中でどれだけ理不尽な殺され方をした人たちが多数存在するのかを思えば……、自分だけがそんな人類史から自由であるはずもないとも思うのです。ダメなホモサピエンスたちは、何度も痛い歴史を繰り返してきた。21世紀だとしても、実際にそれは地球のあちこちで繰り返されている。そこから完全に自由で、無関係だとすれば、それは贅沢過ぎるはず。いつか、もしかしたら明日、火の粉が僕の肩にそっと触れることだってきっとあるのです。
一方で、それだけ多くの人たちを理不尽にも殺した/殺している人たちもいる。銃で、マチューテ(鉈)で、ドローンで、毒や放射能をばらまいて、無視することで……。それは「殺さなければ、自分が殺されていた」(1994年ルワンダ大虐殺での殺人を犯した人たち多くが語った言葉、あるいは1975~79年のカンボジア/ポルポト時代にオンカーに命じられて虐殺を行った人たち多くが語った言葉)から仕方がなかったのか? 本当にそうなのか? あるいは「組織の中で単に仕事をしただけだ」(ナチスドイツでホロコーストに関わった人たち多くが語った言葉、あるいは水俣で有害排水を海洋投棄していた株式会社チッソの社員の多くが思っていたこと)だから仕方がなかったのか? 本当にそうなのか? 政府を信じていただけ、原子力発電所の安全神話を信じていただけ…。じゃぁ私たちに何ができるのか。「殺して」いないかどうか、常に足元を見て、目の届く範囲だけでも見回して…。
だからやっぱり「殺すな」が「殺されるな」以上に大切な思想に思えてくるのです。油断していれば、僕たちは殺すのです。殺せる。それは歴史がいやというほど証明している。
「前編」「中編」「後編」と書きつないできて、改めて、そういうことだろうと思い至る。月並みだけれどさ、それだけ普遍的ってことでもあるのじゃないか。
いやいや、書き足りないこといっぱいあるのです。たとえば、愛国問題は、まだちゃんと書けてないですね。でもきりないしなぁ。
ということで、このテーマは、ひとまずここまで。
前編からここまで読んでくださった方がいたとすれば、それは本当にありがたいことです。どうもありがとう。全部読んだよ、って内緒で声かけてくれたら、機会を作ってお食事お誘い申し上げますよ。もちろん私のお・ご・り、で。希望者多数となった場合は……、ま、そんなことないから心配することもないか。
んじゃ、またまた~。

















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