『郵便配達人(イル・ポスティーノ)』ぼくが開発系学習プログラムをデザインするなら、必ず使う教材のひとつです!

 『郵便配達人(イル・ポスティーノ)』マッシモトロイージフィリップノワレの名演 教育とは何か、支援される側と支援する側の関係とはどんなものか、それを描いて、とにかく大傑作、大好き。映画です!イタリア産です。

 フィリップノワレといえば、1988年製作の『ニュー・シネマ・パラダイス』の映画技師アルフレ―ドでご存知の方も多いと思います。はい、ニュー・シネマ・パラダイス、ぼくも大好きな映画です。で、この『イル・ポスティーノ』は1994年の製作。フィリップノワレは、パブロネルーダという実在のチリの詩人を演じています。
 で、注目はなんといっても主人公のマリオを演じたマッシモトロイージ。この映画の撮影直後に夭折してしまったことも、この映画のマッシモの熱演につながっているのかもしれません(マッシモは心臓が悪く、手術とこの映画との選択で、映画撮影を選び、撮影終了直後に亡くなったとWikipediaでは書かれています)。彼はもともとは舞台俳優で、シェークスピア劇などを演じていた役者さんだったそうです。41歳、死ぬには若い…。

 でですね。この映画、まさに教育とは何かを示しているのです。
 さらにですね。支援する側と支援される側の関係性を、ある残酷さをもって描き切ります。
 映画の中では、特に支援とか、援助とか、そういうことでストーリが進むわけではありません。けれども、身体が弱く、それでもアメリカンドリームに憧れる、弱者マリオは支援される側を体現します。そして、熱く恋の詩を語り、祖国チリから海外政治亡命の身でありつつも国際的名声を得ているネルーダ(この映画で描かれた時代の後となる1971年にはノーベル文学賞を受賞)は、どうしたって強者であり、それが支援する側を象徴してしまっている。

 そんな映画なんです。

学びとはなにか、支援される者とされる者の関係とは……

 以下、ストーリーをぼくなりに記述します。思い間違い等あるかもしれませんが、そこはご容赦。さらにネタバレありありですので、そこもご容赦。

 地中海に浮かぶ島の貧しい漁民の家に生まれながら、身体が弱く漁師の父親の仕事も継げないマリオという青年。彼のもとには米国に渡って車を購入した友人から手紙が届きます。いいなぁ、アメリカ、オレも行きたいなぁ。
 そんな島の生活に、チリを政治亡命しイタリアにやってきた国際的詩人ネルーダが、喧騒を避けて過ごすためにやってきます。そして、世界中から彼に届くファンレターを届けるためのネルーダ専用の郵便配達の仕事にマリオは応募し、採用されるのです。
 町外れの一軒家に、美しい奥様と一緒に暮らすネルーダ。山道を自転車を漕ぎ郵便を届けるマリオ。最初、ただの配達人だったマリオとネルーダの間に交情が通い始めます。

 ある浜辺での場面。詩とはなんですか、と訊ねるマリオにネルーダはいいます。

 詩とは、比喩だよ。暗喩だ。たとえば……空が泣いている

 ………雨だ

 そうだよ!これが比喩、メタファー!これが、詩なんだ!

 ネルーダに憧れて、自らも詩を語り始めるマリオ。そんなマリオが、村の酒場の美しい娘さんに恋をします。そして、彼なりに思いを込めて彼女に詩を語るのです。「君は、熱く燃えるバラだ」メタファー! 詩を語る者など誰もいない村で育った娘さんは、マリオの繰り出すメタファーに心奪われます。この辺り、詩の力、言葉の力、その美しさ、強さ、そんなものが伝わってきて、素晴らしい。マリオは、学び始め、そして、それを使って人生を切り開き始めるのです。

 すったもんだがあって、でも、マリオの恋は成就し、娘さんと結婚に至ります。それを心を込めて祝うネルーダの元に、祖国チリで共産党が合法化され、ネルーダも帰国が許されるという吉報が届きます。そして、ネルーダは島を去る。

 その後、師匠と慕うネルーダからの連絡を待ち続けるマリオの元にようやく届いた手紙は…、開封してみると、それはネルーダの弁護士からの島に置いたネルーダの物品の返送を求める事務的なものだったのです。

 「あの人とは、住む世界が違うんだ」と悟るマリオ。でも、そこからマリオの自律への道が始まる。ネルーダが残したマイクと録音機を使って、マリオは生まれ育った島の様々な音を録音し始めます。波の音、村に響く教会の鐘の音、島を通り過ぎていく風の音……。それは、自分の価値を見直す営みです。そこには、友人の“アメリカンドリーム”に憧れた弱者マリオとは違い、自分の足で立ち、考える、新しい価値観を身につけたマリオ、あるべき支援された者の姿があります。

 物語の背景には、イタリアの政治状況もあります。島を牛耳る資本家と、人民の側に立とうとすることで共産党を支持するマリオたち少数派と。映画が描いた時代は1950年代です。日本の年号では、昭和20年代後半から昭和30年代にかけて。世界は米国とソビエト連邦を中心に東西冷戦がどんどんその厳しさを増していく一方、それまで植民地だったアフリカやアジアの多くの国・地域が独立を勝ち得ていく。そんな、混乱と希望の入り混じった時代です。

 時は流れ。ある日、突然にネルーダが島を再訪します。もちろん、ネルーダはマリオを忘れたわけではなかった。そのネルーダの前に、マリオの息子と思われる子どもが現れ(未確認ですけれど、この子どもはおそらくマッシモトロイージの実子ではないかとぼくは信じてます、雰囲気はそっくりです)、続いて姿を現したマリオの妻(あの娘さんです)は、何年も連絡を寄越しもしなかったネルーダをなじる。そしてネルーダは知るのです。マリオはイタリア共産党の大会にネルーダを称える詩を読むために出かけて、そこで騒乱に巻き込まれて亡くなったことを。

 最後、島の岩だらけの海辺、かってふたりが「空が泣いている」と語りあった場所にたたずむネルーダ。そう、支援する側にとって、この島の日々は、人生の一コマに過ぎない。支援する側は、忙しいのです。でも、支援される側は、この島で生きるしかない。
 そのことをネルーダは思い知らされるのです。自分が強者であることを、その不遜と傲慢を、思い知るのです。そのことを噛みしめるかのように、海を眺めるネルーダ。ここは名優ノワレの真骨頂です。

ぼくはネルーダだ……

 映画を見ながら、感情移入できるのは、マリオです。ふにゃふにゃした若者だったマリオが、ネルーダから学び、人生を開き、慎ましいけれども確かな生活を獲得していく。そこには、倦怠や、あきらめや、どうしたって避けられないのではあるのだけれど、でも、自ら拓いていく生活がある。憧れたアメリカではなく、島には島の美しさがある。そして、それを自分の言葉で語れるという喜びを知ったマリオに、もうふにゃふにゃしたところはありません。
 騒乱にあったとき、逃げ惑う人々とは逆方向にマリオは走っていきます。つまり「殺すな」と伝えるために、騒乱に向かって走るのです。殺し合うなんてバカバカしいことは止めようと。そうではなく、詩を読もう、詩を聞こうと、彼は自分の価値観に則って、行動する人になっているのです。ぼくはそこに自由な精神を見ます。ひとりの人として独立し自律した自由な心身を感じ、感動するのです。

 でも、ぼくは支援者として、ネルーダにも同調します。同調せざるを得ません。
 クウィセロ村のクラッシャー(本ブログの2020年10月26日『種』参照)を始めとする生徒たち。生徒だけではないです。マオア(同2020年11月8日)や、シテミや、あるいはジュディスおばさんや、あのときぼくを支えてくれた人たち。さらにはフィリピンの、同僚や友人たち。カンボジアもそう。ルワンダもそう。たった2ヶ月の交流だったけれど、今でもフェイスブックで連絡を取り合うヨルダンのカァウラもそう。彼らに対して、ぼくはネルーダです。好き勝手なことを言って、去ってしまった者。去ってしまうだろう者。
 安全な場所、逃げられる場所をここではない場所に確保していて、通り過ぎていく人。その傲慢さ、不遜さ、を思い知るべき立場にぼくはあるのです。 

 だから、最後のシーン、マリオの死を知ってたたずむネルーダにぼくは同調(シンクロ)してしまう。ある意味、支援者は傲慢から逃れられないところもあるのだと思うのです。支援者には支援者の次のステージがある。そのステージで全力を出すのが、支援者の生き方なのです。振り返れないことは、傲慢だけれど、それはあるのだと。でも、忘れはしないのです。だから、ネルーダはマリオという旧友に再会することを、とても楽しみに島を再訪したのです。マリオのびっくりした顔を見たくて、そして互いにガッチリとハグするためにやってきたのです。そして、それは果たせなかった。過去を訪問するのは、怖いことです。(実際に、ネルーダがイタリアへ亡命中に滞在した場所をその後に再訪した事実があるのかどうかは、ぼくは知りません。もしかしたら、あの部分は、映画のための作り話かもしれません。きっとそうだろうと思います。でも、そうだとしても、ぼくの感動は変わりません。)

 というわけで、もしぼくが将来支援する側に立つことになるだろう、国際協力に関わろうとする若者たち向けに学習プログラムを組むのであれば、かならずこの映画『イル・ポスティーノ』を教材に使うだろう。そして、支援の可能性と、その傲慢さとを、学んでもらうだろう。

余話ですけど

 映画の外、現実の歴史の中で、ネルーダ自身も人生の厳しい終焉を迎えます。
 みなさんは911といえば、まず思い浮かべるのは2001年9月11日の、ニューヨーク貿易ビルへの旅客機の突入テロ、いわゆるアメリカ同時多発テロですよね。でも、911といえば、チリのアジェンデ政権が、米国の支援を受けたピノチェト将軍の軍事クーデターで倒された日でもあります。1973(昭和48)年9月11日。世界中の国家の中で、自由選挙によって初めて合法的に選ばれた社会主義政権のリーダーだったアジェンデ大統領が、クーデター軍による投降の呼びかけを拒否して大統領執務室で撃ち殺された日、首都サンティアゴにいたネルーダも、クーデター兵士によって自宅をめちゃくちゃに破壊されます。そのとき、癌に侵されていたネルーダは、その後すぐに亡くなります。チリでは、ネルーダは軍に毒殺されたという説が今でも囁かれているそうです(実際、ネルーダの遺体を掘り起こして毒物検査まで実施されているけれど、毒殺の証拠は見つからなかったといういう)。
 その後、チリの軍政は20年続き、軍政後もピノチェトは強い権力を維持し続け、労働組合への弾圧、言論封圧、反政府的とみなされた者の虐殺が続いた。ピノチェト軍政の残虐さは、海外に亡命した反政府リーダーを何人も暗殺していることにも現れている。そのピノチェトのクーデターとその後の軍政を強く支援したのは、米国政府と多国籍企業だったんだ。
 ぼくは911と聞くと、貿易ビルとアジェンデと、その両方を思う。そうしないと、なんかフェアじゃない気がして、仕方がない。

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