ケニアの田舎、クウィセロ村の学校に赴任して毎日続くウガリとスクマウィキという単調な昼食に飽き飽きとしてきたころ、目新しい野菜料理が並んだ。やはり緑濃い葉物野菜を煮込んだスープ状のものだ。皿にとって食してみると、トロトロとした食感が唇に心地よい。味はいつものロイコ(スープストック)で特に芸もないのだけれど、懐かしい山芋や納豆を思い出すようなネバネバ感がとても新鮮に感じられた。
同僚に聞けば、オムレレという野菜だという。もの珍しさもあって私は喜んで食べるのだけれど、同僚たちの受けはそれほど良くはない。どうやらオムレレというのは、貧しい食べ物という印象があるらしかった。あくまでスクマの代用品で、スクマさえ食べられないときに渋々食べるものという風情なのだ。その日はスクマの量が少なかったので、それを補うためにオムレレの煮込みが加わったということらしかった。
人気がないもう一つの理由に、指で摘んで食べにくいということもあった。トロトロとしているので、スプーンを使うか、ウガリをスプーンのようにしてすくって口に運ぶのだけれど、それがなんとも面倒くさいと同僚たちはいっていた。食べにくいという感覚は確かにわかるのだけれど、いつもと違う食感に私は強い魅力を感じた。それからもたまにオムレレが昼食に加わることがあり、私はそれを楽しみにするようになった。
2年間のクウィセロでの教員生活を終えて日本に戻ってきた後のこと。ある日、スーパーでオムレレそっくりの野菜を売っているのに出くわした。それまで日本では見たことのなかったその野菜は、エジプト原産だというモロヘイヤだった。さっそく購入して軽く煮込んでみると、その味はオムレレそのものだ。クウィセロ村から南に50キロほど行けばビクトリア湖があり、そのビクトリア湖から唯一流れ出ていくのがアフリカ屈指の大河ナイル川で、北に六千キロメートル近くも流れてやがてエジプトで地中海に達する。エジプト原産だというモロヘイヤがナイル川流域のクウィセロあたりで栽培されていたとしても不思議はない。
クウィセロ村の端をヤラ川という川幅は大きくはないけれど水量は多い川が流れて、それはビクトリア湖に注いでいた。つまりナイル川の源流のひとつともいえる。余談になるけれど、ヤラ川は川幅10メートル程度で赤茶色い水が滔々と流れていて、カバが住んでいる場所もあった。カバは普段は水の中にいるのでその姿を見ることはめったになく、生徒たちにとっても珍しい動物だったようだ。「登校時に橋からカバが見えた」と朝礼の時間に生徒がちょっと興奮して、でもヒソヒソと話しているのを聞いたことが何回かある。私もヤラ川のカバを自分の目で見たことは一度もない。カバは夜間に陸に上がって農作物に被害を与えることもあり、住民たちにとっては害獣だ。しかし野生動物の保護に熱心なケニアでは、多少の被害では駆除するのは難しい。下手に野生動物を殺せば、殺した側の最高刑は当時死刑だった。「人間の命は象より軽い」とケニアの人たちはよく自虐的に口にしていた。
調べてみると、モロヘイヤが野菜として日本に入ってきたのは1980年代らしい。私がクウィセロ村でオムレレに出会ったのは1991年のこと。私がケニアにくる前に日本での流通が始まっていたけれども、私は知らないままだった。スクマ同様オムレレも栄養価が高く、また栽培が容易でクウィセロの人たちの身近な野菜として庭先で栽培されていた。モロヘイヤというよりも、私には今でもオムレレという名のほうがに親しみを感じる。オムレレは食べる度にクウィセロの2年間に思いが飛ぶ、私には大切な野菜になった。

















モロヘイヤ、約35年前に59歳でパーキンソンで老衰のように最期を迎えた父と、母と2歳の息子と穂高養生園というところで3週間を過ごした。
飲み込みの悪い父の流動食を作るために台所を借り、ついでにお食事作りをお手伝いして、玄米菜食料理を色々と覚えた。その時にまだ日本にあまり出回っていない珍しい野菜としてモロヘイヤを畑で育てていて、初めて食べた。
衝撃的に美味しかった
匿名様 読んでいただき、そしてコメントも送っていただきありがとうございます。
35年前というのは、モロヘイヤが日本に入ってきた1980年代の後半という感じですね。ケニアの片田舎で知った野菜が日本のスーパーで売られていたのが、とても印象的なことでした。モロヘイヤはそれほど世話をしなくても育ち、栄養価も高い、野菜の優等生みたいなやつです。あのトロミがまたよろしいですね。
乾燥地帯に行くと、モロヘイヤを乾燥させたものがあります。それをスープなどの具にしていて、青臭さがより一層濃縮されたような味がする気がします。とろみも出て、重宝されているように感じます。
村山哲也@プノンペン