使えるモノはなんでも使う。その意気やよし。けれども、使えるモノはなんでも使っているうちに、自分がなくなっていくことはないだろうか?そのことには気をつけて欲しいと思う。         (阿古智子さんがフジサンケイから正論新風賞をもらって考えること)

アンコールワットのお堀端で夕日を眺める若いお坊さんたちを後ろからパチリ。2023年末のことです。本文とはまったくかんけいありません。
正論新風賞受賞式 2024年3月7日 右が阿古智子さん。(Facebookの阿古さんのページより、無断借用)

 4月30日追記、以下のコメント欄もぜひご覧くださいませ。阿古さんからのコメントも紹介しています。

 

3件のコメント

ブログを書いている本人の村山哲也です。
Facebookのほうに、阿古さんが以下のコメントをくれました。
備忘録として、ここにコピーします。
私も、「意見・価値観の違う人にどう届けるか?」ということはよく考えます。例えばガザの問題にしても、イスラエルの攻撃を「自国を守るためには仕方ない」と考える人はいる。安部元首相が訴えた価値観に共鳴する人もいる。石原慎太郎のようなオジサンはたーくさんいる。
おそらくこのブログの読者の多くは、私と価値観が近い人だろうと想像するのです。そして、本当は価値観の遠い人、安部さんを応援した人や石原慎太郎さんのようなオジサンたち、にこそにとどけなければいけないのだけれど…と思う。でも、それがなかなか難しい。
その点で、阿古さんの全方位外交?はとても戦略的です。心労は多いだろうと想像するけれど、彼女だからできるという面はやっぱりある。彼女はそれを狙って今の立ち位置にたどりついているわけではないと想像するけれど、流れの中でつかんだその《パワー》をどう使うかについては、彼女はきっとなやみつつ選択している。そりゃそうだよね。そして、彼女の域になかなか達せないのだよねぇ、私には。ま、そりゃ仕方ない。彼女の力を私も借りて、アンテナを広げよう。その点では、彼女の戦略から私が新しく知ること、けっこうあるんですよ。たとえば、今回の賞のことだって、なるほど~こんな風になっているんだぁとか、いろいろ面白い。阿古さんのおかげで知ることができたわけです。ラッキーじゃん。

で、さて、俺ももうちょいガンバってやらなくちゃなぁ。

以下、阿古さんからのコメント全文。

読ませてもらいました。自分がなくならないように、勝手にラベルをはられないようにと思って日々前を向いています。これまで受賞した人たちと並べられて、「あの人たち」と同じ、と見る人もいるでしょうが、「あの人たち」とはいったいどういうグループの人たち?自分とどこが違うのか。自分とは違うところ、それぞれ皆あると思います。どのような人と時間をともにし、コミュニケーションをはかっていくか。両極に分断されてしまった言論空間をより複雑に、多様にしていきたい。自分のコンフォートゾーンから出てコミュニケーションしようとする人たちが増えてくれたら。。。自分の役割はなにか日々悩みながら、できることをやろうと考えています。村山さんが書いてくれたように、私がこの賞をもらうことで、議論の材料が増えていけばいいなと思います。

今回の受賞について抱いていた違和感を明らかにして頂きありがとうございます。直接阿古さんと接する中で常に感じるのは、根の張った強さと私利私欲の希薄さです。これらの武器があれば少々の事では揺らぐ事も折れる事も無いでしょう。村山さんを始めとする、阿古さんの正体を知る応援団が裏切られる事も決して無いでしょう。一応援団員より

匿名様
読んでいただき、またメッセージも、どうもありがとうございます。
「根の張った強さと私利私欲の希薄さ」、本当にそうですね。
彼女には、次の10年、ぜひ時間に余裕を作ってよりご自身の研究の時間に使って欲しいなぁとは思うのです。けれど、世の中が社会がそれを彼女に許さない。
阿古さんにはぜひ心身を大切に、長生きして、ますます良い仕事をしてほしいと願うところです。そして、今回の賞をどう生かすのか? フジサンケイグループが自由と民主主義に牙をむいたときに、それを指摘できるか。「自由と民主主義を守る」ことにふさわしくない正論賞の受賞者が出たときに、何かを語れるか? 彼女によっては余計なお世話ではあるかもしれないけれど、言論人として、受賞者として、阿古さんはそういう立場にもなってしまってもいる。別に、すべての判断が「応援する側」の期待通りでなくていいはずでもある。それをまた個々人がどう判断し評価するか。こっちの器量も試される。
いやいや、お互いなかなか大変だぁ、さてさてどうなる?? って感じています。  村山哲也

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