パリの休日
事故に遭う前、まだぼくが立ったり歩いたりできたときのこと。 フランスの花の都、パリでのある遅い午後のことだ。
座って身体の右側に置いたカバンが、そろそろと動いているのにはすぐに気がついた。右隣にすわっているのは、見知らぬおじさん。その向かいには、やはり見知らぬおじさんがふたり。3人は特に熱心に話し合うでもなく、でもポツポツとおしゃべりしている。そして、そうしながら右隣のおじさんは、そろそろとぼくのカバンを引っ張っている。
その喫茶店のドアはおじさんの向こう側だ。カバンをつかんでぱっと店の外に走り出されたら、少々やっかいなことになるなぁ。ぼくの向かいに座る友人の話に耳を傾けながら、でも、ぼくはぼくのカバンの行く末をかなり真剣に案じ始めていた。
「これ、ぼくのですけれど」とおじさんに日本語で声をかけながら、ぼくはカバンをぐっと引き戻すと、自分の脇に抱えた。
3人のおじさんたちは、ぼくの行為に対して、なんの反応も示さなかった。だた、ちょっと疲れた顔をしたぼくの右斜前に座るひとりが、ちらっとぼくの方を見たかもしれない。
しばらくすると、ぼくの右隣のおじさんは立ち上がり、店の外に出ていった。壁際のふたりは、そのままだ。どうやら、ぼくのカバンは難を逃れたようだ。
数日後、エッフェル塔に登ったときにも似たようなことがあった。エレベータの中で、ふとズボンの右後ろのポケットに入れている財布が動いた気がした。さっと右手をポケットに伸ばすと、誰かの手が財布を引き出そうとしている。ぼくの手とその誰かの手が、ちらっと触れて、でも、すぐさま誰かの手は引っ込んだ。ぼくは引っ張り出されかけた財布をしっかりとポケットに押し込み直しながら、手の出てきたほうをふり返った。そこには若い男女のカップルがさわやかな笑顔でささやきあっていた。すぐにエレベーターの扉が開いて、ふたりは腕を組んで外に歩み出ていく。ふたりとも小柄で、どうみてもエッフェル塔にやってきた観光客だ。立ち位置からいって、ぼくが触れたのは男の子の右手か左手か。
なるほどなぁ。もしぼくが男の子の手をつかんだとしても、財布はまだぼくのポケットの中だ。おそらく、幸せそうなカップルに難癖つける悪者はぼくになるんだろう。もし、ぼくの財布が男の子の手に渡っていれば、ぼくがそれに気がついたときは、きっと財布は女の子にわたっていたのだろう。男の子を捕まえても、彼は何ももっていないはずだ。もしかしたら、他にも彼らのお友だちがエレベーターには乗っていたのかもしれない。敵もいろいろと考えているなぁ。ふたりの後ろ姿を見送りながら、ぼくは妙に感心していた。
以前から、ヨーロッパの観光都市での窃盗、スリの被害の噂は聞いていたけれど、なるほど、これだったのかぁ。これまで、たとえばタイの首都バンコクの週末マーケットでカバンを切られたことはあるけれども、時間数にすれば欧州よりも東南アジアのほうがずっと長時間過ごしているけれど、ほとんど窃盗、スリ等の被害にあったことはない。パリでは、数日で未遂で終わったとはいえ2回も。もちろん、カンボジアの首都プノンペンでも携帯などをひったくられる等の被害は多く出ているけれど、おそらく件数でいえばパリ、マドリード、バルセロナ、ローマ、アムステルダム……といった欧州の観光都市のほうがずっと多いんじゃないだろうか。
ぼくの中では、パリは世界一危ない町のひとつとインプットされている。
定向進化で肥大化する傾向のある貴族生活
開発支援の仕事で海外に出て、さて、どこに住むのかはなかなか難しい問題だ。
たとえば、カンボジアの首都プノンペンのケース。
1990年代、1992年のUNTAC(国連カンボジア暫定機構)後、援助関係者がどっとカンボジアで仕事を始めた。外国人用アパートの物件が多くはなかったところに、大量の需要が出たために、その料金は高騰した。確か、ちょっとした家族用の部屋で、月に5000ドル以上はしたはずだ。2000年ごろ、フィリピンで働いているときに配布される勤務先の住居費の上限額は、プノンペンは東南アジアではダントツに高かった。
人を送る側からすれば、安全は一番高い優先順位になる。きっちりとした警備が整って、出入りも管理された場所、それが安全に必要とされる。
けれども、そういう「外国人用」という特殊な場所で暮せば、なかなか市井の人たちの暮らしぶりを肌で感じる機会はない。ODA従事者は、別に文化人類学の参与観察をするために派遣されるわけではないから、極端に言えば「市井の人たちの暮らしぶりを肌で感じる必要などない」のかもしれない。けれども、技術移転する相手は、比較的その社会のエリートが多くなるかもしれないけれども、でもやはり市井の人たちだ。もらっている給与は大きく違っているかもしれないけれど、たくさんもらっているからといって、こちらは貴族のように裕福な暮らしをしているというのは、さて、どんなもんなんだろう。
この辺りはなかなか判断が難しい。ODA実施機関側からすれば、どうしても安全運転が基本になる。リスクを上げたくない、問題が起きることを避けたいというのが管理する側の本音だろう。とすると、防犯設備の整ったところで生活してもらいたい。そういう場所は、外界から隔離された出島のような雰囲気がどうしても漂う。
貴族的な生活が普通になれば、市井の庶民が使っているような交通機関、乗り合いバスや、バイクタクシーや、は「危険」な乗り物になっていく。移動手段は車で、ドアtoドアになる。事故の危険性を考えれば、自分で運転するのではなく、運転手を雇うほうが望ましい。
そうやって、派遣されるODA従事者の必要生活費支給額は高額になっていく。貴族的な暮らしは、定向進化の道を進み肥大化し、財政改革でもはやその維持が不可能となった結果が、ODAはコンサルタントへの外注が増え、その安全管理も、徐々にODA実施機関からそれぞれの民間会社に移行しつつある、という現状につながっているんじゃないかしら。
(注:定向進化については、進化研究者に否定される傾向にある。たとえば、サーベルタイガーは牙が必要以上に大きく進化して絶滅につながった、というような説は支持されていない。ここでは、あくまで分かりやすい比喩として使いました。)
安全を求めれば求めるほど、危険性の妄想はどんどん肥大していく。地下鉄サリン事件のときは、外国の人にとって日本は危険な場所になった。各国外務省が示す安全指数で、日本の数値は一気に低下した。多くの在日本大使館は自国民に東京での公共交通の利用を控えるように通達を出したし、確か、欧州のどこかの国のサッカーナショナルチームは、それを理由に日本への遠征をキャンセルしたはずだ。
けれども、地下鉄サリン事件の翌日、公共交通機関の利用を控えて、欠勤したり、タクシー通勤した日本人はけして多くはなかったはずだ。
“現地民”と“異邦人”の安全基準モノサシの目盛りは、こんなふうにして、かなり大きな差があることが多い。それでも、公的なモノサシは、最悪の状況から目盛りを振るので“現地民”からは大げさに思えることが多くなるものだ。
だから、海外で仕事にすれば、現地の人たちと接する機会が多い、とは一概に言い切れない。実はつきあいは日本人社会だけ、というケースだって少なくないと思う。もちろん、それは好みの問題だ。他人がどうこういう話ではない。
その上での、以下のぼくのケース。
ぼくが2002年にプノンペンに赴任し、最初に借りたのは小さな一軒家だった。プノンペンのカンボジア中流層が暮らしていそうなエリアにある家の庭はタイル張りだったけれど、塀越しの隣の庭には庭木が植えられ、花も咲いてきれいだった。たまたま庭の手入れをしていたおじさんに壁越しに挨拶すると、ニコニコと笑顔で対応してくれた。うん、ここ良さそうじゃない。
ODA実施機関のプノンペン事務所に住所を報告すると、まず安全管理のスタッフが物件を見て、大家さんと安全上の決まり事を確認の上、そこに住む許可が出る(許可が出ないと住居費を支給してもらえない)。数日で「許可します」という連絡がきて、週末にホテルからその家に引越した。
すると……、隣の家との間の塀はトタン板を継ぎ足して2メートルを超える高さになっていた。アチャーァァァ………あの緑濃い庭もおじさんの笑顔も、もうまったく見ることはできない。さらには、門の外に警備員用の小さな日陰箱が設置されていた。近所で警備員が常駐しているような家は一軒もないのになぁ。これ、むしろ不自然で目立っちゃっているんですけれどぉ。
(とにかくその家には2年住んだ。警備員は雇わなかった。当時の事務所は、見逃してくれた。今なら、安全基準はもっと厳しくなっていて、警備員を雇わないという選択肢はないかもしれない)
他人が作ったモノサシと、自分で作り上げていくモノサシと
実は、人によって安全のモノサシも色々だ。とても厳しく捉える人もいれば、割りといい加減な人もいる。日常生活では、その差はそれほど気にならない。実際、人それぞれで世の中は廻っていく。
非日常になれば、そうはいかない。モノサシは統一され、そこからの逸脱にはそれなりの覚悟が必要になる。新型コロナ禍で、そんな事例はむしろ身近になっているだろう。
で、海外での生活。長期滞在をずっと非日常で過ごすのは割と疲れる。非日常を日常にするには二通り方法がある。ひとつは、派遣前の日常に近いモノサシの目盛りを変えずに生活できる環境を作ること。それが「外国人居住区」だ。もうひとつは、その社会の日常にモノサシの目盛りを変えてしまうこと。ぼくの好みは、どうしても後者なんだ。実際、できるだけ好みを通したので、ご迷惑をおかけすることも多かったと思う(例外は、どうしてもご迷惑をかけがちになるのは、わかっています。でも、数週間とかの短期であればともかく、年単位の長期ではねぇ、やっぱり自分の好みをとおしたくなるのです)。
そんな“我儘”が許されない状況、たとえば紛争地といった、があるのは理解る。
そして、どんなに他者がつくった目盛りが厳密になっても、最後の最後、自分を守るのは自分だというのは本当だと思う。そして、自分でコントロールできない大きな状況があるのも本当だ。そんなとき、意地を張るのはやっぱりおバカさんだろう。
安全基準の問題はほんとうに難しい。現地の生活にどっぷり身を浸せる環境をつくり出すのは、実はかなり難しいものです。技術がいるのだと思います。だから、技術は磨きましょう。それでも限界はある。たとえば、肌の色や髪の色は変えられない。一緒に働く人達との“バランス”もある。それぞれ、知恵を絞ってみましょう。そして、理解者を増やしましょう(これとっても大事!村山さんならしょうがないなぁ、に持っていければしめたもの)。もし浸り込めれば、かなり安全は確保できるはずだと、ぼくは思ってますけど……。


















私、カンボジアへお出でになった方へいつも質問することがあります。それは「カンボジアで一番気をつけなければならないのは、どんなひと?」です。
私は「一番気をつけなればいけないのは、私みたいに何でも知ってそうな日本人、次に日本語をしゃべることができるカンボジア人」と答えます。親しげによって来られた方、片手で余ります。
間々田和彦様
いつも読んでいただき、コメントも書いていただき、ありがとうございます。
日本語で親しげに話しかける人、カンボジアに限らずいますよね。
で、そういう人が怪しいのは確か。睡眠薬事件なんかも、そんなことがきっかけで起こります。
一方で、本当に日本語をつかうことが嬉しくて、話しかけてくる人もいるのかもしれない。
そんな無垢な気持ちを、邪険に扱ったことがぼくにはあるかもしれない。
ときどき、そんなふうに思うこともあります。
おそらく、その辺りを見分ける第6感みたいなのもあって、それなりに磨いては居るつもりなんですけれど。
なかなか切ない問題です。
村山哲也