「人はひとりで生まれて、ひとりで死んでいく」
2002年にカンボジアでのODAプロジェクトに参加して、そこで出会った金森正臣先生は私と同じ干支で、二回り先輩。私は勝手に彼の不詳の弟子である、と自負しています。2005年から2007年にかけての2年間には、プノンペンで同じアパートに一緒に暮らしてもいました。その2年間、金森先生と誰よりも頻繁に食事を共にし、多くを聞くことができたこと、それはとても贅沢な時間だったのです。もちろん、私もただ聴いているだけではありません。ときには私にはまったく理解できない見解もありました。あるいは意見を違え、平行線をたどったことも何度もあります。当時40代前半の私には、それがまたとても刺激的で面白かったのです。(金森先生と喧々諤々したモニボン通り沿いのお店“中国拉麺”は、今も顕在で、ときどき餃子と肉焼きそば、食べに行ってます、ビールは飲まなくなっちゃたけど)。
その彼が、日ごろから口にしていたのが「人はひとりで生まれて、ひとりで死んでいく」でした。「生まれるのも一人、死ぬのも一人、一緒に生活していても人生は一人である」というのも、どこかで彼が書いていた一文です。
以下、金森先生の書いたブログの文章です。
孤独は幻想 孤独は幻想 – 金森先生のカンボジア日記 (2024年6月2日)より
最近いろいろな形で、孤独が問題になっている。
しかし実際には孤独などは、個人の幻想にすぎない。
本来ヒトは、食べるのも排泄も変わってもらうことは出来ない。自分の人生は自分でしかできない。一人では生きられないと言うが、社会に属していると言うことで、人生は他の人に代わってもらうことは出来ない。
一遍智真上人は、「おのずから 会いあう時もわかれても ひとりはいつもひとりなりけり」と言っている。これこそ人の生きる本当の姿で、人に代わってもらうわけには行かない。また、越後の良寛さんは「よのなかに まじわらぬにはあらねども ひとりあそびぞわれはまされる」と詠んでいる。これらの人生はそれぞれ一人で行うものであることを示している。
自分の心の中の幻想に迷うことなく、一人で生きることの真の意味を理解できれば、孤独などは存在しない。
人生は本来いつも一人である。
金森先生はいつもニコニコと親しみ深い笑顔を浮かべ、多くの方に慕われている方でした。けれども、毎日の日課としている座禅を組んでいるときにはとても厳しいお顔になることを、私は一緒に暮らして知りました。それまで温和な先生だけを知っていた私には、思いがけないほど鋭利な刃物のようなお顔だったのです。その後なにかの折りに、大学生時代に彼が山岳部に所属し、「日本刀の金森」と呼ばれていたことを知りました。なるほど、と思った。
おそらく金森先生は若い頃からものごとをとことん突き詰めて考えるタイプだったのではないか? 人間とは何か、なんのために生きているのか、という根源的な問いを抱えて、かなり激しく自己を見つめる日々があったのだろうと想像するのです。それは苦しい日々でもあったように想像します。そして彼のその厳しさは、ときには自分という境界を越えて、他者に向けられてしまったこともあったのではないか。その厳しさの矛先となった他者にとっては、それは抜き身の刃のように感じられたことでしょう。
さらに、自己に向かう探求の激しさ故に「死」が身近に近づいたこともあったのだろうと妄想します。そして、それを乗り越えてきた。その結果身につけてきた優しさであり、寛容であるからこそ、それはホンモノの魅力となって金森先生の身につき、だから多くの人が彼の穏やかな人柄に親しんだに違いないのです。
そして日々寝食を共にするという贅沢な時間の中で、先生は、普段は見せることはないとことん苦しんだ人だけが持つ特有の厳しさ鋭さを、「寛容」というカーテンの向こう側にちらっと見せてくれたこともあったように私には思えるのです。
死ぬべくして死んだ?
私の母が私に勧めてくれた本の多くは、私には馴染めず放ったらかしにしてしまったモノも多かった。その中で例外的に強く印象に残っっているのが、畑正憲著『ムツゴロウの青春記・結婚記』でした。最初に読んだのは中学生のころだったか。その後、高校・大学と何回か読み直しています。
この本の中で、畑正憲さんの高校卒業のころ、ひとりの級友Aが自死したエピソードがつづられています。
そこには(うろ覚えですけれど)以下のような主旨の表現があるはずです。
世の中には、ものごとを徹底した真剣さで見つめすぎてしまう人がいる。おそらく、Aもそうだったのだ。そして、 A は死ぬべくして死んだ。それでよかったのだ。
級友の自死を知った畑さんは、その「死」を見つめすぎないようにしようと心がけたというようなことも書いてあったように思います。「死ぬべくして死んだ」と受け取ることで、悩める青春時代を送る者にとって魅惑的な死の誘惑に近づかないように気をつけた、ということだったのでしょう(悩める青春時代と書きましたけれど、悩みのない青春時代なんぞあり得ないわけですから、青春に対して「悩める」と冠するなんて無駄で過剰な形容でありましたね)。
私はけっして「ものごとを徹底した真剣さで見つめすぎてしまう人」ではありません。だからこそ、この表現は、私にはわからないことがあるのだ、という意味でとても腑に落ちたのです。そして、その後、自分の周辺に自死した友人・知人がいたときにも、心の深いところで、「なぜ死んだんだ」とその死を糾弾することができない、という心象につながっていったように思います。実際、私にとっても「あいつは死ぬべくして死んだ」で済ませてしまっている「死」があるような気がします。
畑さんが書いたことも、金森先生がおっしゃていた「結局ひとは独りなのだ」という考え方への親和性が高い。おそらく、畑さんも「ひとは一人で生まれ、一人で死んでいく」と考えていたのじゃないだろうか。
つまり、それ(ひとは独りだということ)というのは、もはや自明のことであって、ことさらどうこう言うことでもない。そんな気も私はするのです。寂しいという状況ってのは、生きていれば当たり前。孤独というのは当たり前。避けて通ることはけしてできはしないのだ、と思う。
つまり人は、孤として生きていくしかない。集団に属しても、孤独は消えないし、もし消えたと感じるのであれば、それはアナタ自身の消滅に他ならない。それは従属だったり、依存だったり、支配される、そういうことなのだろうと、畑正憲さんや金森先生から教わってきたのだなぁと思い返すのです。
グループ活動か、個人で考えるか?
話し、少し飛んで。
2022年から3年ほど、私はカンボジアに「探求型授業を紹介しよう」という小さなプロジェクトとにかかわりました。探求型授業というのは、もう少し大きなカテゴリーで言えば、生徒中心の学習という考え方で授業を構築する、その一様式です。
生徒中心の学習に対比するものとして、当然、教師中心の学習があります。両方とも、学習するのはもちろん生徒(子ども)です。
学校教育の古典的方法として、教える側が主導となり、学ぶ側は受け身、それが教師中心の学習です。生徒中心はその古典的教育スタイルを打破して、学ぶ側が主体性を持つ学習観で、実はもう100年以上前にはその有効性が謳われた考え方でもあります。けれども、従来型の学校教育というのはつくづく教師中心(つまり大人中心)で構築されていて、教師(大人)にとって都合がいいのでしょうね、何年たってもなかなか生徒中心が根付かない(それでも、私が生徒だったころと比較すると、今の日本の学校教育はずいぶんと違いがあるようですけれど)。
さて、そのプロジェクトが紹介した探求授業の中には、グループ活動が大きな柱としてありますした。探求する際に、一人で考えるのではなく、皆で意見交換しながら互いの考えを発展させていこうということです。そして実際にやってみると、これはこれで、言うは易し、行うは難しなのですよ。
さらに私の中には、グループ活動以前に、まずは自分自身が何を思い、発見したか、考えたかではないのか?という疑問が常にありました。
たとえば、ある事象を観察した際に、授業計画ではわりとすぐにグループ協議が始まるのです。でも、その前に、まず自分の考えを自分自身でしっかり練る過程あったほうがいいんじゃないか? 練るというのは、他者に伝えるための言葉を考えるということでもあります。私はいくつかの探求授業の試みを観察しながら、いつもそんな風に思ったのです。
もちろん、グループワークというのは学習上でも、人間の成長という観点からも大切なのは言うまでもありません。そこでは、自分の考えを他者に伝えなければいけないし、他者の意見もしっかりと聞き取らなければいけないし、そこで生まれる葛藤や妥協、協調は人生の毎日を豊かにするものであるはずです。
そして、プロジェクトの日本側関係者(つまり支援する側関係者)で話し合っていると、授業の中でグループワークを重視する人と、グループワーク以上に個の考える力養成を大切にする人と、その理想とする授業内容がかなり変わってくるのだということも、改めて感じられたのでした。そして、私はもうはっきりと後者、つまりグループワーク以上に個で考える時間をしっかり取りたい原理主義、なのでした。
実際のところ、授業計画って時間との戦いなのです。あっちを重視すれば、こっちに割く時間は足りなくなる。その兼ね合いの中で、どこを重視するか?
たとえば個々の考えをまず文字化してみよう(それからみんなで協議しよう)とすれば、どうしても協議の時間が足りない。一方で、みんなでの話し合いにたっぷり時間をとると、個々がじっくりと自分に向き合って自分の考えをまとめ上げる余裕などない。どっちを取るのか?
そして、これも改めて気がついたのですけれど、現状のカンボジアの状況では圧倒的にグループ活動を重視しようという傾向があるように思えます。個々の内心へのアプローチよりもグループワークを強調するほうが、カンボジアの先生方には受け入れられやすい、とも言えます。
これは2000年ごろから「生徒中心の学習」という授業スタイルがカンボジアの学校教育に入り始めたとき、「グループ活動があるのが生徒中心の学び」という理解が広まったという背景もあるからです。2002年に私がカンボジアでのODA教育支援にかかわったときに観た授業では、グループワークの有無が良い授業か否かの評価基準になってしまっていた面もあったのです。
けれども、そのグループでの学びの中では、個で考えることは、それほど意識されていないのではないか? それは、もしかしたら人々の孤独への愛着が弱い?ようにも思えるのです。もしかしたら、カンボジア社会では多くの人が孤独を恐れているのではないか? そんな仮説も私の中にはあるのです。
あるいは、個々のある意味孤独な活動よりも、みんなで仲良くやることが安心につながる? それはカンボジアに限らず、日本側社会にもあるのかもしれません。だから、SNSですぐに返信が帰ってこないと、みんな一人ぼっちで寂しくなってしまう?
でもね、人はひとり、なのだから。だから、孤独と親しむ力をつける、そんな学びも大切なんじゃないのかなぁ。自分で考える何かがあってこその「妥協」だし、「協同」でしょう? 自分の考えが明確でないとすれば、妥協なんて必要ないよね。そこにあるのは、間違いなく「黙認」と「迎合」だけ。
グループ活動で「迎合」を学ぶ? 実は冗談にもなっていないかもしれなくて、怖いよ。
追記 金森先生の今
昨年夏に脳梗塞で倒れた金森先生は、現在、ご自宅近くのケアセンターでゆっくりとリハビリテーションと静養の日々を送られています。
愛知県には金森先生の薫陶を受けた学校教員の方々が多くいて、先生がお元気なときには毎年「正臣会」という親睦会が開かれていました。コロナ禍を機に、この正臣会がインターネット参加もできるようになり、それ以来、私もここ数年お仲間に加えてもらい、年に一度の正臣会で先生のお元気そうな様子を拝見するのが楽しみでした。
昨夏、先生のブログで新規投稿が2カ月ほど止まってしまった際、心配になり正臣会幹事の方に問い合わせて、ようやく先生の状況を知ったのでした。
そして、先日改めて、「先生には病後の後遺症があり、ケアセンターではPCや携帯をインターネットにつないであれこれすることはやっていない」と、その正臣会幹事の方からうかがったのです。
ご自宅には、パートナー様がおられますので、もし金森先生に連絡を取りたい場合は、ご自宅にお便りすると良いのではとアドバイスをもらっています。私は近々帰京する予定があるので、かなり遅めの残暑お見舞いのお葉書でも東京浅草から送ろうかしらと思っているところです。
もちろん先生にはお元気に回復されて、インターネット経由でもよいからお話したい。でも一方で、先生はもうすっかりパートナー様の元に帰られたのだなぁというような気持ちもわくのです。先生は、若い頃から海外遠征を繰り返しておられました。韓国でのネズミ調査や、タンザニアやウガンダでのチンパンジー調査などの話を聞いた人は多いでしょう。日本のごく“普通”の日々と比較すれば、それらはときに危険なことが満載の日々にも思えるはずです。60才になられるころからはカンボジアでの支援が10年以上続きました。先生がカンボジア支援にかかわり始めた1999~2000年ごろのカンボジアの日本でのイメージは、現在以上に危険な香りがあったはず。そのほとんどが長期滞在であり、留守宅を守ってきたパートナー様のご心配はさぞ大きかったろうと想像するのです。
一度、あるプノンペンの夜のこと、一人で歩いていた先生が若者2人乗りバイクに衝突され、足を骨折したことがありました。その際に、私、プノンペンから日本のパートナーさんに国際電話を入れたことがあるのです(私はパートナー様がプノンペンに金森先生を訪ねた際に、一度彼女と会ったことがあったのです)。
発信音が何回かなり、受話器をとられたパートナー様に「プノンペンの村山です」と言った途端に受話器越しに彼女が息を呑んだのがわかりました。あれは、彼女が瞬時に覚悟を固めたという殺気でした。あぁ、なんとも気楽に電話しちゃったなぁと私は大いに反省したのです。事故は起こって怪我をしたけれど、まったく生死には支障がないことを伝えて、私は早々に電話をきりました。冷や汗がどーっと出たことを思い出します。
あぁ、本当に先生は彼女の元に帰ったのだ。あとはお二人の時間をゆっくりと過ごしていただけばそれで良い。自分の都合のいい思い込みかもしれませんけれど、サヨナラだけが人生さ、って気分をそっと先生と共有しているという感覚が私にはあるのです。お会いできなくても、「まぁ、思い切りやりなさい」と先生が言うのは、もうわかっているのですし。
それでも、もし正臣会がまたあれば、それはやっぱりとっても嬉しいことなのですけれどね。
(先生の自宅住所を知りたい方は、私に連絡くださいませ)


















グループワークの闇についてはまた。
ん~、会いたいひとには会う、というか会えるうちに会う、必要かもな、と62才の誕生日に思います。
独り言でした。
いのうえです~ 匿名になっちゃった。失礼しました。
井上大審判様 コメントありがとうございます。そして、お誕生日おめでとうございます。
はい、会いたい人とは会わないと。友人知人の葬式なんかもう行かなくていいなぁって最近よく思います。葬式に行くぐらいなら、生きてるときに会わなくちゃって、強烈に思います。葬式に参列できるのであれば、忙しくて会えないは言い訳ですよね。
そう言えば最後にお会いしてから少し時間が空いてしまいましたね。来年の梅雨時あたりは少し長めに帰京します。そのときはぜひ。
明日!から帰京予定なのですが、今回は滞在が短くちょっと難しいのでした。あ、言い訳言ってる!
村山哲也@プノンペン
1時間余もpcの前に座って、感想の駄文を書いていたら『お爺さん夕飯食べないの?』と家人に声掛けられて慌てて階下に下りて夕飯、皿洗い、その他もろもろやってpcに戻って来たらすっかり消えちまって・・・。
カンボジアで科学教育を担う人たちの研修に尽くされている自然科学教育学者の村山氏のブログは阿保の上にボケが始まった老人にはなかなかきついです。その読書量や視野の広い識見には日ごろ呆れるばかりです。
しかし、今回は呆け老人自身、日常の中でまさに『ひとはひとりでうまれて、ひとりでしんでいく』の思いで生きている者なので(とてもとても理路整然と感想を纏められはしないが) 勝手に「そうだなあ、そうだなあ」と頷きながら拝読しました。
『ひとはひとりでうまれて、ひとりでしんでいく』その時系列の中でインターセクションが空ではないところに生き物として、人間としての問いやら、仮説やら、理想やら、に出くわすことが
生きる意味や面白みを経験する場になって前を向いてあがく。
孤の字の意味も、個の字の意味も未だに解からないままあっちへ逝く歳になってしまった。
誇り高いカンボジアの人たちが生を尊び、ひとりでも多く科学することによってこそゆるぎない理想をしっかり抱いてよろこんで生きてほしいです。そのために村山氏のプロジェクトが貢献することを祈ります。