この年の瀬にも祈る、周庭さんの健康と開けた未来
今から1年前、2020年大晦日に「周庭さん、元気?」と題して、香港民主化弾圧などに触れた投稿を当ブログでしました。
周庭さん、元気?来年がいい年になりますように。 – 越境、ひっきりなし (incessant-crossingborder.com)
酷いでっちあげ裁判での有罪判決を受け1年前には収監されていた周庭さんは、今年(2021)6月に釈放されました。釈放時、かなり痩せた、でも元気そうな姿がニュース映像に流れて、私もちょっとホッとしたのでした。けれど、その直後に彼女のフェースブックは閉鎖され、釈放後、周庭さんは沈黙を続けています(フェースブックの閉鎖は周庭さん自身の判断である可能性はあります。それでも、彼女がそういう判断をするように追い込まれていったわけで、彼女の判断であったとしても、国家権力によって封鎖されたというのが私の理解です)。彼女の元気そうな様子が報道されることは一切ありません。日本の友人も連絡がとれないそうです。国外の知人・友人・支援者と連絡を取れば、すぐに「海外の反中国勢力と結託している」と判断されるのが、現在の香港、そして中国で暮らすということなのです。息を潜めるようにして暮らしているであろう周庭さんの心情を想像すると、本当に辛いです。昨年年末に続いて、今年の暮れも彼女の健康とより開けた未来を心から祈ります。それほど遠くないときに、周庭さんが日本に遊びに、あるいは勉強に来ることができますように(逮捕時、周庭さんにはフェロー/招聘客員研究員として北海道大学で勉強する予定があったと聞いたことがあります。残念ながら、その後、この件は実現が難しくなってしまったのだろうと推測します。ぜひまた周庭さんが自由に来日できたというニュースを聞くのを心から楽しみにしています)。
とにかく香港はますます厳しい状況です。先日も香港議会の議員を選ぶ選挙が実施されましたけれど、立候補できるのは中国北京政府に忠誠を誓う愛国者だけとされ、その結果、もはや民主派議員が選ばれる可能性はまったくありません。投票率は30%台と低迷しましたけれど、北京政府がそれを気にするふうもない。
議員選挙のニュースを聞いた周庭さんはどう思っでいるだろうか。けれども、周庭さんが以前のように自分の思いをマスコミに発表することも今はない。それだけ北京政府の締め付けが強いのです。もはや物言えば唇寒し。香港は死んだのか。今年、10万人を超える人が香港を去ったといいます。10万人…!。香港が長ーい冬眠に入ったことは確かのように見えるのです。
ミャンマーでも、カンボジアでも
民主主義の危機は香港に限ったことではありません。
「我々が作ろうとしている民主主義国家は我々の歴史と地理に適したものになる。ミャンマーの民主主義の基準は西欧諸国のものと同じではないだろう」ミャンマー陸軍の上級報道官ゾーミントゥン氏が今年4月に語った言葉です。CNN.co.jp : ミャンマー軍「クーデターではない」 子ども死亡の責任否定、選挙延期の可能性も示唆
ミャンマー情勢は、改善の兆しはまったく見えません。むしろ悪化の一歩です。もはやミャンマーは内戦状態であり、絶望から多くの若者が武器を取り、それに対する軍の締め付けも強まる一方です。
あるいは、カンボジア。フンセン首相は2019年5月30日に東京で開かれた国際交流会議「アジアの未来」(日本経済新聞社主催)で「民主主義には、それぞれの国のあり方がある」、「国家が自身で最適だと思う道を選んだら他国は尊重すべきだ」と語りました カンボジア首相「民主主義にはそれぞれのあり方」: 日本経済新聞 (nikkei.com)。
そのフンセン首相の発言から2年半が経ちました。世界でも最長クラスの長期政権を維持しているフンセン首相は、最近、自分の後継者に自らの長男を指名し、与党人民党も国会議員全員が次期首相候補が長男であることに賛成を表明しました。ただ首相交代の時期はまだ不明です。フンセン首相本人がまだ10年は現役であることも公言しています。
長男を将来の首相として指名する際に、「当然、選挙で選ばれることになる」ともフンセン首相は話しています。一応、「選挙」は必要だよ、と。けれども、有力野党を解党に追い込むなどここ数年の反政府活動に対するフンセン首相の強い弾圧政策によって、もはや現在のカンボジアの選挙制度は開店休業(選挙は行われるけれど、人民党の圧勝は確実)といった様相なのです。フンセン首相自身が引退の際にも当然人民党が勝利し、そうすれば自分の長男が党によって首相に任命されるのは確実というのが、フンセン首相の筋書きなのです。だってカンボジア与党にとって選挙はコントロールできるものだから。その証拠に、まるで世襲のような首相交代に反対する声は表立っては何一つ聞こえてこないのです。
これもカンボジア独自の民主主義の成果なのでしょうか。
フンセン首相は長男を自分の後継者に指名した際に、日本の多くの政治家が世襲で地盤(選挙区)を継いでいることにも言及したそうです。つまり、民主的国家でも政治家の世襲は当然のように行われているだろう、その証拠に日本を見ろと。岸田首相も祖父も父親も国会議員ですし、安倍元首相もそう。日本は先進諸国の中でも、突出して世襲議員が多い国として知られています。フンセン首相もそれをしっかり勉強しているのです。なるほどなぁ。
ちなみにASEAN(東南アジア諸国連合)の来年2022年の議長国がカンボジアです。年明けの1月には、議長国首相としてフンセン首相はミャンマー訪問を予定しています。内政不干渉はASEAN諸国の大事な約束事です。おそらく、できるだけことを荒立たせずに軍事政権を認めていくのがASEANの基本方針なはずです。そしてASEANに対して、中国北京政府は大きな力を持っています。そして北京政府もミャンマー軍事政権を支持している。ASEANの使者としてミャンマー軍事政権と協議するのに、ASEAN的価値観からすれば中国の強い友人であるカンボジア首相はまさにぴったりな役者でしょう。
開発独裁を自ら選んできた多くの社会
「開発独裁」という言葉があります。Wikipedia日本語版では「開発独裁」を『経済発展の為には「政治的安定」が必要であるとして、国民の政治参加を著しく制限し、独裁を正当化すること。また、そのような政治運営を通して達成した経済発展の成果を国民に分配することによって、支配の正当性を担保としている政治体制を「開発独裁体制」という』と説明しています。
そしてタイ(1953年のサリット元帥によるクーデター)、インドネシア(66年からのスハルト体制)、さらにはフィリピン(65年からのマルコス政権)、シンガポール(リークアンユー指導による65年からの一党独裁)とASEAN諸国の歴史は、開発独裁の歴史でもあるのです。ミャンマーの軍事政権による独裁は1962年のネーウィン将軍のクーデターがそのスタートです。
つまり、まず1960年前後に、東西冷戦を横目にしながら東南アジアのあちこちで独裁政権が始まり、そして共産主義よりはましとばかりに米国や日本はそんな独裁政権を支持してきたのです。
米国に支援された南ベトナムは開発独裁が軌道に乗る前に南北ベトナム戦争が激化してしまったといえるでしょう。さらに、独立後のカンボジアでは、まずはシハヌーク国王(当時は国王ではなく首相)が開発独裁を目指しました。1960年代には、今カンボジアの若者が思い描く温厚なシハヌーク国王のイメージとはかけ離れた独裁政治を実施したことは、カンボジアの現代史ではほとんど触れられることはありません。
それからすれば、2000年代に入ってようやくカンボジアを安定発展路線に載せたフンセン首相が、今さら「開発独裁」を批判されるのはフンセン首相の立場に立てば、あまりに理不尽ということにもなるでしょう。1960年代から続いたカンボジアの内戦を終結させたという点では、彼の功績はとても大きいのも事実なのです。ちなみに2021年の年の瀬プノンペンには、「新年おめでとう」の看板にはすべて「平和をありがとう」の言葉があります。これは国民からフンセン政権に向けられての感謝の言葉なのです。看板を作っているのは政府ですから、どこか自作自演の滑稽さも滲んでいますけれど。
日本だって、1993~1994年の非自民の細川連立内閣や2010~2012年の民主党政権の誕生はあくまで例外的な出来事であり、1950年代から続く自由民主党の一党支配は、独裁政権とはいえなくとも、開発最優先の政治運営であったし、有権者はそれを支持してきたと言えるでしょう。その視点でいえば、「それぞれの国に、それぞれの民主主義」という言いようは、実はこれまでもずっと世界にあり続け、そして通用してきた面があったのです。何も中国が初めて言い出したことではないのです。
それが21世紀も四半期を過ぎようとする今、米国に対抗する巨大勢力としてロシアに変わって立ち上がってきた中国がより強力に「独自の民主主義」をうったえているからこそ、あらためて世界はその「民主主義の有り様」が問われることになっているようにも思えます。富の不平等な分配による貧富の格差の拡大、環境破壊、地域共同体の解体といった、米国やEU、さらには日本といった西側民主主義下でも問題化していることは棚に上げて、中国を牽制するために民主主義が利用されているという面すらあるように私みたいな天の邪鬼には思えたりもする。
宮本雄二元中国大使によれば「人権の中でも生存権と発展権が最も重要であり、まず社会を安定させて、経済を発展させ、皆を食べさせる。そのためには、その他の、例えば政治的自由を制限しても仕方がない」というのが中国の論理だそうです(2021年4月27日朝日新聞記事より 人権問題への制裁「効果ほぼなし」 中国とは話し合いを:朝日新聞デジタル (asahi.com) 世界的にはこの中国の論理を良しとする社会はたくさんあるのだという現状認識も必要でしょう。
それならば、民主主義に何を求めるのか
それなら、今、中国による香港民主化弾圧や、ASEANならミャンマーとカンボジアに代表される開発独裁の何が問題なのか。
高校生3年生のころ、同級の仲間たちと夜を徹してバカ話からまじめ話まで安いお酒を友にしながらよく激論を交わしたものでした。その際に、市民が政治に関心を持つためには悪政こそがなによりの薬になるだろうというようなことを私は言っていたように思います。悪い政治をすれば、そのことによって市民の政治への関心が高まり、そしてその悪い政治を行う政府を倒すために人々は立ち上がるであろう、というような理屈でした。
今、30年前にタイムスリップしてその場に居合わせることができたなら、「若者よ、お前は悪政の力を知らない。悪政を敷けば、市民が立ち上がるなんて夢物語に過ぎない。悪政は、そんなに甘いもんじゃないぞ!」と、私は30年前の自分に喝を入れなければなりません。確かにミャンマーでは軍のクーデターに対して、多くの市民は立ち上がりました。けれども、その結果は、30年前の私が言うように「悪い政府を倒す」どころか、倒され血を流すのは一般の市民ばかりという状況です。
カンボジアだって、市民は立ち上がったのです。2013年の国会議員選挙で野党の国民救国党が大躍進を遂げました。公式発表で全投票数の44.4%を獲得したのです(この選挙では、実は救国党が第一党を獲得したけれど、票数の操作により与党人民党が第一党の地位を守ったという説すらあります)。この選挙の前後には、大規模な反政府デモが何度も起こりました。しかし、この救国党の躍進や反政府デモの高まりは、その後の与党フンセン政権による反政府運動への弾圧につながってしまうのです。救国党のリーダーらは国外追放になったり、国家反逆罪で有罪判決を受け収監されました。さらに救国党の存在そのものが最高裁判所により反国家的存在と認定され、解党命令を受け、2013年に当選した救国党の議員は全員政治活動を禁止されてしまう。その結果、2018年の国会議員選挙で、与党人民党は全議席を獲得し圧勝しました。
カンボジアで反政府運動が高まらない背景を「ポルポト時代を経験している市民たちは、政府に物言うのを恐れる傾向がある」と分析する人もいます。けれども、私の理解は違います。ポルポト時代の経験があっても、2013年、カンボジアの多くの市民が反政府運動に参加したのです。たった8年前のことですけれど、プノンペン市内の大通りを反政府運動デモの人々が埋め尽くしたその光景は確かに存在したのです(今ではそれも夢の出来事のようですけれど)。
それが一気に沈静化したのは、実際にデモ参加者への弾圧が行われたからです。軍による実弾発射の被害者も出ました(その人数は正確にはわからないままです)。そして、報道も反政府的なものはすべて排除されました。政府に批判的な新聞は閉鎖に追い込まれ、ジャーナリストも謎の死をとげる。その結果、市民の反政府的な言動は一気にしぼんだのです。その後に残ったのは、政治への徹底的な無関心でした。
「経済発展しているのだし、国内紛争もないのだから、それが一番いいじゃないか」と合理化を図る社会。「反政府の言動をしたって何も得ることはない」、それが今の多くの市民の心情です。政治参加は、今のカンボジアでは与党支持としてしかほぼあり得ません。反政府的な行動ができるのは海外で暮らすカンボジアの人たちだけです。それでも、例えば日本で暮らす野党的活動家に、プノンペンの高官から「与党支持に鞍替えしないか?」と誘いの電話がかかってくるのです(実話です)。私の廻りにも安全な生活のために「鞍替え」した人がいます。そうやって民主的な行為が一本一本丁寧に刈られていくのです。
カンボジアだけではありません。お隣タイも恐ろしい。昨年(2020年)のことですけれど、タイからカンボジアに避難していた反政府活動家が、生活していたプノンペンのアパートの前で白昼に誘拐され、今でも行方不明です。カンボジアでタイ反政府活動家行方不明 「政権批判が原因か」 | 毎日新聞 (mainichi.jp) カンボジアの警察も人命救助と真相解明のために積極的に動いた様子はありません。そして、記事にあるワンチャルームササクシットさん(37才)は、すでに消された、文字そのままに身体を溶かされたと噂されています。権力は、こういうことをするのです。
香港では「愛国者、共産党への敬意を示す者」だけが国会への立候補が可能です。そして選挙は実施される。カンボジアでも、選挙は実施され、強力野党が消去された後、全議席を与党が獲得するのです。投票が民主主義ならば、これも民主主義です。つまり、私には投票制度は民主主義に必須ではあるけれど、必要十分条件とは思えません。だって形ばかりの選挙なんて、権力にはお安いご用なのですから。
大事なのは、言論の自由です。表現の自由。報道の自由。言論や表現、報道の自由なしに民主主義は存在できない、育たないと思います。多くの反民主的な社会では、反政府行動をあからさまに取ることは、死に直結する極めて冒険的な行為なのです。
言論・表現の自由を主張すると、すぐにブーメランのように立ち上がってくるのは、例えばヘイトスピーチの類です。あれも表現の自由ではないのか?もちろん否。弱者をターゲットにした虐めはもちろん“自由”の範疇にははいらない。そんなことは当たり前じゃないですか。それだって自らの名を公表して、個人の意見として弱者ついて思うところをコメントすることまでは規制すべきではないのだろうと私は思っています。80億の人がいれば、いろんな意見があるのは当たり前じゃないですか。その中には、私が嫌いな民族主義的な考え方や、歴史修正主義的なものがあるのは仕方がないのです。純粋無垢にきれいで正しいものを求めるのもきっとおかしい(きれいなもの、正しいものがなにかを権力者が決めてそれを市民に求めるのが覇権主義ですし)。匿名で、しかも集団で、他者を貶める発言・表現をすれば、それは尊敬できないことと多くの人が判断する。そんな社会の底力にまだ私は期待したいです。そして弱者は弱者なりに、精一杯モノを言うしかない。それが民主的な物言いであれば、必ずや力を持つものであるのだろうと私は思う。とにかく、まずは言わせてもらわなくちゃ。
言論・表現・報道の自由のない「我らの地域性や、歴史性に根ざした(欧米とは違う)民主主義」が目指されるとすれば、それはやはり民主主義ではない。選挙があれば民主的なのではない。野党が存在すれば、民主的なのではない。要は、その中身、有り様です。そして、人の命が尊重されているか。そこをみれば、その社会の制度や仕組み、そのリーダーたちが民主的かどうかは判断できるのだと私は思っています。その観点でみれば、中国もミャンマーもカンボジアも、ブッブー!! 失格です。わが祖国日本は????ブッブー???どうでしょう?
長期的な歴史観に立てば、人の命など有史以来、ずっと軽いものでした。それが先人たちの血の流れる努力によって、20世紀には「人間一人の命は地球より重い」という心意気までにも達したのです。この言葉は、人間のエゴも感じさせるけれど、でも大切な価値観だと私は受け取っています。あるいは「ペンは剣よりも強し」という力強い言葉が生まれたのは19世紀でした(この言葉の原典となる英国の戯曲では、この言葉は「下位にいる人間がどんなに腕っぷしが強かろうと、上位の人間からの書類での命令には従わなくてはならない!」という状況で使われています。そしてその後、この言葉は言論の大切さを伝える言葉として独り歩きしたのだそうですけれど。ま、そんな背景はここでは気にせず)。けれども、21世紀も中庸に入ろうとする今、これらはとても空虚な言葉に貶められているようにも思えます。先人の努力だけでは足りないのです。今日の努力なしには、これらの言葉は生き残れない。
つまり、人々の人生が輝くためには生存権と発展権だけでは足りないのです。自分を表現する自由が大切なのだと思います。それは「語る」に限らない。首を振る自由、つまり拒絶する自由も、表現の一部です。
中国共産党は今年(村山注 2021年)、結党100年を迎える。香港政府の林鄭月娥(キャリー・ラム)行政長官は今週、天安門事件の犠牲者追悼が香港国家安全維持法(国安法)に違反するかと質問された際、党への敬意を示すことが重要だと述べた。2021年4月30日の報道より 香港民主活動家の黄之鋒氏、天安門事件の追悼集会巡り罪認める | Reuters
「敬意を示す」? 天安門事件に触れる際に、どうやって蹂躙した側に「敬意」を示すことができるのでしょう? 蹂躙した側に積極的な反省でもあればまた話は別でしょうけれど、実際には事実のもみ消しだけが天安門事件後の北京共産党がやってきたことです。
この年末、香港大学を含むいくつかの香港の大学構内から天安門事件を記憶するためのモニュメントが撤去されたと報道されています。これらは「法律違反となるリスクを避けるため」という各大学の自主規制だそうです。ここにも忖度。この世から赤シャツの絶えること無し。香港大学、お前もか。(赤シャツとはもちろん夏目漱石『坊っちゃん』の登場人物、要領がよく損得勘定ばかりを考える忖度野郎という設定ですけれど、深読みすると赤シャツは明治時代の悩めるインテリ像、つまり漱石の心情を代弁する坊っちゃんと対でセットの存在、つまり漱石の表が坊っちゃんで裏が赤シャツという評価もあります。)
朋友阿古智子に心からエールを送ります、そして私も……
香港が英国から中国に返還された1997年に香港大学大学院生だった私の朋友阿古智子(阿古さんが香港大に進む前、同じ大学院で国際開発を学んだ同級なので、その親しみと「阿古さんはね、俺の友だちなんだよ!」という私のいくばくかの自慢も込めて朋友と呼ばせていただきます)は思いもかけずに香港民主化弾圧に巻き込まれ(彼女の専門研究分野は現代中国農村社会の動向把握・分析で、香港や北京やの政治分野は専門外)、最近はテレビ・ラジオ・新聞といった大手マスコミで連日その童顔を見かけることができます。阿古さんの東京大学教授という肩書や、柔らかい外見とまっすぐな物言い、おそらく女性であるということも含めて、選ばれ、そして消費されていく。たとえば私の高齢の母は「阿古さん、最近垢抜けてきたね」なんて会ったこともない息子の友人がテレビに出るのを楽しみにしていたりもする。もちろん、彼女は消費されることに自覚的です。それでも彼女が可能な限り第一線に立ち続けるのは、彼女の背後にいる多くの虐げられた人たちの存在があるからです。中国や香港で知り合った多くの友人が、今、その自由を奪われているから。「消費される?それがどうした?」というのが、彼女の心情でしょう。それだけ、友人たちの窮状が彼女自身の痛みとしてあり、切羽詰まっているのです。彼女を突き動かしているのは、怒りでしょう。そして多くの人たちの怒りが彼女の体を借りて表現されているのです。
阿古さんは北京大学の今回の天安門事件を記憶するモニュメントの自主的撤去を「卒業生として悲しく恥ずかしい」と語ります。そして、先日も香港民主化弾圧をテーマとした講演の場で「資本と強権が支配的になる社会で言論にどんな力があるのか」という聴者(大学生)からの問いに「言論活動こそが力を産み出すのだ」と剛球をまっすぐ返している。
彼女のやっていることは、おそらく多くの人が思う以上にずっと危険で、命がけの行為です。権力は、なんでもやる。なんでもできる。極論をいえば、狙われたら避ける術はありません。彼女は自分と家族を守るためにも、だから多くを公開し、そして自身を晒しているのです。それが弱者のひとつの戦法なのです。でもその消耗度も大変なもののはずです。でも声を上げられない人たちが、彼女にエネルギーを送り、彼女の身体を借りて、語っているのです。だから、彼女は黙れない。彼女が持っているすべての資源を有効活用して、表現を続けています。
本来の研究対象の中国農村での参与観察を続けることが困難になってしまった彼女は、でも香港への視点を伸ばすことを契機に、その視野を自らが生活する日本にも広げていきます。つい最近も、京都のウトロ地区(朝鮮半島出身者とその後継者たちが多く暮らす街、最近ヘイトクライム/憎悪犯罪の可能性が指摘される放火事件で起こった大火で被害を被った)への視察を行ったりする様子をフェースブックに投稿しています。そんな朋友の活動に、私は密かにしっかり刺激されてしまうのです。
民主主義について長らく書きかけだったこのブログ投稿を2021年中に書き上げなくちゃと思ったのも、彼女の積極的な発信への私なりのわずかばかりの返信のつもりなのでした。
阿古さん、新しい年があなたにとって実り豊かな年でありますように。そして、なんとしても長命を頼みます。阿古さんも、もちろん私も、大きな歴史の中ではごくごく小さな無名の存在。だからこそ、のびのびと生きましょう。言いたいことを言える日々を手放すことがないように、三歩進んで二歩下がるの精神で、笑いの豊かさを大切にしていきましょう。もちろん、逃げるときは逃げましょう。
あなたの向こうに見える、苦しい境遇にある多くの人たちに笑顔が早くもどりますように。私も自分のできることをしなければと年の瀬に自分に言い聞かせています。そして、万が一あなたにもしものことがあったら必ず助けることを誓っている多くの人たちの、そのひとりに私もなるよ。思うまま、自由に翔び続けてください、怒れるアホウドリとして。私もそうする。
ではでは、またまた。
2021年大晦日に。

















心から共感しました。阿古さんに対する心配とエールも。笑いを忘れず、自分のできる範囲で、厳しい現状を乗り越えていきましょう。共に。
小泉雅英様
読んでいただき、またコメントまで、本当にありがとうございます。
阿古さんの奮闘ぶり、とても頭が下がります。この数年、香港民主化弾圧に始まり否応なく巻き込まれていったトピックによって、彼女のこれからの研究もきっとおおきな影響を受けていることでしょう。その成果が、大きな果実となって実るのを見られるというのは望外の喜びでもあります。
そんな彼女にはとても及ばないものの、はい、ぜひ共に行きましょう、生きましょう。
村山哲也