枕話として、私の読書の始まりの記
自分の本好きはいつごろから始まったのか。まだ小学校にも入っていないころ、夜に床にはいると父が『ドリトル先生アフリカにゆく』を読んでくれた覚えがある。この本は、ご存知ヒューロフティングによるドリトル先生シリーズの第一巻で、おそらく愛蔵版〈ドリトル先生物語全集〉第1巻として 1961(昭和36)年に岩波出版から出されたものだったろう。訳は井伏鱒二だ。
この愛蔵版は、全12巻だった。『アフリカゆき』の表紙は白地の上に明るいオレンジ色の大き目の格子模様が印刷されていた。2巻以降も、この格子模様は色違いの同じものだったはずだ。2巻『ドリトル先生航海記』は、青色? とにかく、小学生の低学年のころには、家には全12巻がそろっていた。ドリトル先生は、月にまで出かけて行ったのは子どもながら少々眉に唾つけながら読んでいたような気はしますけれど、でもとにかく全巻愛読したのです。
父が読んでくれたのは『アフリカゆき』だけで、それももしかすれば最後までは読んでもらえず(父は帰宅すれば、必ずお酒を飲んで酔っ払ってしまったので、やがて父が先に寝てしまう)、途中からは自分で読んだのかもしれない。巻をひとつ読み終われば、本屋に行ってねだっては次の巻を買ってもらう、そんなことがきっと1年ぐらい続いたのではないか(ちなみに本屋は荻窪の今はない新星堂書店であったと思う)。

その後、ファーブル昆虫記が揃い、シートン動物記が揃い、自宅の本棚はだんだんに充実していった。さらにはやはり小学校低学年のころに近所の2~3学年ほど年上のお姉さんに連れられていった図書館(東京都杉並区立柿木図書館)があって、ぼくが読む本に困ることはまったくなかった。
そんな本たちの中で、特に印象深いのが『宝島』だ。ロバートルイススティーブンソン著の古典的冒険小説。 福音館古典童話シリーズで1976年に『宝島』が出版されているけれど、このときぼくはすでに12歳。そしてぼくが『宝島』に親しんだのは、小学生3~4年生からだったと思うので、さて、どこの出版社だったのか。文庫ではなく、大きな厚い本でした。訳者はだれだったのか? 現在流通している数冊の『宝島』とは違う訳者さんなのではないかしら。(この『宝島』始め、ドリトル全12巻も、ファーブルもシートンもエルマーとりゅうも、みんな両親が引っ越しの度に持ち歩いて大事に取ってありました。父が3年前だか4年前だか?に亡くなり家をかたずけ売った際に、それらもみんなごっそり業者に引き取ってもらい、兵どもも夢の跡。もはや翻訳者等確認する術がありません。ま、仕方ないよなぁ)
とにかく『宝島』何度も読んだ覚えがあります。なんといってもジム少年が空き樽に入って居眠りしてしまった際、眼がさめるて樽の横で開かれていた乗組員たちの密談をジムが聴いてしまうシーンが最高です。ジムをかわいがってくれた片足の好漢シルバーが海賊の親方だったという大ショック。この場面を何度も繰り返しては読み、そのたびにドキドキする。ぼくの記憶では、それは必ずと言っていいほど雨降りの静かな午後で、畳の上に本を広げたぼくは、曇りガラスから差し込む割りと明るい自然光の下、本に没頭しているのです。樽の中のジムになりきってシルバーたちの密談を盗み聞く、あれは本当に怖かった。
ドリトル先生、ファーブル、シートン、宝島、加えるならばあとは椋鳩十かなぁ。『エルマーとりゅう』シリーズも忘れ難い。図書館で読み漁った伝記シリーズでは、野口英世とシュバイツアーにも何度か出会っているはず。
こうやって書き出すと、自分自身の青年期以降の海外志向や、理科志向は、もうこのころにすでにはっきりと表れているのだなぁと感じ入ります。三つ子の魂百までとは、良く言ったものだなぁ。
そして小学校高学年から中学校を経て、高校で本多勝一に出会うまでたった5~6年しかありません。我ながら、子ども時代の成長ってものすごい速度だなぁと感じ入ります。
藤本和子さんの熱量のある乾いた文体に憧れます。
さて、その後はあんまり成長していない私の最近の読書で、一晩一気読みの勢いで貪った本をちょっと紹介します。まずは、『新装版 ペルーからきた私の娘』藤本和子著 晶文社 2024年、です。
藤本和子さん、歴史的名著『塩を食う女たち聞書・北米の黒人女性』と『ブルースだってただの唄 黒人女性のマニフェスト』をぼくが読んだのは、車イス者になってからだろうと思います。(もしかして、若い頃に読んでいる可能性もありますけれど、若いぼくにはその内容の濃さは理解しきれなかくて、印象に残っていないのかもしれません)。
どちらも、20世紀も後半に向かっていく激動のアメリカ合州国の現代史の中での、日本人女性の聞き書きで、歴史の証言として今後も読み継がれていくだろう名本です。そして、藤本さんの、どこか乾いた感じ、でも熱のこもった文章が良いのです。
藤本さんは米文学の翻訳者としても著名な方で、特にリチャードブローディガンの日本への紹介者として名高いのです。ブルーディガンは、ヒッピー文化を牽引したビートジェネレーションの代表的作家のひとりです。その作品のほとんどを藤本さんが翻訳しています。その中でも有名なのが1967年に出版された『アメリカの鱒釣り』で、日本では藤本訳で1975年に出ている。そして、ブローディガン、20世紀のうちにはぼくにはまったくご縁がなかった。
『塩を食う女たち』で藤本さんを知ってから、この鱒釣りも読んでみました。うん、悪くはない。でも、私にはノンフィクションのほうがやっぱり性に合うのだなぁ。
で、それから藤本さんの他の著作もちらちらと読んでしまい、すでにエッセイや聞き書き系はほとんどすべて読んでしまったのでした。そんなところに、新装版として2024年に出版されたのが先の『新装版 ペルーからきた私の娘』です。藤本さんとパートナー氏(米国のユダヤ人)がペルーで生まれたばかりの子を養子にする日々が実況中継で語られるこの本、でも中盤からはこの娘さんはまったく姿を現しません。藤田さんの米国での暮らしの中の小さなできごとが、彼女独特の乾いた文体で書き連ねられていきます。情景が明確で、読んでいて疲れず、べたべたしていなくて、でも熱量はある。あぁ、こういう文体で文章が書けたらどんなに素敵だろうか。
そして、ついついページの一角を折ってしまった印象的な箇所のひとつ。
わたしは日常のくらしの中で触れることのできるものでも、触れたところで華々しい報告の書けるような対象ではないものにこころを惹かれる。わたしを「研究者」や「代弁者」や「解説者」にはしてくれない体験は大切だと思う。このことは、この四、五年に手がけた北アメリカの黒人女性作家の選集を編む仕事や、黒人女性からの聞き書を記していく過程でも強く感じたことだった。把え難く、すぐには日本語の文脈の中に翻訳しえないことがら、安易に移しかえてしまってはならないことがらの中に、こちらの常識の殻を突つき破る力がかくされていることある。性急に「わかった」と思わないこと。誰かになりかわって説明するのではなく、自分は本当に耳をすませて聴くことができたかを問うこと。
けれども、解説することや代弁することや研究発表のようなことをあまりおもしろい方向だと思わないわたしのような者は、どのような言語をさがしているのだろうか。黒人女性からの聞き書にしても、日本人の読者、とりわけ女性の読者に、「生きかたを考える手引き」にしてもらいたい、というのが主な動機ではなかった。むしろ、ほとんどは「生きかた」をどうすべきか、とのんびり選択している余裕などなかった女たちが、困難と苦しみの生の条件を逆手でねじ上げて、自分を生み出していった過程を、こころを開いて語ってくれるのを聞いたわたしという個人の体験を、まず共有してもらいたいという衝動のほうが強かった。とにかく、声を聞いてほしいと。(前掲書209~210ページから、途中強調点は原著より)
「解説することや代弁することや研究発表のようなことをあまりおもしろい方向だと思わないわたしのようなものはことや代弁することや研究発表のようなことをあまりおもしろい方向だと思わないわたしのようなものは、どのような言語をさがしているのだろうか。」という一文が、ぼくの心に刺さります。そう、言語は探すものなのです。
30歳過ぎで大学院修士を出た後、途上国の支援に赴くときに何回も言われた言葉に「今度は○○(その途上国の名前)を題材に論文がひとつ書けるね」がありました。私に対してだけではなく、支援関係者の中で頻繁に耳にする類の言葉でした。でも、言われるたびに、違和感があった。俺は支援協力に行くんで、研究しにいくんじゃない。けれども、私の一世代前には、支援の中心には開発の研究者たちがいたのです。そして支援の場に赴くということは、それを研究の種にするということでした。
もちろん、研究が悪いわけではありません。私の大学の恩師は、「自分のやったことを研究として論文に残すことは、後世への責任だ」と私に語ってくれたこともあります(大学時代にぼくが学んだのは国際開発系ではなく農業生物系の研究室でしたから、その文脈ではありますけれど、ね)。けれども、支援対象を研究という視点でとらえることは、ぼくにはためらいがありました。そもそも研究能力の欠如という問題でしかなかったのかもしれませんけれどね。
当初は、「観察する」という言葉にも嫌悪があった。英語でObservation(観察)、あるいはto observe(観察する)。けれども、実は観察するのはこっちだけじゃないのよね。あっち、つまり支援される側もこっちを観察している。それに気が付いたら、観察という言葉への忌避感は消えていきました。そして、今では新しい現場に入ったら「観察、観察、三四がなくて五にも観察だよ~」という観察原理主義者になってしまっています。でも、観察するのは研究するためではない。とにかく、知るため。理解するため。どうやったら伝わるのか検討するには、観察無しではぜったいに無理とようやく知ったから。
あぁ、そうかぁ。だから藤本節が、私の琴線にふれるのだよなぁ。そう、研究でなく、代弁でなく、解説分析でなく、自らが証言者になる。ぼくにとって、それは書くことのかなり真ん中でありたいなぁと思うのです。藤本さんの文章は、そんな自分を勇気づけてくれる気がします。
ガリコさんの文章は自身の主観に素直、つまり実直で優しいのよ。
もう一冊。 『反核の闘士ヴァヌヌと私のイスラエル体験記』ガリコ美恵子著 論創社 2017年、という本。イスラエル軍によるガザでの大虐殺が始まってからのここ2年、パレスチナ/イスラエル関連の書物を読み漁ってきた中で収集した一冊です。パレスチナ/イスラエル問題を歴史的文脈で語る本はたくさんある中で、市井の人たちの顔、特にイスラエル側の人びとの姿をキャッチできる本は割と少ない。ですから、読む前からおそらくこれはイケているのではないかという期待はありました。けれども、しばらく本の山の中に埋もれていて、ようやく救出されて読んだ一冊です。そして、これが期待にたがわず良かった。この本が出たのはガザ大虐殺の5年ほど前のことですけれど。
まず著者のガリコ美恵子さんの破天荒な生き方が魅力的です。
ガリコさんの文章を読みながら、なんとなく思い出したのがイングランド在住でブレイクスルーした日本の書き手であるブレイディみかこさん。ガリコ美恵子さんは、まさにイスラエルのブレディみかこ、でありまして、しかも偶然おふたりは同い年(1965年生まれですから、ぼくが1年早いだけのみんな同世代!)。
わたしがどこかの雑誌かなんかの編集者なら、ガリコ美恵子さんにどんどん書いてもらうけれどなぁ。絶対に売れると思うんだけれどなぁ。
と、わざわざブレイディさんのお名前を出すのも、お二人に失礼な話でありました。ゴメンナサイ。とにかく、ガリコ美恵子さん、若くしてイスラエルに移住した方で、その最初はイスラエルのユダヤ人との恋から始まる。つまり最初に得たイスラエル在住者としての情報は、「パレスチナは悪だ」だったようです。それがだんだんに変わっていく様も興味深い。
彼女を変えた大きな力のひとつが、本の題名にもあるヴァヌヌ氏との出会いです。ヴァヌヌ氏は、1954年モロッコ生まれで、1986年にイスラエルの核兵器開発の情報をリークしたユダヤ系イスラエル人です。密かに核兵器開発が行われていた核研究所で、ヴァヌヌ氏は7年間夜間職員として勤務してた。機密事項をリークした罪で、彼は欧州旅行中にモサドに誘拐され、非合法な方法でイスラエルに連れ去られ、有罪判決を受け、18年刑務所に入れられる。うち13年は独房生活です。それを生き抜いての釈放後も、さまざまな嫌がらせをイスラエル政府から受け続けながら、でも出国停止のためイスラエルの外にでることもかなわぬ人。イスラエル国内では彼は多くの人に知られる著名人で、ユダヤ系イスラエル人からは売国奴だし、アラブ系イスラエル人やパレスチナの人たちにとってはイスラエル政府の弾圧にも負けない闘士として英雄でもある、そんな人。
けれども、ガリコさんの前のヴァヌヌ氏は人間味あふれるひとりのおじさんでもあり、そこがこの本の真骨頂でもあるのです。本は、ヴァヌヌ氏の人生とガリコさんの人生が交互に語られ、やがて出会い意気投合していく。
この本、とにかく、ガリコさんの目をとおして語られる地べたのイスラエルの人たちがとてもクリア。多くのユダヤ系イスラエルの人たちにとって、アラブ系イスラエルのひとたち、さらにはパレスチナの人たちとは、ほとんどまったく接点がないことがよくわかります。
あるいは。イスラエル社会で発言力のある地位を占めているユダヤ教超正統派の人たちにとっては生物進化論はまったく信じられない考え方だということも書かれています。地球の誕生も聖書には6千年前(6千万年まえではなく、6千年前ですよ!)と書かれているらしく(私自身では該当箇所を未確認です)、う~ん……。ガリコさんの娘さんは、兵役免除のことも考えて超正統派の学校に通っていたそうなんですけれど、そこでそう学んで、しかもそれを信じている。教育というのは、自分(あるいはその社会)の価値観にあわなければ「洗脳」で、自分(あるいはその社会)の価値観にあっていればまさに正しい「教育」であるのだなぁとつくづく思います。もちろんぼくにとって紀元前4千年に地球が誕生したってのは洗脳!洗脳! でも地球誕生は46億年前なんて言っているぼくこそがユダヤ教超正統派にしてみれば近代科学に毒された洗脳の結果なわけで……(聖書の中身と同様なことを信じるのはユダヤ教超正統派に限らず、世界的にはけっこう多い。米国のキリスト教福音派もきっとそう。ヨルダンの生物教師は進化論を信じてなかったよなぁ、彼女はパレスチナ難民の子息で、ムスリムです。なんで生物教師になったのよぉ?? とにかく世界は手強いぜよ)。
またイスラエル政府がパレスチナを消し去ろうとする中で、パレスチナの人たちに変わる労働力としてアフリカ等の難民を受け入れ、そして必要済みになると排除する、そんな内部からでなければ分からない実情(そしてそれは、昨今の海外からの移住労働者に対する排外的な雰囲気の高まる日本社会にとっても切実な実状)もていねいに語られます。これはガリコさん独特のネットワークがなせる業なのです。
まさに、研究者ではない、代弁者でもない、解説者でもない、イスラエルで余所者として懸命に暮らす生活者としてのガリコさんの視点がとてもよく活かされた抜群のレポートになっているのです。そしてイスラエル社会と“共感”しあうのもなかなか大変なことだということが、ガリコさんの目を通してひしひしと良くわかるのでした。
この本の背景には、おそらく伴走者として素敵な編集者がいるのだろうなぁということも想像させてくれます。この本のガリコさん自身による後書きの日付は2016年11月1日です。もう9年前。ぜひ次の10年のガリコ発イスラエルレポートの出版を強く強く望みます(インターネット系の小さなニュースサイトで継続的に書かれているようなので、それらを基にしてバーンと一冊にならないかなぁ)。
ガリコさんの書く、自分の主観を素直に伸び伸びと文章に乗せる文体も良いよなぁ。彼女も自分の言語を探しつつ、ここに至ったのは間違いないわけで、そこが魅力なのでした。
どちらの本も、もしご縁があればぜひどうぞ。ではでは、またまたー。

















藤本さん、大昔にインタビューしたことがあります。リチャード・ブローティガンがいかにしょうもない男か、という話を聞かせてくださり、大笑いさせられたことを覚えています。いったい何の取材だったんだろう? どういう媒体の取材だったかも忘れましたが、それ以来、わたしの中では「ブローティガンってのはしょうもない男」です。
あ、さっきのコメントは、「れ」です。(コメント、編集できなかった)
れ様
さっそくのコメント、嬉しく読みました。おー、藤本さんにインタビュー!?
はい、ブローティガンさん、お写真で拝見しても、その小説に登場する方々も、「どうしようもない」感じがひしひしと伝わってくる、そこが希代の存在ってことでいいのじゃないかしら、知らんけど。しょうもない、ってのが美徳になったというのもビートニク世代の人類的貢献なのではないかしら。そういう自分自身も、世間的にかなりしょうもないわけであります。まず、男、この多くがしょーもない。酒とか、仕事とかも、多くがショーもない。人生の意味?理由? そういうのもとってもしょーもない。あれ?
藤本さんは、そういうしょーもないを呆れつつ笑いつつ、気が付くと寄りそっている。そんな人のような予感なのです。私の中では藤本さんはかっこいい人なんだなぁ。
ガリコさんも、ぜひ注目くださいませ。